フランスに揺られながら DANS LE HAMAC DE FRANCE

フランス的なものから呼び覚まされることを観察するブログ

J'OBSERVE DONC JE SUIS

早川良一郎 「さみしいネコ」 ESSAI "LE CHAT SOLITAIRE"

2006-07-17 17:30:23 | 日本の作家

昨日は、根津、千駄木のあたりをのんびりと歩きながら、土地に根を張りながら生活をしている人たちの日常を観察する。それから根津神社へ。歩いて御茶ノ水あたりまで出る。近くの本屋に入り今日のお題の 「さみしいネコ」 に手が伸びる。作者の早川良一郎という人は初めてなので普通は手にすることはないのだが、おそらく定年前後の日常から広がる話題がテーマになっていることと、池内紀氏の解説に惹かれたことが大きかったのではないか。50代から書き始め、最初は自家出版で199部。それがその筋の人の目に留まり、日本エッセイスト・クラブ賞をもらう。さらに60代にもう一冊書いているという。その経歴にも興味が湧いたことともあっただろう。

早速、近くのカフェでページを捲ると余りにもすんなり入ってくるので驚きながら読み進む。それから日比谷公園のカフェで、八丁堀の居酒屋で、、、ページを捲る。

この方、平凡なサラリーマン生活での観察から、周りの人々の中にある微妙な心の襞を淡々と共感を持ちながら語っている。これは落語に出てくる長屋生活の感覚ではないかと思わせるものもある。子供の頃、親爺の本棚にあった大人向けの随筆 (今題名は思い出さないが) の感触を思い出すところもある。当時の仕事盛りの日本人の生活感覚が滲み出ているようにも感じる。肩が凝らない、もっと言うと肩の力が抜けるエッセイである。

奥さんや娘さんとのやり取りも面白い。パイプをやられたようで、葉巻の話も出てくる。私もたまにやるのでついつい引き込まれる。犬のチョビとの生活も心が和む。チョビの話を読みながら、中学の頃家で犬を飼っていたことを思い出していた。おそらくテリアの系統で、チャーリーを名づけていた。その頃どんな関係だったのか今となってははっきりしないが、チャーリーが死んで庭に穴を掘って埋めた時には、何とも悲しい気持ちになったことが思い出される。そう言えば、学校に入る前には家でニワトリを飼っていて、朝その卵を食べていたことも記憶の中から甦ってきた。それにしても親はどういう考えでニワトリなど飼っていたのだろうか。近いうちに聞いて見たいものである(注)。

(注):このニワトリについて母親に確かめる機会があったが、知り合いの方から贈られたものとのこと。最後は卵を産まなくなって・・・と話していた(25 septembre 2008)。


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「さみしいネコ」 紹介文より

 早川良一郎は麻布生まれの麻布育ち。旧制麻布中学三年のとき父親を説得してロンドンに留学。日本大学仏文科卒後、経団連事務局に定年まで勤める。がむしゃらに働き出世街道をかけのぼるのではなく、坦々とサラリーマン人生を全うした人物である。
 群れることを好まず、党派や派閥などといっさい縁がなく、ひっそりと人と世の中をながめていた。他人へのいたわり、私的なことの領域に対するつつしみ、こまやかな神経が通っていて、しかも少しも窮屈ではない。こういう人こそ本当の教養人といえるだろう。

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一日休みが増えるだけで、これほど有効に休むことができるということを今まで知らなかった。精神衛生にもよい影響を及ぼすような予感がする。新たな発見になった。

コメント (2)
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