「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県五島市 ・ 五島情景 「 福江港 」

2015-08-31 11:37:41 | 写真







     福江港 ・・・
     
     うどんと椿とカンコロ餅

     キリシタンと

     青い海の島 五島に

     来月また渡ろう





第10位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント「 屈伸運動 」

2015-08-31 06:06:41 | 今日の占い

       昨日から降りだした雨音は
       ぐっすりと眠れる
       睡眠薬となった

       そんな今日の
       占いは10位で
       ラッキーポイントは屈伸運動

       やることなすこと
       逆効果らしいが
       雨やそれにめげないで
       頑張りましょう




長崎県長崎市神の島 「 神ノ島天主堂 」

2015-08-31 03:04:41 | 教会



長崎湾や女神大橋が見える場所に天主堂が建っている










白亜の天主堂が外国を思わせる








長い階段を上って門まで来ると目の前に天主堂が現れる








頭頂にある8角形から立ち上がるドーム








もっともインパクトの強い棟尻に立つ柱








各所に明かり取りの小窓が設けられている








破風には溝が彫られ水切りに笠木が設置されている








連続したシンプルな窓枠








色とりどりのステンドグラスから漏れる明りが夢を与える








リズミカルでがっちりしたリブ・ヴォールト天井








特徴的な白い束ね柱








民家の間を抜けて長い階段の上に天主堂がある









背景の山に浮かび上がる白亜の天主堂









十字架を乗せた門柱の向こうに女神大橋が見える








天主堂横の窟に立つマリア像








神ノ島天主堂の下にある海に向って建てられたマリア像








ドンク岩に立つ 「 マリア像 」

















長崎湾を見守る海の玄関の教会


所在地  /  長崎県長崎市神の島町
竣 工  /  1897年  ( 明治30年 )
設計者  /  デュラン神父
教会の保護者 /  聖フランシスコ・ザビエル


昭和42年ごろまで小さな島だった神ノ島。
その突端にそびえる神ノ島天主堂は絵になる教会である。

慶応元年にキリシタンの存在が発覚するや、
神ノ島にはブレル神父が巡回するようになり、
明治13年からラゲ神父が定住し、木造の天主堂を建造した。
そして明治25年に赴任したデュラン神父が現在の天主堂の原型を作ったのである。
大正9年とその後2回の改修を経て現在の形になっており、
大浦天主堂に次ぐ早期の信仰告白が天主堂建設の由来となっている。

建物の特徴は正面中央の塔屋とその上に設けた鐘楼と、棟尻に立つ柱である。
頭頂には8角形から立ち上がるドームがあり、天主堂を象徴する意匠となっている。
堂内に入ると、白い束ね柱とリズミカルに交されたリブ・ヴォールト天井が目に入る
眩いばかりの白さを誇る外観は、煉瓦建物に石灰とセメントを塗っているためで、
もともとは漆喰塗りであったと言われている。


神ノ島天主堂へのアクセス
神ノ島天主堂へは、ながさき出島道路から左に「女神大橋」方面に行き、
「女神大橋」を渡り、渡り終えたところから左に降りて行くと
マリア像のある四郎ヶ島の向かいの山の中腹に天主堂が見える。
駐車は、天主堂下に広場があるのでそこに駐車した。



長崎市 「海上から見た神ノ島天主堂」

2015-08-31 01:02:41 | 教会



神ノ島教会とドンク岩に立つ岬の聖母像

















      五島や高島
      そして軍艦島の行き帰りに
      その姿を海上から見ることが出来る

      現存する長崎の教会で
      四番目に古い
      白亜の教会だ




大分発 「 カボス着 」 炭酸水割りで神経錯覚?

2015-08-31 00:36:41 | 日記 ・ イベント














       毎年、この時期になると
       大分から 「 カボス 」 が届く

       そのカボスは料理よりも
       搾って飲むほうが多いが
       あの酸っぱさがクセになる

       昨日、仕事が休みだったので
       倒木やスレートの張替えなどの
       台風処理をした
       かなりの量だったので汗をかいた
       それで
       ゆっくりと朝風呂に入った
       風呂からあがって
       カボスを炭酸水で割って飲んだ
       
       もちろんアルコールは無しだが
       飲んで近くのスーパーに行ったら
       酔いが回った

       ノンアルコールなのに
       まさかと思ったが
       完全にハイボール状態だった

       神経が錯覚を起こしたのだろうか?
       昼間の炭酸水割りについて
       医学会で議論していただきたいと思う

       飲んで酔うこともあるが
       ただの一度も飲酒運転をしたコトがない
       これは今まで試験に一度も落ちたコトがない
       それ以上に誇れるコトだと思う




長崎県五島市岐宿町 「 カトリック水ノ浦教会 」

2015-08-30 03:04:41 | 教会




























海辺に佇む ” 白い貴婦人のような教会 ”


江戸時代末期、岐宿地区では大村藩領から移住した潜伏キリシタン達が
楠原、水ノ浦、打折、姫島などに別れて住みました。
水ノ浦教会の歴史はそのうちの5人の男性とその妻子の移住に始まります。
彼らは仏教徒を装いながら密かにキリスト教を信仰する日々でした。
慶応2 ( 1866年 ) の頃上五島の信者が水ノ浦に来て、
長崎の大浦にキリシタンの教会が建っていることを告げました。
同年11月8日水ノ浦の帳方等3人が長崎に行き、
プチジャン司教 ( 1866年秋・司教叙階 ) に面接し、
司教から“十字架のしるし”をするよう言われましたが
3人とも“十字架のしるし”の知識がありませんでした。
3人はその場で司教から丁寧に教えてもらい、
メダイや十字架を貰い受けて帰島しました。

明治元 ( 1868年 ) 12月25日、水ノ浦のキリシタン達が
帳方の家に集まって祈っているところを役人に踏み込まれ、
4~5日後30余名の男性が捕えられ、急ぎ牢にしつらえた同帳方宅につながれました。
まもなく姫島の信徒もこの牢に入れられました。

また楠原でも同じく帳方宅を牢屋に充て、33名がつながれました。
明治2年の初め一たん出牢を許されたものの、
まもなく再入牢となり大半の信徒は同年6月に出牢を許されたが、
主だった8名は更に2年余を牢内に留め置かれた。

水ノ浦の信徒たちは、禁教の高札撤去から7年後の明治13 ( 1880年 ) に
水の浦湾を一望する小高い丘の上に最初の教会を建立しました。
五島内では、いち早く建てられた教会のひとつで、木造の純日本的な教会でした。
日曜日には地元水ノ浦の信徒に加え打折、惣津からは船で、
また楠原からは歩いて山越えしてくる信徒らで教会に入れない信徒も出るほどであった。


明治17年 ( 1884年 ) 水浦カネは、生家を女部屋 ( 水ノ浦修道院の起こり ) とした。
60年近くの歳月を経て水ノ浦の信徒を見守リ続けた教会は、
容赦なく吹き付ける潮風に老朽化してしまい、建て替えられることになった。
鉄川組の請負建築で、五島出身の名工鉄川与助が設計施工し、
ほとんどの職人が長崎からやってきた。
水ノ浦教会の建設は、当時雲仙に建てる予定だった教会が、
諸般の事情により取りやめとなったため、その資材を、そのまま買い受けて進められた。

建設作業には当時の主任司祭が自ら汗と泥にまみれて陣頭指揮に当たった。
信徒達は大人も子どもも資材の運搬や、整地作業に汗を流した。
敷地を広げるため奥の土手を削り取り、
その土は浜の一隅を埋め立てるためワイヤーを張り、
もっこでつり下ろす当時としては珍しい作業も行われた。
また修道女達も骨の折れるのもいとわず、赤土運びや松材の運び出し、
赤土とセメント塗り、石灰焼きに左官の補助作業など毎日奉仕に汗を流した。
 
こうして昭和13 ( 1938年 ) に完成した祈りの家は、
与助にとっては、リブ・ヴオールト天井を有する最後の教会になった。

水ノ浦教会は入江を見下ろす小高い丘の上に建てられた白亜の優美な教会で、
沖合いには、百数十年のキリシタンの歴史を刻み今は無人となった姫島も望める。
木造の教会内部はリブ・ヴォールト天井が優しい曲線を描き出し、
大きな窓から差し込むやわらかい光が堂内にあふれている。
尖塔がそびえる水ノ浦教会は、青い空をバックに絵になる美しさで
多くの人を魅了し訪れる人が後を絶たない。
また、ここでは聖母マリアの命日である8月15日には、聖体行列が行われる。


所在地  /  長崎県五島市岐宿町岐宿1644

教会の保護者 / 被昇天の聖母



沖縄県南城市知念 ・ 「 斎場御嶽  /  三庫理 ( サングーイ ) 」

2015-08-30 02:02:03 | パワースポット






自然岩や洞穴に囲まれたこの場所には、
いくつもの拝所が集まっている。

正面に見える三角形の空間の突き当たりが三庫理 ( サングーイ ) である。
右側がチョウノハナの拝所で、
いずれも首里城内にある場所と同じ名前を持っている。
また、左側から以前紹介した太平洋と久高島が遠望できる。

さて、三角岩の右側には 『 貴婦人様御休み所 』 と、
二本の鍾乳石が見えます。
滴り落ちる水はその下に置かれた壺に受けられ、
それぞれが中城御殿 ( 国王の世子 ) と聞得大君御殿の吉兆を占うとともに、
お正月の若水とりの儀式にも使われる霊水であった。



長崎県長崎市 ・ 石橋が見えない電停 「 石 橋 」

2015-08-30 01:21:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



石橋がある部分がエンタシスのように中膨らみになっている道路








電停横のドブ川







終点になっている電停 「 石 橋 」







電車はここで終わりだが、バス停は次の上田町へと続く





以前、NHKの 「 ブラタモリ 」 という番組のなかで、
長崎市内をぶらっと巡った時に、紹介された石橋。
かつて石橋がかかっていた場所に道路が拡幅されて、
石橋を解体することなくアスファルトをかぶせて路盤にしてしまった。
それがそのまま地名になり、道路になったわけである。

堀倫さんのブログで 「 ブラタモリ 」 が紹介された時に、
今度、石橋の探訪に行きますよ。とコメントを入れたら、
干潮時でないと入れないかも?って書いてあったように、
まぁ、水があっても膝くらいまでだろうと高をくくっていたら、
腰の高さまで水位があり、電停前の魚屋さんによると、
天然のうなぎがウヨウヨいるらしい。
誰も取る人が居ないので、増えているというが、
天然のうなぎは稀少価値だから、
石橋もだが、こっちも興味がわく話しだ。
「 ここのうなぎでは誰も食べる人はおらんやろ。 」 って言うと、
きれいな水にしばらく活かしておいたら、いいという。

かつて誰も入って取ったことがないうなぎである。
「 入って取りよっと、テレビ局が取材に来っ! 」 って言うが、
実際のところ、テレビ以外誰も見たことがない石橋を、
イツカ撮ってみたいと思っている。

「 そん時は、梯子かロープば持って来んと 」 って言ってたけど、
毎日、現場で履いている膝までの長靴と強烈な懐中電灯3個は必要だな・・・


第2位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 白いバック 」

2015-08-29 07:00:41 | 今日の占い

              昨日は1位だったけれど
              ヘトヘトに疲れるほど
              朝イチから鍛われた

              占いは
              悪いコトは当たっても
              良いコトは当たらないもの

              人生と同じだ





長崎県五島市 ・ 堂崎天主堂 「 マルマン・ペルー復活の夜明け像 」

2015-08-29 01:41:37 | 教会







「復活の夜明け」と名付けられたマルマン・ペルー像の説明板には、

「 1873年キリシタン禁制高札撤去後の日本宣教は、
パリ外国宣教会によって行われる。
堂崎にはフレノ師につづき初代主任司祭マルマン師が訪れた。
マルマン師は1877年より約10年間下五頭全域の宣教、
潜伏キリシタンの復帰に努めながら、
奥浦慈恵院へと続く孤児・貧児の救済事業を始めた。

1888年よりペルー師が2代目主任司祭となり、
1899年には井持浦に日本最初のルルド建立、
1908年5月10日に現在の赤レンガゴシック様式堂崎天主堂を献堂し
30年に及ぶ宣教司牧の日々を堂崎に捧げた。 」


寛政9 ( 1797 ) 年大村藩から五島への移住が始まり、
約3年の間に3,000人が移り住みました。
彼らは、地区の寺の壇徒となり仏教徒を装い、
密かにキリスト教の信仰を守っていたといわれています。
日本における江戸時代の教会の歴史には悲惨な物語が多く残されています。
それは、五島でも例外ではありませんでした。
しかし、明治に入っても、元(1868)年の久賀島牢屋の窄殉教事件をきっかけに
奥浦地区でもキリシタンに対する拷問や捕縛、入牢などの迫害が行われました。
それが、明治6 ( 1873 ) 年、ようやく禁教の高札撤去がなされると
いち早くフレノ師が来島し、
この堂崎の浜辺で五島初のクリスマスミサが捧げられたことが
地元で語り継がれています。
明治10年には司祭が常駐するようになり、五島での本格的な司牧が開始され、
以後島内各地に小教区制度が整うまで、
堂崎は五島キリシタン復活後の拠点としての重要な役割を果たすことになるのです。



長崎県新上五島町  「 若松大橋 」

2015-08-29 01:13:41 | 橋 ・ 鉄橋 ・ ダム ・ 隧道



























場所  /   新上五島町中通島
橋梁延長 /  522.0m
架設年次 /  1991年

若松島と上五島の中通島とを結ぶ全長522メートルのライトグレーの橋。
開通は平成3年 ( 1993年 ) で、
この架橋により「離島の離島」という若松島の地理気的悪条件が改善された。
周囲は西海国立公園に指定されており、
龍観山展望台からは青い海に映える若松大橋や
フェリーの行きかう若松瀬戸を眼下に一望できる。



競馬点描 ・ 心象風景 「 たてがみ 」

2015-08-29 00:00:41 | 馬の詩 ・ それぞれ...







       蝉しぐれが降り
       赤トンボが舞う
       小倉競馬場に

       秋の訪れを告げる
       木漏れ日は

       その背に
       たてがみに ・・・
  




第1位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーアドバイス 「 恋愛映画を見る 」

2015-08-28 06:08:41 | 今日の占い
        
        
        昨日は暑くてヘロヘロになった
        おまけに泥々に汚れて
        作業着は泥だらけである

        ヨレヨレになって
        家に帰ってすぐに洗濯機に
        シャワーを浴びて
        ビールを飲んでいると
        洗濯を終えたブザーが鳴った

        洗濯機から取り出した作業着は
        お尻の部分がまだ汚れていた
        洗濯機から出して初めて見たが
        これだけ汚れているとは
        思わなかった

        こんなに汚れたまま
        「 ほぼ一日すごしたのか 」 と思った

        そして今日も
        側溝の中に入らねばならないな
        それが 仕事だから・・・

        そんな今日のみずがめ座は
        たぶん今月になって初めての
        1位である
        そんなラッキーアドバイスは
        「 恋愛映画を見る 」 である
        恋愛映画を観てキュンキュンしよう



沖縄県那覇市 ・ 琉球競馬 「 古波蔵 ( こはぐら ) 馬場跡 」

2015-08-28 03:14:41 | 琉球競馬



馬場跡は現在は道路として活躍している








馬場の入り口にある馬場があったことを示す 「 競走馬の石像 」







「 競走馬の石像 」 に埋め込まれた説明板






馬場に隣接してあったかつての学校跡の碑










現在も広い道路として馬場跡が使われているのは、
那覇市楚辺 ( そべ ) の城岳 ( じょうがく ) 小学校前に位置する古波蔵馬場。
その馬場の入口に馬場跡を示す 「 競走馬の石像 」 が、
ガジュマルの大木の下に建っている。

旧・真和志村 ( 現・那覇市 ) を代表する馬場であった古波蔵馬場は、
直線200m、幅員10mの走路の両脇に大きな松並木があったと言われている。

ウチナンチュを熱狂させた琉球競馬は姿を消したが、
戦火を受けてもなお違ったカタチで、
その面影を残してくれていることに感激したのは言うまでもない。




長崎県新上五島町浜ノ浦郷 「 三本松の海 」

2015-08-28 02:12:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々



  



        「 うぉー こんなところに海がある 」
        思わず 
        そんなコトバが出て来そうな
        まさに感動の光景だった


        山道を抜けると
       
        突如視界が広がる

        そこに

        砂浜と

        静かな海があった 
      

        それは

        胸にしみる

        感動の景色だった