フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

ミシェル・トゥルニエ 「読まれるために書く」 MICHEL TOURNIER

2006-07-28 00:37:19 | 海外の作家

"J'écris pour être lu, pas par plaisir."

「私は楽しみからではなく、読まれるために書く。」

こう語ったのは、フランスの作家ミシェル・トゥルニエ Michel Tournier (19 décembre 1924 - )。御年81歳。最近の雑誌 Lire に出ていたインタビュー記事である。楽しみから、何の役に立つのかわからない、あるいは役に立たないことを密かに目指して書いているこのブログとは大きな違いである。

この方、本当は哲学者になりたかったらしいが、哲学の一級教員資格試験 agrégation に落ちたため、やむを得ず作家になった。それも上等の。この記事に気を惹かれたのは、彼がシュヴルーズ Chevreuse の手入れの行き届いた庭 (le jardin impeccablement entretenu) がある家に住み、昼食と子供に読書と哲学を教える時以外は世俗を避けてそこをほとんど出ない (Fuyant les mondanités, Tournier ne sort plus guère de son antre.) という件を読んだ時。昨年訪ねた私の友人宅がこの地にあり、あたりを散策した時に彼の家にわざわざ寄ってくれたことを思い出したからだ。こういう形で1年後に繋がってくるとは思いもよらなかった。

哲学の先生になれなかったので、ラジオの世界へ。そこでプラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カントという自分の秘密の庭を作る (Je cultivais mon jardin secret: Platon, Aristote, saint Thomas, Descartes, Spinoza, Leibniz, Kant.)。高度に哲学的な問題 (時間、空間、知識、他者との関係など) を選ぶことと誰にでも読んでもらえる物語を書くことを考えていた。それで選んだのがロビンソン・クルーソー (Robinson Crusoé)。そして出来上がった物語が43歳にして初めて出した 「フライデーあるいは太平洋の冥界」("Vendredi ou les limbes du Pacifique")。ロビンソン・クルーソ―の物語には哲学的な問題が少なくとも2つある。一つは孤独。彼は20年もの間一人で暮らしたのだ。それから他者との関係 (フライデーが島にやってきた時に生じる)。

その後出版社プロン Plon に入り、何でもやり楽しんだようである。プロンではマルグリット・ユルスナール (Marguerite Yourcenar) の「ハドリアヌス帝の回想」 (Mémoires d'Hadrien) を最初に読んだ人になる。「メグレ警視」 で有名なシムノン (Georges Simenon) にも会っている。

現代の作家で読むべき人は?との問いに、「ジュリアン・グラック」 と答え、その全ての作品を読むべきだと言っている。初めて聞く名前なので、これから触れてみたい。

Julien Gracq (27 juillet 1910 -)

トゥルニエはこれまで15冊程度しか作品を書いていない (同年代では50冊は書いていておかしくない)。彼の場合は一つのテーマに長い時間をかけるタイプで、陸上のスプリンター sprinter ではなくマラソンランナー marathonien だと見ている。若くして才能を燃やし尽くすよりは、ゆっくり進むのが好みのようだ。彼は先日触れたジャック・ロンドン (Jack London) を崇拝している。若くして (12 janvier 1876- 22 novembre 1916) 亡くなったが、全てをやってから逝った。世界を放浪し、金を求め、しかも作家であった。

古典とは?と聞かれて、教室で読まれる作品だと定義している。彼自身の作品も教室で読まれており、それが最大の誇りだという (C'est ma plus grande fierté)。

コメント (2)
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