「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県小浜島  「 ユンドゥレースク遺跡 」

2018-09-03 12:02:11 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



島内でも一番高くて目立つ大岳のふもとにある









スク(城)の入り口にある鳥居








外から見た殿 ( どぅん )







スク内にある広場







島の神や山の神が祀られた殿内






村跡が小高い丘に形成されたものを八重山ではスク ( グスク ) といい、
ユンドゥレースク遺跡は(ユースク)の転訛?ではないかと思われる。

離島のグスクの中では資料もなく、場所も分からなかった。
聖域であるため地元の人も 「 あの辺りだろ 」 っていう感じで、
教えてくれなかった。
そんなことで、なんとか探し出した
ユンドゥレースク遺跡  ( 御嶽 ) である。


鹿児島県徳之島  「 ウエンニグスク 」

2018-07-07 11:33:15 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



釣鐘状の形がグスクの匂いを漂わせているウエンニグスクの全景









山の中は潅木と雑草と大きな岩がゴロゴロしていた








安住寺の由来についての説明板








まるでタコの足のように大きな木の根が這っている






ウエンニグスクは、井之川グスクから
県道80号線を200mほど進んだ左側に位置し、
見るからに吊り鐘のような形が 「 グスク 」 の匂いを漂わせている。
グスク内は写真のように潅木や雑草に覆われて大きな岩がゴロゴロとしていて、
それ以外にはグスクの遺構らしき物は見当たらなかった。
そんなウエンニグスクの場所には、その昔、安住寺というお寺があったとされている。

安住寺の説明板には、徳之島の古記録 ( 前記帳 ) によれば、
元丈元年 ( 1736年 ) 薩摩藩主の命により、
井之川に安住寺が創建され、住職として僧玄信が下島した。
この時から徳之島全島民の宗旨が禅宗に改められたとされている。
これ以前にも観音堂はあったが、これが徳之島における仏教系寺院の始まりであった。
以後、10年ごとに 「 宗門札改め 」 という宗旨調べが行われるようになったが、
安住寺は延享元年 ( 1744年 ) に亀津に移され、
この地に寺があったのは、わずか8年と短い間であった。


ウエンニグスクへのアクセス
ウエンニグスクへは、井之川グスクから県
道80号線を200mほど先に進んだ場所にある。
よって井之川グスクを参考にしてもらいたい。 
駐車は、ウエンニグスク前の道路の広くなった場所に駐車した。


鹿児島県喜界島  「 七 城 」

2018-06-18 18:24:06 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



七城の大まかな全景









グスク入り口に立つ七城の説明板








喜界島北部の志戸桶の浜に平家上陸の碑がある








正面からグスクへの入り口








グスク入り口を入るとかなり広い広場がある








グスクの裏手との境は石で区切られている








グスクを囲みに高さ1.5mほどの石垣が築かれている








裏側の傾斜部には露出した岩がゴロゴロしていた








グスク内にあるガジュマルの木






七城は、喜界島の志戸桶集落から西へ
約300mほど登った台地の上に築かれたグスクである。
グスク正面には左右を両方に分けるように道が開かれており、
そこから入ると住居跡なのか、かなり広い広場がある。
その広場を囲むように土手が築かれている。
また、広場と裏手の境には高さ1.5m~1.8mの石垣が築かれており、
斜面には露出した岩がゴロゴロとしていた。
グスクの構成は前から二段になっている二つの郭を備えたグスクだと思われる。
築城に関しては、一説には壇ノ浦の合戦で敗れた
平家の資盛 ( すけもり ) らが来島し、
仮に館をつくった跡ではないかと言われているが、それも定かではない。


七城へのアクセス
七城へは、喜界島北部にある志戸桶集落から西に300mほど登った台地にある。
目印になるようなものがないので具体的には書けないが、
志戸桶集落の人に訊くと教えてくれる。
駐車は、グスク前の道路の広くなった場所に駐車した。


沖縄県宮古島  「 オイオキバル遺跡 」

2018-04-30 18:49:00 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



石垣も何も草に覆われて何も見えない









オイオキ原遺跡入り口付近の道路






オイオキ原遺跡は、宮古島市平良の東方にある
西原の東側海岸の標高95mを最高所とする
琉球石灰岩の丘陵上に立地した
グスク時代 ( 12~14世紀 ) の遺跡である。
遺跡の石積みは、すべて野面積みで築かれており、
内側から見ると1m前後で、外側から見ると2~3mの高さに見えるというが、
写真を見ての通り、草に覆われて何も見えなかった。

また、第二次世界大戦の沖縄戦においては、
標高が95mということから 「 九五高地 」 と呼ばれており、
現在も旧・陸軍の弾薬庫の跡が残されている。
遺跡の発掘調査は、1987~89年にかけて
平板測量などを実施して試掘調査が行われた。
出土遺物は、土器片、中国の青磁・白磁片、
褐釉陶器壷片、褐釉茶入れ壷片、シャコ貝製貝斧、鉄鍋等である。


オイオキ原遺跡へのアクセス
オイオキ原遺跡へは、宮古島平良地区福山にある
ファームポンド ( 農業用大型貯水タンク ) の
反対側の小高い丘がオイオキ原遺跡である。
駐車は、路上駐車または、空き地に駐車できる。


鹿児島県徳之島  「 井之川グスク 」

2018-04-11 14:44:29 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



井之川グスクの全景









側面から見た井之川グスク








毒蛇消滅祈願のため建立された八幡神社








毒蛇消滅祈願の事が書かれた説明板








グスクを切り開いて造られた井之川公民館








井之川公民館







公園から見える井之川集落






井之川グスクは、井之川集落の出口を流れる 「 なだ川 」 沿いに
盛り上がったような丘の上に築かれたグスクである。
現在は中腹を整備して公民館や第46代横綱の朝潮太郎の銅像が立っており、
昔日の面影を見ることは出来ない。
また公園の上には明治3年に毒蛇被害消滅祈願として
鹿児島の荒田八幡神社の神霊( 円鏡体 ) を勧請し、
木造社殿を建てた八幡神社がある。
祭神は応神天皇で、毎年旧暦の2月23日と
9月の23日に行われている。
これは余談になるが、喜劇役者として一世を風靡した
井之川出身の「八波むと志」の記念碑も建っている。


井之川グスクへのアクセス
井之川グスクへは、途中までは神之嶺グスクを参考にしてもらいたい。
井之川集落の出口付近を流れる「なだ川」沿いの左の丘がグスクになる。
駐車は、公民館の広場を利用できる。


沖縄県宜野湾市  「 喜友名 ( きゆな ) グスク 」

2018-03-08 12:25:23 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



住居跡の遺跡が見つかった説明板










喜友名グスクの目印となる喜友名バス停








喜友名グスクに隣接する米軍施設キャンプ・フォスター









今は道路になっているグスク跡





喜友名グスクは宜野湾市の米軍施設キャンプ・フォスターに隣接する
県道81号線上と基地内にあったグスクである。
その昔、竪穴式住居があり、
また喜友名泉と言われる井戸もある。
現在は基地内は立入禁止になっており、
また道路が通っているためにグスクの遺構を見ることは出来ない。


喜友名グスクへのアクセス
喜友名グスクへは、国道58号線の宜野湾市伊佐から県道81号線に入って、
喜友名バス停の東側約50mの位置がグスクになる。
駐車は、バス停の端に停車した。


鹿児島県奄美大島  「 伊津部勝グスク 」

2018-03-03 14:52:00 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



ラクダの背のようにこんもりとしたグスクの全景









グスク周辺







伊津部勝グスク入り口にある伊津部勝バス停








伊津部勝グスクの遠望








グスクへ開かれた入り口







主郭は、かつてはお寺があったゲートボール場跡








広場の奥に掘り切りがある





伊津部勝グスクは奄美大島の東、
名瀬の伊津部勝集落の外れのこんもりとした
標高23mの小高い丘に築かれたグスクである。
以前は、グスク内にはお寺があったと聞いたが、
その後ゲートボール場として整備されている。
だが、そのゲートボール場も現在は使われておらず、
広場には草が生えていた。
その広場の奥に堀り切りがあった。
グスクの登り口付近から徳之島の亀焼き(カムィヤキ)土器片や
中国南宋の玉縁口縁などが出土している。
これはグスク時代初期に特定できる遺物であり、
このグスクは12世紀後期から13世紀初期のグスクだと推測できる。


伊津部勝グスクへのアクセス
伊津部勝グスクへは、国道58号線を朝戸方面に進み、
朝戸トンネルを出てから朝戸集落から左に曲がって
伊津部勝集落のバス停へ入ったところにある。
駐車は、グスク入り口の橋の上に駐車した。


沖縄県宜野湾市  「 嘉数グスク 」

2018-02-28 11:53:20 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスクの頂部の公園正面の高台に展望台が見える








展望台は地球儀が描かれている









嘉数グスク入り口にある 「 嘉数高台公園 」 の碑名









公園から展望台まで階段が続く








激戦地だったことを伝える 「 説明板 」








高台内にある分厚いコンクリートで覆われた日本軍のトーチカ








京都府下2530余名の戦死者を慰霊する京都府市民によって建立された 「 京都の塔 」















グスク頂部にある 「 島根の兵奮戦之地 」 碑








展望台から普天間基地を望む






嘉数グスクは、宜野湾市嘉数の嘉数高台公園一帯がグスクになっている。
ここは第二次大戦中に作戦名称第七〇高地と命名され、
藤岡中将率いる第62師団独立混成旅団、
第13大隊の原大佐が陣頭指揮をとり、
約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、
作戦上自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため、
16日間も一進一退の死闘が展開されたが、
遂に日本軍は矢尽き刃折れ後退した。
しかし米軍にとっては 「 死の罠 」 「 いまわしい丘 」 だと恐れられた程に、
両軍とも多くの尊い命を失った激戦地である。
 
この嘉数高地七〇高地は、旧・日露戦争の二〇三高地に値する
第二次大戦の歴史の上に永代に残る戦跡である。
そんな激しい戦いの場となった嘉数グスクは砲弾で跡形も無く破壊され、
昔日の面影を残す遺構は何も残っていない。



嘉数グスクへのアクセス
嘉数グスクへは、那覇から宜野湾市へ向かい
普天間基地の手前にある嘉数高台公園がグスクになるため、
浦添バイパスの浦添西原から市道241号線に入ってガソリンスタンドから
左に入ったところに公園がある。
駐車は、公園に設置された無料駐車場が利用できる。


沖縄県那覇市  「 首里城からの眺め 」

2018-02-18 11:01:47 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡







琉球王朝時代
第一尚氏 尚 巴志も
第二尚氏 尚 円も
ここからどういう思いで
琉球を見ていたのだろうか?




沖縄県那覇市  「 クンダグスク 」

2018-01-30 16:21:19 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



1.8mほどの高さに築かれた石積み








首里城内 ・ 「 京の内 」 からの城壁を見通す








城壁の内側には岩が散乱している








京の内の城壁下にある巨岩





クンダグスクは、首里城内の 「 京の内 」 の
外壁の下辺りの森の中にあるグスクであるが、
その実態は明らかではない。
ただ、グスクの古墓らしき石積みを見つけることが出来た。

真栄平グスクの中でも書いているが、
尚 徳王が急死し、世子は改革派によって殺され、
その遺体は首里城内の「 京の内 」 の崖下に捨てられた。
近世にいたり、真栄平の男が首里の大姓家に奉公したが、
仕事を誤って罪に問われようとしていた。

悶々として、世子の葬所に参り 「 罪を救って下さい。
あなたの骨を私の村に移し、子々孫々まで祀ります 」 と祈った。
すると霊験があって罪が許されたので、密かに遺骨を盗み、
郷里の宮里御嶽に手厚く葬った。
だけど、クンダ ( 腓・こむら ) の骨だけを残したので、
この崖はクンダグスクと呼ばれた。


クンダグスクへのアクセス
クンダグスクへは、首里城または、首里城近くの駐車場に車を駐車し、
歩いて 「 京の内 」 の下の森の中に入って行かなければならない。


鹿児島県奄美市笠利町  「 埼グスク 」

2017-12-05 17:39:05 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



鞠のように丸くなった崎グスクの先端











グスクの頂部付近となる展望所









あやまる崎の遠望








「 あやまるの名の由来 」 が書かれた説明板








岬の入り口付近から見た崎グスクの遠望








崎グスク入り口付近にあるバス停







崎グスクの入り口にある歴史民俗資料館






崎グスクがあるこの付近一帯を 「 あやまる岬 」 といい、
その由来には、奄美の乙女達は正月になると
赤・青・黄の色とりどりの糸で刺繍したきれいな手鞠で
手鞠歌を唄いながら鞠つきをする。
その彩に織られた手鞠に、この付近一帯の地形がよく似ているというところから、
「 彩に織られた鞠 」 で、アヤマルと呼ばれるようになり、
やがて地名でも呼ばれるようになったのだろうと伝えられている。

ここにはグスクと呼ばれるような出城があり、
岬から敵の侵攻を見張っていたと思われるが、
石垣などグスクの存在を表す遺構は見当たらなかった。


崎グスクへのアクセス
崎グスクへは、国道58号線を赤尾木から空港方面に入り、
県道82号線を北に進み、
奄美空港を過ぎて3キロほど行くと
「アヤマル荘」のバス停があるそこから右に入った所である。
駐車は、岬の展望所まで入って行ける。



鹿児島県徳之島  「 明眼 ( ミョウガン ) 山グスク 」

2017-11-23 11:57:18 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



按司の隠れ屋敷?とされているが墓の方の性質に近いと思われる










鳥居の横に立つミョウガン公園の説明板








鳥居が立っているグスク入り口








グスク内にあるミョウガン山の中にある自然公園説明板







隠れ屋敷までは大きな岩の下(窟墓?)を通る









グスクの頂部にある拝所には琉球王国から授かった首飾りの玉がガラスの中に入っている。
 









崖の横にある窟墓








農協横の道から見たグスクの遠望








ミョウガン山の下にあるJA徳之島犬田布支所








闘牛の開催と報せる闘牛場の看板








グスクの近くにある犬田布闘牛場





ミョウガン山グスクは、徳之島の南に位置する伊仙町の西、
犬田布小字明眼にある標高120mの自然石灰岩で出来た
丘陵上に築かれたグスクである。
ミョウガン山自体が伊仙町指定名勝史跡で、
町立自然公園として整備されている。

グスクは東犬田布集落の西北部に位置し、
犬田布貝塚の人々が12世紀ごろに
この丘陵を中心とした場所で生活していたと考えられる。
伊仙町ではタテの洞穴をガマと呼び、横の洞穴をヨウ呼んでいる。
したがってミーは新しい横の洞穴のグスクで、
ミーヨウグスクの転訛が時代を経て、
ミョウガンとなり、この地の名(明眼)にもなったと考えられる。
見張り所だったと思われるグスク頂部の縦岩には
琉球王国から授かった首飾りの玉がガラスの中に入っている。
グスクの中腹の洞穴には点々と窟墓 ( 風葬墓 ) があり、
さらに隠れ屋敷といわれる洞穴が存在する。
 
言い伝えによると、徳之島が琉球国に統治され、
按司が居たころ犬田布のミョウガングスクの城主に
ノロの二人の美しい娘がいた。
妹のコイは美しいため琉球王国の使者の目に止まり、
使者は琉球国の嫁に薦めたが、
ミョウガングスクの城主は娘のコイが
琉球王府に仕えることを好まなかったため、
コイの顔にお灸の跡(傷)をつくり、
わざと嫌われるようにしたという。



ミョウガン山グスクへのアクセス
ミョウガン山グスクへは、徳之島の伊仙町犬田布闘牛場の横の道を
左に150mほど入ったところに鳥居がある。
そこがミョウガングスクの入り口になる。
駐車は、入り口の農協にお願いして駐車した。


沖縄県読谷村  「 瀬名波グスク 」

2017-11-18 13:37:50 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク頂部にある拝所








グスクの頂部付近







グスクの入り口から頂部へ続く道







津波重機の後ろにある瀬名波グスクの全景





瀬名波グスクは、
読谷村教育委員会から出された 「 文化財めぐり 」 には、
カクリグスクがシナハグスクとなっているが、
地元の人たちはこちらがグスクで、
向こうは按司墓だと言っていた。
どちらも聖域には違いはなく、
双方ともグスクとして位置づけられるものだと思っている。



瀬名波グスクへのアクセス
瀬名波グスクへは、カクリグスクより
100mほど長浜よりになるため
カクリグスクを参考にしてもらいたい。


沖縄県宮古島  「 クバカ城跡 」

2017-10-31 13:21:17 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



城門の石積み








入り口にある説明板







城門






外から見ても石垣が確認できる







累々と積まれた石垣













クバカ城跡の遠望










クバカ城跡は入江部落の西側入口にあり、
久場嘉按司の居城の跡で 「 雍正旧記 」 ( 1727年 ) には、
「 長さ31間 ( 56.4m ) 横25間 ( 45.5m ) 」 、
門は未方 ( 南西 ) に向かうとある。
その由来は城主クバカ按司は強力無双の人であったと伝えられている。
また、 「 宮古島記事 」 ( 1752年 ) には、
「 宮古島洲鎌村小ばか按司、
八重山島にぎやものと勇力くらべ由来の事 」 という記事が見える。
クバカ城は、宮古で城と呼ばれる遺跡で
野面の石積みをほとんどもとの形で残している。
その他、宮国の好善ミガガマと喜佐真按司にまつわる話等がある。



鹿児島県奄美大島  「 マツノト遺跡 」

2017-10-24 11:44:51 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



遺跡の入り口立つ路標








入り口の奥は雑草が生い茂って中に入って行けない





マツノト遺跡は、県道601号線を挟んで
喜子川遺跡の反対側に位置する。
入り口には白い路標が立っているが、
中は雑草が背の高さ以上に伸びて
それらしきものは確認できなかった。
調査発掘により、この場所からたくさんの夜光貝の加工品が出土している。


マツノト遺跡へのアクセス
マツノト遺跡へは、喜子川遺跡と県道601号線を挟んだ向かい側になるので、
喜子川遺跡を参考にしてもらいたい。
なお、駐車も同じ場所になる。