「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

櫓太鼓・太鼓打ち分け 「 はね太鼓 」

2012-12-31 00:15:01 | 相撲







今回の櫓太鼓の太鼓打ち分けは、「 はね太鼓 」 である。
この太鼓は、相撲の取り組みが全て終了すると同時に打たれる太鼓で、
皆様に向かい 「 御機嫌ようお帰りください。
また明日もお出でをお待ちしております。 」 という思いが込められて打たれている。
したがって1日興行や千秋楽では打たれていない。

2012年の次は2013年が待っているから、
節目となる年の移り変わりを気持ちを新にする意味で、
「 今年はこれでハネるが、明日から新しい気持ちで頑張って行こう。 」 と、
太鼓が鳴り響いているように感じるのである。




沖縄県本部町 ・ 沖縄の文化財 「 山川垣内権現洞穴遺跡 」

2012-12-31 00:13:21 | 沖縄の文化財






山川垣内権現洞穴遺跡
The Ruins of Yamakawa Kakiuchi Gongen Cave
( 県指定史跡 )
Prefectural Historical Monument


指定年月日 : 昭和 49 ( 1974 ) 年12月26日 
Designaed Date : December26,1974
所在地 : 沖縄県国頭郡本部町山川港原
Location : Yamakawa,Motobu-cho,Kunigami-gun,Okinawa-ken



 山川垣内権現洞穴遺跡は海岸に面した琉球石灰岩洞穴にある。
沖縄貝塚時代後期 ( 約2000年前~12世紀 ) の住居跡と考えられる遺跡である。
地元では 「 カチヌチグンジン 」 と呼ばれ、
今でも地域の人々の信仰の対象になっている。
洞穴は入り口の幅が2m、奥行きが4mあり、釣鐘型になっている。
洞穴内には人骨が葬られており、かつてここから須惠器の壷の完成品が見つかっている。
また洞穴には遺物を含んだ黒褐色の土砂が堆積しており、
その中から沖縄貝塚時代終末期からグスク時代にかけての物と推定される
土器や貝製のおもりなどが見つかっている。
沖縄県内にはこのような内容を持つ洞穴遺跡はきわめて少なく、その意味から貴重な遺跡である。


 The ruins are in the Ryukyuan limestone cave that faces the seashore,
and are considered to have been residences of the late Okinawan Shell Mound Age
( approx.2000~ the 12th century ).
The site is locally “Kachinuchigunjin”, and is a sacred place.
There is dark brown earth and sand that contains relics in the cave,
with pottery and shell weights.
The cave is significant because of its rare and precious contents in Okinawa.




夜を彩る 《 十二支のイルミネーション 》

2012-12-31 00:07:14 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



干支 ・ 『 十二支のイルミネーション 』


















このイルミネーションが灯っていたのは、
佐賀県神崎市の清水の滝である。
これを見た頃は “ 年の瀬 ” を意識しなかったが、
忙しく行き交う車や雑踏を見ると、 「 師走 」 だと思う。

そんな今年も、残すところ24時間を切ってしまった。
2012年はいろいろあったが、
大きな病気や怪我がなかっただけでも善しとせねばなるまい。

来年も家族全員が健康で波風無く過ごせることを願っている。
去りゆく年もめぐり来る年も特別な日なれど、一日は一日。
いつもと変わらぬ24時間である。
だから大晦日も正月も普段どおりに淡々と過ごしたい。




長崎県平戸市薄香  ・ 映画 「 あなたへ 」 のロケ地 へ・・・

2012-12-30 00:12:47 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣














昨日の朝、NHKで映画 「 あなたへ 」 に出演していた大滝秀治さんが出ていた。
丁度、長崎県平戸市の薄香に行く予定だったので、その映像に不思議な縁を感じた。

まだ写真も動画も取り込んだだけで整理や編集をしていないので、
ボチボチ紹介して行きたいと思っている。
とりあえず今日のところはサワリまで・・・





熊本県天草市本渡 「 民宿よし田 一泊二食7350円の絶品料理 」

2012-12-30 00:10:53 | グルメ



大皿に新鮮な魚の刺身がならぶ








「 これでもか! 」 って言わんばかりに次々と料理が出て来る













朝食もボリュームがあり、新鮮な魚づくしだ!












本渡の祗園橋から本渡瀬戸灯標へ直行したが、
写真は撮るには撮ったものの、思ったよりも遠くかったので、
翌日に改めて対岸から撮ることにして、この日の探訪はこれで打ち切った。

それから宿泊先である 「 民宿・よし田 」 に行った。
この民宿の何よりもの楽しみが豪華な食事である。
去年もお世話になった民宿であるが、
1泊2食で、しかもこの料理がついて7350円とは驚きである。
さらに歩いて1分の場所に本渡温泉センターがあるので申し分なしである。

「 また、行きたい宿 №.1 」 である。


鹿児島県加計呂麻島   「 生間 ( いけんま ) 港 」

2012-12-30 00:09:09 | 離島めぐり



生間港







生間港の乗船券発売所















生間港に入る「 フェリーかけろま 」








港の沖に松が立つ瀬がある








フェリーの上から写すと陸続きに見える





加計呂麻島の東にある生間港は、諸鈍や安脚場などに行くのに適しており、
生間港から諸鈍までは歩いて行ける距離(700m)くらいである。
ここから諸鈍の大屯神社まで歩いて往復したが、
ほど良い距離であった。

行き先にもよるが、諸鈍や安脚場などに行くときはこちらの港からアクセスすると良いだろう。



宮崎県五ヶ瀬町   『 五ヶ瀬ワイナリー 』

2012-12-30 00:07:12 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒



山の中に忽然と姿を現した 「 五ヶ瀬ワイナリー 」












































「 夕日の里 物産館 」








地元の野菜がテンコ盛り




































あいにく雲って視界が悪いなかをわざわざバイクで訪れたライダーたち






豊かな大自然の中、標高660mの丘の上に立つ 「 五ヶ瀬ワイナリー 」 。
敷地内には地元の朝採れ野菜をもちよった 「 夕日の里物産館 」 や
地産地消の料理をご用意したレストラン 「 メゾン・ド・バン 」 があります。
大地の香りを詰め込んだ五ヶ瀬産ブドウ100%のワインを味わって頂きたい。
とにかく美味しいブドウの味が満喫できるワインである。





鹿児島県加計呂麻島  「 呑之浦と震洋 」

2012-12-29 00:02:30 | 離島めぐり
































震洋が格納されている呑之浦











加計呂麻島は太平洋戦争当時、軍の秘密基地などに利用された。
北部の薩川湾は戦艦大和や武蔵が停泊した港として有名。
「文学の森公園」がある呑之浦(のみのうら)はかつて特攻水雷艇「震洋」の基地があった所である。

震洋は、小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬(約250kg)を搭載し、
搭乗員が乗り込んで操縦し、上陸船団に体当たり攻撃する特攻兵器。
末期は敵艦船の銃座増加に伴い、これを破壊し到達するために2発のロケット弾が搭載された。
また、2人乗りのタイプもあり、こちらには機銃1~2丁が搭載され、指揮官艇として使用された。

震洋の構想は1943年ごろすでに黒島亀人連合艦隊主席参謀が語っていた。
終戦までに6000隻が生産された。

1944年8月大森仙太郎特攻部長から明治維新の船名から「震洋」と命名される。
秘匿名称は「○四(○の中に四)金物」(マルヨンかなもの)、
○四兵器。マルレと合わせて○ハとも呼ばれた。

なお、陸軍の四式肉薄攻撃艇(マルレ)とともに水上特攻兵器として知られるが、
マルレは最初から特攻艇として開発されたものではない(四式肉薄攻撃艇#開発の経緯)。


加計呂麻島の呑之浦に配備された第十八震洋特攻隊の隊長は島尾敏雄である。
島尾敏雄は震洋特攻隊の生き残りとして、その時の体験を純文学小説として書き上げた。
著書は多数。代表作は 『 死の棘 』 『 出発は遂に訪れず 』 『 震洋発進 』 等。
数々の賞を受賞しているが、島尾敏雄の没後、
『死の棘』は1990年に映画化、カンヌ映画祭でグランプリを取った作品である。
ちなみに作家の 『 島尾ミホ 』 は妻、写真家の 『 島尾伸三 』 は息子、
そして漫画家の 『 しまお まほ 』 は孫でになる。


「 高千穂 」 を飲んだ。

2012-12-29 00:00:28 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







昨日は、雨だったが現場に出て片付けをして、
倉庫に帰ってからダンプの掃除をした。
1年間フルに働いてくれた相棒である。
その恩返しではないが、かなり酷使したと思うので、
労いの意味も含めて掃除をした。
昼は会社の現場仲間と牡蠣や焼き鳥で打ち上げをした。
ビールばかり飲んだので、家では 「 高千穂 」 を飲んだ。
先日、中々を飲んだが、同じ宮崎の焼酎でも、味とインパクトが全く違うのである。
中々は初心者向けで飲みやすい焼酎だったっが、
25度でも高千穂は、麦の味がドッカーンと口の中で広がり、
まるで芋焼酎のような灰汁の強さである。
同じ高千穂の焼酎でも高千穂限定の 「 神人 」 とは違った焼酎である。





鹿児島県徳之島 「 金見埼灯台 と 金見埼トンバラ岩照射灯 」

2012-12-28 00:05:35 | 奄美群島の灯台

























灯台の上を飛行機雲が伸びる



















所在地 / 鹿児島県大島郡徳之島町 金見埼
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 等明暗白光  明3秒暗3秒
光度  / 8500カンデラ  
光達距離 /  13.5海里       
頂部までの高さ / 11.46m
平均水面から灯火まの高さ / 43.23m
現用灯器  / LC管制器Ⅱ型    電球 / C-1
設置、点灯および業務開始年月日 / S47.3.15





灯台と照射灯を兼備した親子灯台







180万カンデラの高度のLEX60キセノン現用灯器















金見埼はソテツでも有名な場所である








金見埼からみた海




所在地 / 鹿児島県大島郡徳之島町 金見埼
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 不動白光
光度  / 1800000カンデラ  
現用灯器  / LEX60キセノン   電球 / UXL-500
設置、点灯および業務開始年月日 / S47.3.15



金見埼灯台は、徳之島町の最北端に突き出た岬の上に設置された灯台と照射灯である。
灯台は金見崎付近の安全とその存在を知らせるために設置されたものだが、
照射灯は、金見埼灯台から北北東に4.1キロ離れた50mのトンバラ岩を照らすためのもので、
光度は180万カンデラになっている。どちらも初点は昭和47年である。


金見埼灯台および照射灯へのアクセス
金見埼灯台および照射灯へは、徳之島町を北に進むと山漁港がある。
その先にある金見集落のソテツトンネルの方へ右に入り、ソテツの方に行かず
真っ直ぐに海に向かって行くと突き当たりに灯台が見える。
駐車は、灯台の付近の広くなった場所に駐車できる。



鹿児島県徳之島   『 トンバラ岩 』

2012-12-28 00:03:38 | 離島めぐり







徳之島の北端にある金見埼灯台から北北東方約4.1キロにある高さ50mのトンバラ岩。
この島が見えると 「 徳之島に来たんだ 」 と思う。
金見埼灯台に併設する照射灯から航海の安全のため、この岩を照らし出している。




熊本県天草市  ・  近代文化遺産と石橋の 【 祗園橋 】

2012-12-27 00:07:44 | 近代化産業遺産・土木遺産



本渡 「 祗園橋 」

























































かつてこの祗園橋のたもとに 「 南蛮えのき 」 があった。












国指定重要文化財(指定年月 平成9年12月3日)

所在地 / 熊本県天草市中央新町・船の尾町
架橋  / 天保3年 ( 1832年 )
石工  / 石屋辰右エ門
長さ   /   28.6m   幅   /  3.35m
拱矢  /   2.9m   径間  /  不明



連続した桁を使った石橋は、鹿児島市慈眼寺公園内にある
五径間桁橋を見たことがあるが、これだけの規模の石組みの桁橋を見たのは初めてである。


この石橋は、天保3年(1832年)町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、
祇園神社の前にあることから、 「 祗園橋 」 と呼ばれています。
石造桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.35mあり、
45脚の石柱により支えられている。
下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されている。


祗園橋は、本渡市街地の中心を流れる町山口川に架けられており、
多脚式円弧型(正式には桁梁円弧型多脚柱付大石橋)という構造で、この形式では日本最大という。
これだけの脚 ( 5本9列=45脚 ) を持っていて、水害でよく流されないものだと思う。
理にかなった橋なのであろう。
一見雑に組まれているようだが、緩やかにアーチを描いており、優雅で美的な橋であり絵になる。

祇園橋が架かっているここは、案内板にもあるように天草の乱で激戦地となったところだが、
当時はこの橋はなかった。
橋が架かったのは乱から約200年後である。







祗園橋の付近は、寛永14年(1637年)11月 天草の乱で、
天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所である。
両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられている。
毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行われている。



熊本県天草市  ・  祗園橋にある 「 橋本徳寿の歌碑 」

2012-12-27 00:06:05 | 文学・文化・映画作品
















祗園橋の袂にある橋本徳寿の歌碑には、

「 町山口川の
 流れせきとめし
 殉教者の
 むくろ数百千にして
 名をばとゞめず 」



と、ある。

本渡市内の町山口川の流れを堰き止めるほど、
数え切れないほど多くの殉教者の死体であふれていた。
それも誰が誰だか名前も分からないほど変わり果てていた。
そんな状況を詠った碑である。


橋本徳寿 ( はしもと とくじゅ )

1894-1989 大正-昭和時代の歌人。
明治27年9月10日生まれ。木造船技師をつとめる。
大正7年土岐善麿(とき-ぜんまろ)の選で第1歌集「船大工」を刊行。
のち古泉千樫(こいずみ-ちかし)に師事,昭和2年歌誌「青垣」の創刊に参加した。
平成元年1月15日死去。94歳。神奈川県出身。
工学院卒。歌集に「ララン草房」「日本列島」など。


熊本県有明町   ・ タコが入る 「 蛸 壺 」

2012-12-27 00:01:46 | 探訪 ・ ドライブ







天草の港に行くとタコで売り出しているだけあって、
蛸壺が置かれているのを見かけるが、
タコが住む場所だから “ タコ部屋 ” ならぬ 「 蛸つぼ 」 である。





鹿児島県徳之島   「 やとグスク 」

2012-12-26 00:09:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



やとグスクの全景








グスク頂部にある平らな石








6畳ほどある頂部広場















物見台を思わせる石








加工されたように面が整った石







大きな石がゴロゴロしているグスク北側の斜面








グスク下にある手々海岸







グスク入り口にある 「 手々郵便局 」





やとグスクは、徳之島の北部にある手々海岸に面した標高約50mの丘陵の北端に位置するグスクである。
グスクの北側には大岩を平たく加工したと思われる石垣があり、
頂部には何かの儀式に使ったと思われるような3段になった丸い石と
四角に切り揃えられた石が置かれている。
北側に突き出た大石は、その眺望からしてそこが見張り台ではないかと推測される。
グスクの構造からすれば見晴らしが良く、急斜面になっていることから
北からの侵攻に備えた見張り台の役割をしていたのではないかと思われる。
そんなグスクは急斜面なうえ、草木に覆われて中に入って行くのはかなり困難であった。






やとグスクの下の墓地にある 「 掟大八目の墓 ( 按司墓 ) 」



グスクの入り口には石門のある按司墓が現存する。
その按司墓は掟大八目 ( ウフハチミー ) の墓で、
掟とは今の区長役という意味で、大八目の目は、ヤクムィー ( 兄 ) という意味だとされている。
そんな大八の墓の周囲には大八を守るように六つの家来の墓石があり、
これを総称して按司 ( アジ ) 墓と呼んでいる。
また、この場所は神高い場所として関係者以外の立ち入りが禁止されている。
ここはかなり霊的な威力が強い場所なので塩などを持参することお薦めしたい。


やとグスクへのアクセス
やとグスクへは徳之島を北へ走り、
金見崎を過ぎると手々小学校と郵便局があり、
その集落から右に下りて行くと海岸に突き当たる。
海岸の左側に墓地があり、その奥がグスクになる。
駐車は、海岸の入り口広くなった場所に駐車した。