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ハイデッガーの二つの顔 (I) LA DOUBLE FACE DE HEIDEGGER (I)

2006-07-09 13:26:14 | Heidegger
       Martin Heidegger (26 septembre 1889 - 26 mai 1976)

先週届いた Le Point の文化欄に、ハイデッガーとナチとの関係について特集が組まれている。ハイデッガーの死後30年ということと上級教員資格試験 (agrégation) に彼の哲学が初めて取り上げられたことが関係しているらしい。ハイデッガーを知らずして高校の哲学教師にはなれないということになる。

私も先日ハイデッガーを味わうために生まれてきたとのご宣託をいただき、最近彼の 「ヒューマニズムについて」 を暇を見て齧っているので、初めての言葉に溢れている6ページの記事を読んでみることにした。

ハイデッガーのナチ問題については、1987年にヴィクトル・ファリアス Victor Farias が出した "Heidegger et le nazisme" (Verdier) により再燃し、例えば、ジャック・デリダ Jacques Derrida などの発言や ユーゴ・オット Hugo Ott "Martin Heidegger. Éléments pour une biographie" (Payot, 1990)、エマニュエル・フェイ Emmanuel Faye "Heidegger, l'introduction du nazisme dans la philosophie" (Albin Michel, 2005) などに対し、フランソワ・フェディエ François Fédier を中心とした激しい敵意に満ちたカウンターアタック "une virulente contre-attaque" (今年の4月には "Heidegger à plus forte raison" が出ている) が続いているという。

南ドイツのカトリックの村に樽職人 (tonnelier) の息子として生まれる。その生まれからか、彼は終生土地にしっかりと根ざした人間としてあることを望み、根無し草として世界に生きること ("cosmopolite"、"déraciné") を拒否した。彼にとって資本主義の論理は異質なものとしてあり、自然を技術で加工していくことの先に見えるものを予見し、犯罪的な破壊であると見ていた。

初めは神学を勉強していたが、20歳の時に哲学に転向する。しばらくは目立ったこともなかったが、37歳の時に発表した "Sein und Zeit" ("Etre et Temps" 「存在と時間」) で一躍有名になる (Le retentissement est immédiat.)。それは古代ギリシャのプラトン、アリストテレスの時代からある問題だが長い間忘れられていた 「存在の意味 le sens de l'être」 に光を当てたからである。彼はすでに存在するいろいろなものの属性について問うのではなく、「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」 という問題について考察を加えた。そこに彼の真価があった。また理性の支配する領域に詩的な語り口を求める。そのためフライブルグ大学でも人気が出て、ハンナ・アーレント Hannah Arendt、エマニュエル・レヴィナス Emmanuel Levinas などの優秀な学生が集まった。

1960年代から80年代までは、彼とナチとの関係についてはほとんど話題にならなかった。ここまでは彼の明るい顔 (face claire) になる。

コメント (4)
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