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◯ Magician's // 野心的な起業家がマジシャンから学ぶべき「3つのトリック」

2018-04-29 00:19:41 | ♪ One Short Talk
2018-04-29 00:19:41 Inc

I've always loved magic. For me, it went beyond entertainment; it was an intellectual endeavor. I enjoyed trying to figure out how an illusion was done. The actual solution didn't matter because it was the process of thinking about the effect that I liked.

When I was younger, there was a TV show called, "Breaking the Magician's Code." Each week, the "masked magician" revealed how some popular tricks were done.

On the show, which is now on Netflix, he first performs the illusion as the audience would see it. Then he would do the trick again, showing how it was done. I would watch the show and pause after he performed it the first time, before the reveal. I would then write down all of the different ways I think he could have done the trick. Only after I had at least one solution, I would watch how it was done. The reveal typically involved showing the trick from different camera angles. In doing this, the solution becomes obvious.

My love affair with magic started when I was a young kid. Over the years I've found that magic and innovation are close cousins. Although there are many more parallels, here are three concepts I learned about innovation by studying magic:

1. The brain can't be trusted.
Magic is so impressive because the brain doesn't always process everything it sees accurately. It takes shortcuts, makes assumptions, and (often incorrectly) fills in gaps. When we see someone go in a box to conceal their body, only revealing their head and feet, we automatically assume that the feet are from the same person whose head we are looking at. But what if they aren't? With innovation, our brain is also often fooled. We take shortcuts and fill in gaps, leading to incomplete solutions. Be sure that any time you develop a new idea, you look at it from multiple perspectives. What are you missing? What assumptions are you making? Just like the reveal, you need different camera angles.

2. Start with the illogical.
Although this may seem obvious, magic tricks must appear impossible. Something must be done that appears to defy the accepted laws of the universe. Cut someone in half, without killing them. Make someone disappear. Read our minds. Magicians make the impossible possible. Compare this to the world of innovation where we're typically only looking to make the possible possible. How can we learn from this mindset? When looking for solutions to a pressing, ask yourself these starter questions: What would be an impossible solution? What is the worst solution? What solution might get us arrested? Then ask, what are the attributes you like about these "crazy" ideas and how can I leverage them to find an unusual yet workable solution?

3. Performance is as important as the method.
Anyone can perform tricks. But real magicians know there is much more to magic than knowing the secret. On Britain's Got Talent, one of the finalists performed a trick I bought years ago for about $20 at a local magic shop. It is simple to do. When I perform it, it is mildly entertaining. When he performed it, it was a minor miracle. With innovation, the performance is as important as the solution. New technology is great, but you need to back it up with excellent human support. The experience your customers have with your new innovation is as important as the innovation itself. Technology can easily be replicated by your competition. However, a good performance is much more difficult to copy.

I was recently at a convention with 500 magicians. Given I'm a magic geek, I loved it. But over time I've come to realize that the real magicians are the hard-working people in companies who are trying to make the world a better place through innovation. And when we view innovation through the lens of magic, it can even make it more enjoyable. Or as Walt Disney once said, "It's kind of fun to do the impossible." Now go make some magic!

PUBLISHED ON: APR 17, 2018


野心的な起業家がマジシャンから学ぶべき「3つのトリック」

Inc.
2018/04/28

優れたマジシャンが持つスキルは、野心的な起業家にも当てはまるものだ。みなさんは必要なスキルを持っているだろうか。
マジックとイノベーションの共通点
私は長らくマジックを愛してきた。私にとってマジックは、単なるエンターテインメントを超えた知的な試みだ。このイリュージョンの仕掛けはどうなっているのかと考えるのが楽しいのだ。といっても実際の答えは重要ではなく、そのイリュージョンについて考えるプロセスを楽しんでいたのだ。
私が若いころ、『Breaking the Magician's Code』(破られたマジシャンの掟!)というテレビ番組があった。「覆面のマジシャン」が毎週、有名なトリックの種明かしをするというものだ。
現在はネットフリックスで配信されているこの番組で、覆面のマジシャンはまず、観客が通常見るとおりにイリュージョンを実演する。次にその同じトリックを、今度は仕掛けがわかるようにやってみせる。
私はいつも、マジシャンが最初にトリックを披露して、種明かしをする前で一時停止して、思いつくトリックの答えをすべて書き出すことにしていた。少なくとも1つは答えを思いついてから、種明かしのパートを観るのだ。
種明かしはたいてい、トリックを異なるカメラアングルから映す形で披露された。違う角度から見ると、答えが一目瞭然でわかる。
私のマジックへの愛は幼いころに芽生えたが、年月を経てみると、マジックとイノベーションはよく似ていることに気づく。共通点はいろいろあるが、私がマジックの研究を通じて学んだイノベーションの秘訣を3つ、以下にご紹介しよう。
1. 脳はだまされる
マジックが人を驚かすのは、脳が見たものすべてを正確に処理するとは限らないからだ。脳はときに近道をとり、推測を立て、空白を埋める(しばしば間違ったやり方で)。
誰かが箱の中に入って体を隠し、頭と足だけを出したら、その足は箱から出ている頭と同じ人間のものだと、われわれは自動的に推測する。しかし、実際は違っているとしたら──。
イノベーションにおいても、われわれの脳はしばしばだまされる。近道して空白を埋めた結果、不完全なソリューションにたどり着くのだ。
新しいアイデアを練るときは、いろいろな角度から見てみることが肝心だ。見落としている点はないか。推測しているところはないか。マジックの種明かしと同じで、カメラアングルを変えてみることが必要なのだ。
2.「不可能」を出発点にする
言うまでもないことかもしれないが、マジックのトリックは不可能に見えるものでなくてはならない。この世の普遍的法則を無視しているかのような、何らかの仕掛けを施さなくてはならない。
人間を生きたまま真っ二つにしたり、その場から消し去ったり、相手の心を読んだりと、マジシャンは不可能を可能にする。
それに比べてイノベーションの世界では、たいていは、最初から可能なことを実現しようとしてばかりだ。そんな姿勢から、どうやって何かを学ぶことができるだろう。
問題のソリューションを見つけようとするときは、まず初めにこんな問いを自分に投げかけてみるといい。「不可能なソリューションにはどんなものがあるか」「最悪のソリューションとは」「下手をすると逮捕されかねないソリューションとは」
問いに答えたら、次にこれらの「クレイジーな」アイデアで自分が気に入った要素はどこか、またそうした要素を生かして普通ではないが実現可能なソリューションを見つけ出すにはどんな方法があるかと、考えを巡らせてみよう。
3. パフォーマンスはトリックと同じくらい重要
トリックを実演するだけなら誰だってできる。しかし本物のマジシャンは、マジックとはネタを知っていればいいというものではないことを理解している。
オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』で、あるファイナリストが実演したトリックは、私が何年も前に地元のマジックショップで20ドルほどで購入したものだった。いたって簡単なトリックだ。
私がそれを実演しても、ちょっとした余興にしかならない。しかし、そのファイナリストが実演してみせたトリックは、ちょっとした奇跡だった。
イノベーションにおいても、パフォーマンスはソリューションと同じくらい重要だ。最新のテクノロジーがいくら素晴らしくても、われわれ人間の優れたサポートが欠かせない。新たなイノベーションが顧客にどんな体験をもたらすかは、イノベーションそのものと同じくらい重要だ。
テクノロジーは、たやすくライバルに取って代わられることもある。しかし、優れたパフォーマンスを真似るのは、それよりはるかに難しいことだ。
*   *   *
私は先日、500人のマジシャンが集まるコンベンションに参加した。マジックおたくの私はおおいに楽しんだが、しかし時間が経つにつれて、本物のマジシャンとは、企業においてイノベーションを通じて世界をより良くしようと熱心に働いている人々なのではないかと気づいた。
そして、マジックというレンズを通してイノベーションを見ると、それはいっそう楽しいものに思える。かつてウォルト・ディズニーが言ったように「不可能と思われることをやってのけるのは、けっこう楽しいこと」なのだ。われわれもマジックを実現してみせよう。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Stephen Shapiro、翻訳:高橋朋子/ガリレオ、写真:mazartemka/iStock)
©2018 Mansueto Ventures LLC; Distributed by Tribune Content Agency, LLC
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.

◯ 『キェ――イ』『猿叫』 薩摩示現流

2018-04-28 19:15:27 | ♪ One Short Talk
2018-04-28 19:15:27



○ 『猿叫』 薩摩示現流

07/11/22 12:05 ♪PFK ASAP NEWS
『キェ――イ』 


耳の中で強烈に響く大音声。 
この薩軍の東郷氏と至近距離で立ち合ったら、この声でまず押しつぶされる。 
さらに、一瞬の間もない袈裟懸けにあって、右肩から左足の鼠径部まで斬られ身体が2つになり、絶命だ。

新撰組の近藤勇がいう。 
「示現流と立ち合うとき、まず、初太刀をはずせ」だ。 

東郷重位(ちゅうい)関ケ原時代の人(1561~1643) の末裔、東郷重得さんは言う。 

「そうですね。それが常識です。示現流には防御がありません。一の太刀をはずされれば、斬られるだけです。しかし、はずしませんよ」 

この伝統は前の戦争の、海軍の零戦に引き継ぎのかなぁ。 


東郷重位は、183センチ80キロの当時では大男で、同時期に宮本武蔵、柳生宗矩がいた。 



「剣の極意はと聞かれた武蔵は『見切ることだ』と弟子に答えている。相手の技量を見切って、勝てると思わなければ戦わない。武蔵は64度の対戦に全部勝った。重位も果たし合いなど64度勝ってやはり負けていない。 
宮本武蔵は熊本にいておそらく重位のことは耳に入っている。立ち合っていないのは、武蔵は見切ったんでしょう、重位は強いと」





薩摩言葉 1つ 


「たちんこんめ」 

意味は、こんめ:来る前に    たち: 太刀 

「太刀が来る前に」→→ 
「素早く物事をやる」 



この「こんめ」は応用できる。 

「先生んこんめ」 


「上司んこんめ」 

「女房んこんめ」 

の後に 


「定年んこんめ」


「ボケんこんめ」

と続いてゆく。 

◯ Shohei Vs Shodai MEGAEVENT / 大谷vs田中、MLBでの初対決に米地元紙も注目「日本ではメガイベントとなるだろう」

2018-04-26 18:59:25 | ♪ One Short Talk
2018-04-26 18:59:25 THE ANSWER編集部


大谷vs田中、MLBでの初対決に米地元紙も注目「日本ではメガイベントとなるだろう」

大谷vs田中、MLBでの初対決に米地元紙も注目「日本ではメガイベントとなるだろう」

2018.04.26
著者 : THE ANSWER編集部
キーワード : 大谷翔平 • 田中将大
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米大リーグで夢の対決が実現しそうだ。エンゼルスは27日(日本時間28日)からヤンキースとの3連戦に臨む。28日(同29日)のヤンキースは田中将大投手が先発予定で、DHで先発予定の大谷翔平投手との対戦が濃厚。米メディアもこの日本人対決に注目。「日本ではメガイベントとなるだろう」と注目している。

大谷翔平【写真:Getty Images】
大谷翔平【写真:Getty Images】
田中が先発28日に対戦濃厚、「オオタニは右腕と対峙する可能性が高い」
 米大リーグで夢の対決が実現しそうだ。エンゼルスは27日(日本時間28日)からヤンキースとの3連戦に臨む。28日(同29日)のヤンキースは田中将大投手が先発予定で、DHで先発予定の大谷翔平投手との対戦が濃厚。米メディアもこの日本人対決に注目。「日本ではメガイベントとなるだろう」と注目している。

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 24日(同25日)のアストロズ戦で自身4度目の先発マウンドに上がり100マイル(約161キロ)超の直球を連発した右腕。勝敗こそつかなかったが、そのポテンシャルの高さを存分に見せつけた。25日の同戦は欠場。27日からのヤンキース戦では打者としての期待がかかっている。

 一方の田中は23日のツインズ戦で6回2/3を3安打1失点の好投で3勝目をあげた。次戦は28日の先発が有力視されている。大谷にとっては初の日本人対決を、米地元紙「オレンジカウンティ・レジスター」が取り上げている。

「もちろん、もしオオタニが土曜日にDHとしてスタメン入りしタナカと対戦したら、日本ではメガイベントとなるだろう。オオタニは日曜の左腕サバシアよりも、金曜と土曜に出場し右腕と対峙する可能性が高い」

パ・リーグ時代以来5年ぶり対戦、日本では11打数ノーヒットと田中が完璧に抑えている



パ・リーグ時代以来5年ぶり対戦、11打数無安打と田中が完璧に抑えている
 記事ではこう伝えている。大谷はここまで打者として42打数14安打、3本塁打11打点の成績を残しており、4番にも座った。田中も調子を上げており、この対戦は必見のものになりそうだ。

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 日本では2013年に日本ハム・大谷と、楽天・田中として対戦しており、当時1年目だった大谷は田中の前に11打数無安打6三振と完璧に封じられていた。

 5年ぶりの注目のマッチアップ。日本のみならず現地でも大きな関心を呼びそうだ。




快音連発の大谷vs調子をあげる田中、田中のツインズ戦での奪三振集【視聴期間:2018年5月30日まで】
(THE ANSWER編集部)



◯ Yogis Baba Superstar.◯ インド最速成長企業を仕切る「ヨギ」の正体(前編)

2018-04-26 08:28:30 | ♪ One Short Talk
2018-04-26 08:28:30 Bloomberg


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This Multibillion-Dollar Corporation Is Controlled by a Penniless Yoga Superstar

Baba Ramdev renounced the material world. So why is he selling toothpaste, instant noodles, and toilet cleaner?



But today he can be found in the most material of places. Turn on an Indian TV, and there’s Ramdev, a supple yoga megastar in saffron robes, demonstrating poses on one of the two stations he oversees. Flip the channel, and there’s Ramdev in commercials selling shampoo and dish soap. Walk any city on the subcontinent, and there’s his face in stores selling the wares of Patanjali Ayurved Ltd., the multibillion-dollar corporation he controls.
Ramdev has said his goal is to sell an ayurvedic item, based on India’s ancient medical traditions, for every household need: toothpaste made from cloves, neem, and turmeric; hand soap made from almonds, saffron, and tea tree oil; floor cleaner made from the “natural disinfectant” cow urine. Since 2012, Patanjali’s revenue has climbed twentyfold, from $69 million to $1.6 billion. It’s the fastest-growing company in Indian consumer goods, and Ramdev predicts he will overtake the subsidiaries of multinational giants such as Nestlé SA and Unilever NV as soon as next year. “The ‘gate’ in Colgate will shut,” he once gloated. “Pantene will wet its pants, the lever of Unilever will break down, and the little Nestlé bird will fly away.”
It might seem like an impossible arrangement—observing an oath of poverty while also being one of India’s top entrepreneurs. But Ramdev is a master of contortion. Patanjali is an omnipresent brand in India, and though everyone refers to it as Ramdev’s company, he’s not technically its owner or chief executive officer. It would be scandalous for a sanyasi to profit from a corporation, and Ramdev neither owns shares nor takes a salary. He says his net worth is zero. The company calls him merely its “brand ambassador,” a title that belies his power.
“If you had to choose the top five living extraordinary Indians, people who have changed the landscape,” says Chiki Sarkar, publisher of New Delhi’s Juggernaut Books, “Ramdev would make the list.” Other modern yogis have large, loyal, and lucrative followings, but Ramdev is the only one to build a sprawling for-profit enterprise in his image. On a three-axis chart of holiness, capitalism, and lumbar flexibility, he occupies a point beyond anyone else on Earth.
Despite his success, Ramdev’s life has gone strangely unexamined. No one even knows the year he was born. (He’s probably in his early 50s.) “He’s so visible, and yet so little understood,” said Priyanka Pathak-Narain, a Mumbai journalist whom Juggernaut hired in 2016 to write his biography. She sees him as “a perfect lens through which you can examine India today,” sitting as he does at “the nexus of business, religion, and politics.” Patanjali’s ayurvedic brand has soared in the climate of Hindu nationalism that lifted India’s ruling party, the right-wing Bharatiya Janata Party, to victory in 2014. Ads for the cow-urine floor cleaner, for example, urge consumers to “save the country from the economic exploitation of foreign companies” and “join the movement to save the cow, our holy mother.”
Ramdev says his worldview is “scientific, secular, and universal”—but he also claims yoga can “cure” homosexuality and has openly fantasized about beheading people who refuse to chant nationalist slogans. He courts attention with publicity stunts, such as televised wrestling matches, while also fighting scrutiny. When he heard last summer that Pathak-Narain’s book, Godman to Tycoon, contained unflattering details, he sued and had its distribution blocked in court. (I spoke with the author once, by phone, before a judge issued a gag order.)
Ramdev objected, in particular, to what Pathak-Narain calls three “mysteries” involving the deaths or disappearances of close associates over the course of his career. Ramdev was never named as a suspect in any of the investigations, and he didn’t want to comment when I asked him about the book. “Such people have only one motivation,” he said, “and that is publicity through maligning others.” He offered a much simpler story of his success—a myth more than a biography, which is what you might expect for a person who “is worshiped as a Godman,” as his court filings against Pathak-Narain claim. “This earth, sun, and all of nature are doing their jobs without any expectation,” Ramdev said, burping midway through the sentence. “So I am doing my job.”

Some of Patanjali’s hundreds of ayurvedic products.PHOTOGRAPHER: TED CAVANAUGH FOR BLOOMBERG BUSINESSWEEK
When I got to Delhi in the fall, I dropped my bags and set out for a Patanjali shop I’d seen from the airport taxi. I was intercepted, however, by a young man named Kumar Rishi, who had a tattoo of Bob Marley on one biceps and Jack Sparrow on the other. “Baba Ramdev is my hero,” he said when I told him where I was going. He offered to take me to another, better Patanjali shop, and though I knew not to trust touts, I went along and purchased a tube of toothpaste for 40 rupees (60¢). Several hours later (after Rishi took me to a temple, a restaurant, a war memorial, the prime minister’s residence, and, finally, a travel agency, where a likely accomplice tried to bully me into a trip to Kashmir), I was back at my hotel to give it a try.
The label of Patanjali’s signature toothpaste, Dant Kanti, lists 13 different herbs. I squeezed some onto my toothbrush and was surprised that it was brown. It was the color of dirt and decay, the very things I wanted to keep out of my mouth. The flavor, however, was pleasing and unlike any toothpaste I’d tasted in the West: spicy with clove, bright with spearmint, and a little bit bitter with neem. I soon got used to the color and found myself happily spitting brown foam into my hotel sink every morning.
As an American reporter, I expected it would be difficult to arrange an interview with Ramdev, given the controversy over the book and the frequent speeches he gives railing against the West. But after just a few emails, his press officer invited me north, to Haridwar, a holy city along the Ganges where Patanjali has its corporate headquarters, as well as an ayurvedic hospital, a yoga school, factories, and a research lab.
Hindus believe Lord Vishnu once left a footprint on a wall in Haridwar, and thousands of pilgrims assemble daily by the water for festivities and prayer. On the riverbanks, I saw dozens of gaunt men in saffron loincloths, with wild hair and windsock beards, seeking alms: sanyasis, like Ramdev. They are figures of great respect and moral authority in Hindu culture, and while many Indians agree sanyasis can’t accumulate wealth or property, there’s no official set of rules governing their conduct.
Ramdev’s home is on the outskirts of the city—in a walled garden he shares with bees, butterflies, and armed security guards. I entered the estate through two huge gates with golden lion-head door knockers, and drove down a brick path toward a complex of tidy white buildings. Ramdev received me in a comfortable parlor, with an ample porch and several couches and armchairs. “Nowhere in our religious books and scriptures is it written that a sanyasi should be a mendicant,” he said, referring to the kind of beggars I’d seen along the Ganges.
Ramdev clopped around on strapless wooden sandals called khadau, which must be gripped by knobs between the toes. He wore a tangerine-colored cloth around his waist and another around his shoulders. His black beard mushroomed from his face, and his ponytail was so tight it tugged the corners of his eyes. Our interview began in English, but he soon switched to Hindi and had his spokesman translate. “Yogis in Indian culture have always been guiding society in the right direction and devoting their life for the welfare of society,” he said. “And that’s why, being a yogi, I also run an enterprise. Because that is my solemn duty to this country.”
Ramdev said he runs Patanjali not as a CEO runs a corporation, but rather as a guru runs an ashram. “This is not a corporate house,” he said. “Patanjali is basically a spiritual organization.” It’s a workplace like few others. A Hindu guru is often a figure of absolute authority to his followers, and Patanjali employees treat Ramdev as such. He forbids them to eat meat or drink alcohol. He tells them their labor is a form of sewa, or spiritual service, and expects some to accept lower salaries as a result. When he arrived at our interview, his spokesman rushed to touch his feet—a sign of respect for a godman.
This loyalty allows Ramdev to control Patanjali despite his lack of official corporate power. The person most often identified as the company’s CEO—even though his personal website gives his title as “managing director”—is Acharya Balkrishna, a longtime associate and Ramdev disciple. On paper, Balkrishna owns 98.6 percent of the company. According to Forbes, he’s the 19th-richest man in India, with a net worth of $6.1 billion.
“The biggest goal is to bring prestige to India … . And that journey begins from yoga, from ayurveda”
Ramdev met Balkrishna around 1990, when they were both students at a traditional religious school in the north of India. Ramdev became a teacher, but, according to an authorized biography, he left his job in remorse after an incident in which he savagely beat a student.
He reunited with his old schoolmate in Haridwar in the early part of the decade. Balkrishna had become close to a yoga teacher called Karamveer Maharaj, who accepted Ramdev as a protégé on two conditions: that he remain celibate and never accept money if he began to give lessons himself. The three men journeyed to the Himalayas, where they meditated in caves. In 1995 they took over the operation of an ashram in Haridwar, and Ramdev made his renunciation. Balkrishna ran the ayurvedic pharmacy, while Ramdev and Karamveer continued to teach yoga.
At the time, yoga was becoming trendy in the West, but in India it was still considered an elite activity. Ramdev and Karamveer offered free workshops that attracted the lower and middle classes. Ramdev learned to wow audiences by standing on his head or deploying his mesmerizing “belly roll.” He’d suck in his breath so his abdominals contracted into a lump of muscle around his navel and then ripple the lump from side to side, as if it were trying to escape from under his skin.
His instruction was bracingly straightforward. He stripped yoga of arcane spirituality: no need to read the sutras or meditate for hours. He simplified the poses so almost anyone could do them safely, and he often said individual poses could be used to treat specific maladies. His yoga was both a religious pursuit and a tool to master one’s health—a powerful message in a country with poor public-health services and crises of obesity, diabetes, and heart disease.

Ramdev and Balkrishna.PHOTOGRAPHER: VIRENDRA SINGH GOSAIN/HINDUSTAN TIMES/GETTY IMAGES
In 2002, when a religious TV station announced a new yoga program, Ramdev auditioned to be the host. The producers passed, but Ramdev was determined to get on the air. He bought 20 minutes on a rival channel, drew huge ratings (and enough donations to recoup his costs), and was hired to lead a morning show. His timing was fortuitous: From 2001 to 2017, the number of Indian households with TVs doubled. Many millions of lower- and middle-class Indians, who’d never had the time or money to practice yoga, started to follow Ramdev in their homes. Credited with launching a yoga revival in India, he’s sometimes compared by Westerners to Richard Simmons or Jane Fonda. But his impact is more substantive. Stuart Ray Sarbacker, a professor of comparative religion at Oregon State University who’s studied Ramdev’s career, calls him “the most prominent face of yoga in the entire nation.”
Ramdev’s yoga was also political—a way to stoke Indian patriotism. “Joining every person with the yoga tradition also has hidden national benefits,” he once said. He saw himself as the successor to anticolonial leaders such as Mahatma Gandhi, who’d argued that economic self-sufficiency was a vital precursor to independence. “Freedom does not only mean independence from the Britishers,” Ramdev said, “but it also means freedom from an unhealthy body.”
In speeches and on TV, the yogi blamed India’s unhealthy bodies on foreign products, which he called “poison.” The nation suffered from “self-confusion,” and he promised to restore it to strength through the “traditional sciences practiced by our great hermits.” An India where everyone practiced his yoga would be an India without disease or sin. He told his followers that yoga could treat HIV and cancer. He extolled an India redeemed from historical humiliations and returned to power by its own traditions. “The biggest goal is to bring prestige to India and Indian identity within the country and the world,” Ramdev said in 2014. “And that journey begins from yoga, from ayurveda.” From simple beginnings, the sales pitch would become extraordinarily lucrative.
In the early days of the ashram, Balkrishna and Ramdev biked through fields and forests, collecting ingredients for the pharmacy. Balkrishna would send ayurvedic doctors to Ramdev’s yoga camps, where they’d offer free checkups but charge attendees for medicine. As Ramdev’s fame grew, so did Balkrishna’s revenue. By 2005, Balkrishna was raking in so much money—and handling it so loosely—that Indian authorities raided the pharmacy as part of a tax-evasion investigation. But a local official, Jitender Rana, told Pathak-Narain that he was ordered by his superiors to desist. “Too many people in power were protecting Ramdev,” the book quotes him as saying. “I came to my senses and left.” (Patanjali declined to comment, and attempts to reach Rana were unsuccessful. The Indian magazine Tehelka offered a similar account to Pathak-Narain’s in 2012.)
Ramdev’s behavior also started to trouble Karamveer, his fellow yoga instructor. “Idealism is easy when you have nothing,” Karamveer told Pathak-Narain. “It’s what you do when you have fame, money, or power that matters.” He left the ashram in 2005. Ramdev had promised he would teach yoga for free, but he began charging people to sit closer to the stage, according to Bhakti Mehta, a TV executive. She traveled with Ramdev to Britain in 2006, where, she said, he required an £11,000 (then $20,000) donation for a home visit and stood on a cloth that could be rolled up to easily collect the money people threw at his feet. “We saw how power-hungry he really was,” she told Pathak-Narain. (A Patanjali spokesman declined to discuss this or other aspects of the book.)
Around this time, an early business partner, an ayurvedic doctor who’d let Ramdev and Balkrishna run their pharmacy under his license, was murdered. This was Pathak-Narain’s first “mystery,” and while the case remains unsolved, there’s no indication Ramdev or Balkrishna were involved.
The biographer’s second mystery occurred in 2007. The ashram’s figurehead at the time was an elderly guru named Shankar Dev, and on a day that Ramdev was out of the country, he disappeared. Dev left only a note that said, “I have taken some loan from you for this trust but cannot repay it. Please forgive me. I am leaving.” Dev was never seen again. (After seven years, Indian authorities ruled out foul play.)
“Whatever he produces, nobody thought that it is shit. They thought it is a god-given product”
Discontent was curdling among the pharmacy’s 400 workers. In spring 2005 a quarter of the staff went on strike to demand pay in line with the minimum wage. Ramdev and Balkrishna laid off the strikers, who then alleged that the ashram’s medicines contained unlisted ingredients, including crushed human skulls. A lab test found human DNA.
Ramdev turned his yoga philosophy into a defense. His name was almost synonymous with yoga in India, and he said an attack on him was an attack on tradition. He accused “powerful interests” of tampering with the samples: “It is a conspiracy to stop my experiment to promote a science that is India’s glory.” Politicians rushed to his defense, and the strikers were forced to clarify that their campaign was not against ayurveda or yoga. A retesting of the samples gave Ramdev a clean slate.
Victory seemed to stoke his ambition. He and Balkrishna saw a future for the pharmacy well beyond medicine. He imagined a line of ordinary household products that could help a person “connect with the soul” and “move toward divinity.” The two had always managed the ashram and their businesses through trusts, but in 2006, Ramdev registered Patanjali as a corporation.
As the company began to develop commercial products, Ramdev’s fervor took a brief, meteoric, and disastrous detour into politics. The ruling party, the Indian National Congress, was beset by scandal, and voters were looking for change. Ramdev, with a huge public profile, was the kind of outsider who could shake up the system. In 2010 he launched his own party and said he would field candidates in every district nationwide in the next election. “We must have a total revolution!” he declared.
Ramdev accused foreign companies and wealthy individuals of robbing India of its wealth, and he demanded extreme solutions, such as the death penalty for corruption. His closest political ally was an activist named Rajiv Dixit. As more Indian voters warmed to their message, however, Dixit’s star threatened to eclipse Ramdev’s own. On Nov. 30, 2010, at age 43, Dixit dropped dead from a heart attack. (This is the third mystery in Pathak-Narain’s book.) Dixit’s death was never investigated by police, but rumors of wrongdoing quickly attached to Ramdev. He eventually denounced them, and at the time, they didn’t slow his rise.

Ramdev’s 2011 hunger strike marked the peak of his political viability.PHOTOGRAPHER: GURINDER OSAN/AP PHOTO
On June 4, 2011, channeling Gandhi, Ramdev began a hunger strike in Delhi to protest corruption. Forty thousand people showed up, spooking the government, which ordered police to raid the gathering. In the melee, one person died, and Ramdev tried to escape by disguising himself in women’s clothes.
Images of Ramdev in his getup—his beard as bushy as ever—spread widely, to much snickering. Many voters found it hard to imagine him as the nation’s leader, and his movement fizzled. He returned his attention to Patanjali, whose line was expanding beyond medicine and beauty into juices, grains, and spices. He hired a food-processing veteran named S.K. Patra to be the president of Patanjali’s comestible operations and the CEO of Patanjali Ayurved. “Baba Ramdev simply embraced me and asked when I can join,” Patra says of their first meeting. “He said that God has sent me to Patanjali to serve humanity.”
Patra began emulating the multinational corporations that Ramdev so despised. He hired foreign consultants to unknot the dozens of enterprises and organizations that fell under the Patanjali umbrella. He standardized plant procedures, created committees to oversee fundamental tasks such as quality control, and overhauled Patanjali’s distribution network.
From 2011 to 2014 the company’s revenue quadrupled, to $188 million, and the number of products grew from 50 to 500, including ghee and honey. Ramdev insisted the company pump profits back into the business to lower prices and create new products. “Baba was very sharp, with robust common sense and business acumen,” Patra says. (It’s grudging praise. Patra, who left the company in 2014, also says Ramdev paid him only half what he was owed.) When Nestlé had to recall its popular Maggi Instant Noodles in 2015 over lead concerns, for example, Ramdev quickly unveiled Patanjali Instant Noodles.
It was a shrewd move for a businessman, but questionable for a yogi claiming to look after people’s health. Ramdev said his noodles were healthy, but India’s Food Safety and Drugs Administration found they had an ash content triple the legal limit. Customers didn’t much care. “Whatever he produces, nobody thought that it is shit,” Patra says. “They thought it is a god-given product.”
“We have had no quality cases or quality problems,” Ramdev told me. But Patanjali products have been dogged by such concerns. In April, the Indian Armed Forces stopped selling a popular Patanjali juice to soldiers after it failed lab tests. The next month, the Hindustan Times reported that a Patanjali health product, shivlingi seeds, had also failed tests. In June, Nepal forced the recall of six products over microbial concerns.
In our conversation, Ramdev dismissed these reports as the work of “Western interests.” He also waved off negative stories about working conditions at Patanjali. “We have never broken any law, and we have never done any wrong to anyone, and violence is out of the question,” he said. It was a “conspiracy” to defame him, he said, when police issued a warrant in 2013 for the arrest of his brother Ram Bharat, whom the Economic Times has called Patanjali’s “informal CEO,” over the alleged kidnapping and imprisonment of a watchman suspected of theft.
The case against Bharat was dropped after witnesses recanted. But he ran into trouble with the law again in May 2015, when Patanjali security forces brawled with truck drivers at the company’s food-processing complex, leaving one trucker dead. After video emerged of Bharat appearing to encourage the guards, he was arrested and held in jail for 14 days, though he was never charged.
The controversies haven’t harmed sales. Revenue surpassed $1 billion for the first time in the company’s 2017 fiscal year. Other gurus moved to copy Patanjali’s success and start their own product lines; the New York Times named the trend India’s “Baba cool” movement and called Ramdev its “king.”
The Associated Chambers of Commerce and Industry, an Indian trade organization, has called Patanjali “the most disruptive force in the fast-moving consumer goods market.” In 2016, Credit Suisse Group downgraded its rating for Colgate-Palmolive (India) Ltd. based solely on the success of Patanjali’s Dant Kanti. A few months later, Colgate started selling its own herbal toothpaste. Hindustan-Unilever Ltd. hired local doctors the same year to revamp its ayurvedic brand, Ayush, with products such as turmeric anti-pimple wash.
“This earth, sun, and all of nature are doing their jobs without any expectation. So I am doing my job”
Ramdev has floated plans for business lines in clothing, private security, animal feed, solar power, and restaurants. He also wants to export Patanjali products to the U.S., U.K., and around the globe. While he no longer speaks of directly entering politics, he enjoys greater influence in India than ever.
After his hunger strike destroyed his relationship with the incumbent government, he found an ally in the ascendant BJP. In 2014 he campaigned alongside the party’s conservative politicians. (At one rally, he was caught on camera rebuking a candidate who’d asked him about fundraising. “Are you a fool for asking and talking about money when cameras are on?” he asked, seething.) After the BJP won, and Narendra Modi became prime minister, Ramdev claimed to have “prepared the ground for the big political changes that occurred.”
Modi realized yoga and ayurveda could be valuable in stoking religious and nationalist sentiment. He elevated the government department promoting yoga and ayurveda (and which regulates Patanjali products) to a cabinet ministry; lobbied the United Nations to start an International Yoga Day; and exempted yoga-focused charitable trusts from some taxes.
Ramdev has called Modi a “close friend” but maintains that Patanjali hasn’t benefited from the friendship. “We do not take or want any favors from the government,” he told me. But a 2017 report by Reuters found that since Modi came to power, Patanjali has received more than $46 million in discounts on land deals in states governed by the BJP. The company has acquired almost 2,000 acres, which it says it will use to build new factories and cultivate herbs. The state of Haryana also offered Ramdev “all perks of a cabinet minister, including cars, bungalows, staff and security from the state,” a government spokesperson told the local Telegraph newspaper, but Ramdev said that, as a sanyasi, he had to decline.
Last year, Modi presided over the opening of the Patanjali Research Institute in Haridwar. The jewel of its corporate empire, the facility is described as a place for ayurvedic medicines to be researched and tested with the same rigor as pharmaceuticals in the West. “Swami Ramdev’s herbs help you overcome all problems,” Modi told the crowd, as Ramdev smiled beside him in his saffron. The prime minister then directly addressed Ramdev: “I have greater faith in the power of your blessings, and those of the people, than I have in myself.” The material world went unmentioned. The sanyasi had reached a higher plane.

◯ インド最速成長企業を仕切る「ヨギ」の正体(前編)

2018-04-26 08:01:25 | ♪ One Short Talk
2018-04-26 08:01:25 BloombergBusinessweek

インド最速成長企業を仕切る「ヨギ」の正体(前編)

Bloomberg Businessweek
2018/04/23



ヨガの先生から敏腕ビジネスマンに
ババ・ラムデブが、サンニャーシン(ヒンドゥー教の出家者)として生きることを決めたのは23年前のこと。当時は、ヒマラヤ山脈のふもとの町でヨガを教える貧しい青年だった。
物質世界と縁を切ったはずのババ・ラムデブだが、いまや物質世界の象徴ともいえるテレビで、しょっちゅう彼の顔を見かける。ラムデブは2つのチャンネルの監修を務めており、そのうちの1つではヨガの番組に出演している。
チャンネルを変えても、シャンプーや台所用洗剤のCMにラムデブが登場する。テレビだけではない。パタンジャリ・アーユルベーダ社の商品を置いている店ならどこでも、ラムデブの顔を拝むことができる。パタンジャリは、ラムデブが立ち上げた会社なのだ。
ラムデブが目指しているのは、アーユルベーダ(インドの古典医学書)に基づき、家庭のあらゆるニーズに応える商品を作ることだ。
パタンジャリの人気商品には、クローブ(丁子)とニームとターメリックを使った歯磨き粉、アーモンド、サフラン、ティーツリー油を使ったハンドソープ、「自然消毒効果のある」牛の尿でできた床洗浄剤などがある。
2012年に6900万ドルだった売上高は現在16億ドル(20倍増)を超えるなど、パタンジャリはインドで最速の成長を遂げている消費財メーカーだ。来年にはインド国内で、ネスレやユニリーバなど世界的な消費財メーカーを追い抜くとラムデブは予想している。
「コルゲートのゲート(門)は閉ざされた」と、ラムデブは笑う。「ユニリーバのレバーは壊れ、小さなネスレ(巣)から鳥は飛び去るだろう」
インド人なら誰でも知る有名人
物質的豊かさを捨てるという誓いと、インドでも指折りの実業家であるという現実は、矛盾するようにみえる。だが、ラムデブは柔軟性の達人だ。インド野誰もが、ラムデブの会社だと思っているが、厳密にはラムデブはオーナーでもCEOでもない。
サンニャーシンが企業から利益を得ていたら問題だが、ラムデブはパタンジャリの株を保有していないし、給料ももらっていない。財産はゼロだと言う。パタンジャリの広報によると、ラムデブは「ブランド・アンバサダー」にすぎない。だが、同社におけるラムデブの影響力を考えると、ただの広告塔にはとても見えない。
「社会を一変させた現存するインド人を5人挙げるとしたら、まちがいなくラムデブはその1人に選ばれるだろう」と、ニューデリーのデジタル出版プラットフォーム「ジュガナート・ブックス」の発行人チキ・サルカルは言う。
忠実な「信者」が大勢いるヨガのインストラクターは他にもいるが、自分のイメージを駆使して手広くビジネスを展開するのはラムデブだけだ。神聖性、資本主義、そして体の柔軟性という3軸チャートを作ったら、ラムデブは世界中の誰よりも高い位置にいる。
巨大な成功を収めてきたにもかかわらず、ラムデブの半生は奇妙なほど知られていない。年齢さえ誰も知らない(おそらく50代前半とみられている)。
「ものすごい有名人なのに、その人となりはほとんど知られていない」と、ジャーナリストのプリヤンカ・パタク=ナレインは語る。彼女は2016年にジュガナートからラムデブの伝記執筆を依頼された。
「ビジネスと宗教と政治を結合させた存在」であるラムデブは「現代のインドを理解する最高の切り口になる」と、パタク=ナレインは言う。
「3つのミステリー」と呼ばれる疑惑
実際、パタンジャリ社のアーユルベーダ商品が急成長を遂げたのは、ヒンドゥー・ナショナリズムが高まり、2014年の総選挙で右派・インド人民党(BJP)が劇的な勝利を収めた時期と一致する。
たとえば、牛の尿を使った床洗浄剤の広告は「外国企業による経済的搾取から国を救い、聖なる母である牛を救う運動に加わろう」と呼びかける。
自分は「科学的で、世俗的で、普遍的」な世界観の持ち主だとラムデブは言うが、同性愛はヨガによって「治す」ことができると主張し、愛国主義的なスローガンを唱えるのを拒否する人は、首を切り落としてしまえばいいと言い放ったことがある。
レスリングのテレビ中継など派手な行動で注目を集める一方で、ラムデブは詮索の目には抵抗してきた。昨夏、パタク=ナレインの著書『神人(ゴッドマン)から実業家へ』に泥くさい内容が含まれていることを知ると、ラムデブは裁判を起こして出版差し止めを勝ち取った。
ラムデブはとりわけ、パタク=ナレインが「3つのミステリー」と呼ぶ疑惑に猛反発した。これは彼が成功を収める過程で起きた側近の不審死や失踪が絡んでいる。ただし、ラムデブはいずれの捜査でも容疑者になっていない。「連中は他人を中傷して注目を浴びたいだけだ」と、ラムデブは言う。
ラムデブ自身による「成功物語」はもっとシンプルで、神話に近い。実際、パタク=ナレインの著書の出版差止訴訟で、「神人として崇拝されている」者には神話のようなストーリーが期待されるのかもしれないと述べている。
「この地球、太陽、そしてすべての自然が、何の期待もされなくても、自らの働きをしている。だから私も私の仕事をしているのだ」
茶色い歯磨き粉の意外なさわやかさ
筆者は昨秋、デリーに到着してホテルに荷物を置くと、すぐにパタンジャリの店に向かった。空港から乗ったタクシーから見えたのだ。
ところがクマール・リシという若者に止められた。見ると、片方の二の腕にボブ・マーレー、もう一方にジャック・スパロウのタトゥーを入れている。
「ババ・ラムデブは私のヒーローだ」と、リシは言った。だからもっといいパタンジャリの店に連れて行ってやると言うのだ。その店で、パタンジャリの人気商品である歯磨き粉「ダント・カンティ」を買った。価格は40ルピー(約65円)だ。
その晩、さっそくホテルで歯磨き粉を使ってみることにした。成分表示によると、ダント・カンティに13種類のハーブが入っている。歯ブラシに出してみると、なんと茶色の歯磨き粉だ。泥か腐敗物のようで、口に入れるのに勇気がいる。
だが、実際に口に入れてみると、実にさわやかなフレーバーがする。クローブのスパイスとスペアミントの清涼感、ニームのわずかな苦味。これまで使ったことがある欧米の歯磨き粉とはまったく違っていた。
アメリカ人の筆者は、ラムデブにインタビューの約束をとりつけるのは難しいだろうと覚悟していた。ラムデブはしばしば、欧米諸国を厳しく批判している。
だが、広報担当者と何通かメールのやりとりをした結果、北インドの聖地ハリドワールに来ないかと招待を受けることができた。そこにはパタンジャリの本社とアーユルベーダ式の病院、ヨガの学校、工場、それに研究所がある。
ヒンドゥー教の伝説によると、ビシュヌ神がハリドワールの壁に足跡を残したとされており、ガンジス川岸は毎日無数の巡礼者でごった返している。そのなかに、サフラン色の腰巻をつけた男たちがいた。髪もヒゲもぼさぼさで痩せこけており、行き交う人にほどこしを求めていた。ラムデブと同じサンニャーシンだ。
ヒンドゥー文化では、サンニャーシンは極めて尊敬されており、道徳の権威と考えられている。彼らは富や財産を築くことができないが、それ以外に彼らの言動を明確に定めた規範は存在しない。
ヒンドゥー教導師として会社を経営
ラムデブの家は、ハリドワールの町はずれにあった。四方を壁に囲まれており、黄金のライオンのドアノッカーがついた大きな門を2つくぐり、レンガ畳の道を進むと、小さな白い建物があった。
案内された応接室には、広々としたポーチといくつかのソファ、それに肘掛け椅子があった。さっそく川岸で見た、物乞い(のように見えた人々)について質問してみると「ヒンドゥー教の書籍や経典には、サンニャーシンはほどこしで生活するべきだとは一切書いていない」と、ラムデブは言った。
ラムデブはカダウと呼ばれる木製の履物を履いていた。ビーチサンダルのような形だがストラップがないから、脱げないようにするには足の親指と人差指で杭の部分をかなりしっかり握らないといけない。
服と呼べるのは、オレンジ色の腰巻と同色のショールだけだ。もじゃもじゃの黒い髭を生やし、髪はきつくポニーテールにしてあり、目のあたりが引っ張られているように見える。
インタビューは英語で始まったが、すぐにラムデブはヒンディー語に切り替え、広報担当者が通訳した。「インドの文化では、ヨギはつねに社会を正しい方向に導き、社会の福祉のために人生を捧げてきた」。そして「私もヨギとして、会社を経営している。それは私が国に対して担う厳粛な責務だ」
ラムデブはパタンジャリをCEOのようにではなく、ヒンドゥー教のグル(導師)が寺院を運営するように経営しているという。「パタンジャリは基本的にスピリチュアルな組織だ」
ヒンドゥー教のグルは信者にとって絶対的な権威とみなされることが多いが、パタンジャリのスタッフもラムデブを絶対的な権威とみなしている。ラムデブは彼らに肉食と飲酒を禁じ、労働を「セーバ」すなわちスピリチュアルな奉仕と位置づけ、したがって報酬が多くないことを納得させる。
筆者とのインタビューにラムデブが姿を見せると、すぐさま広報担当者はひざまづいてラムデブの足に触れた。神人に対する敬意の証だ。
テレビ番組でヨガを「お茶の間」へ
社長やCEOといった肩書きがないのにラムデブがパタンジャリを支配しているのは、こうした忠誠のおかげだ。
一般にパタンジャリのCEOとみなされているのは、ラムデブの長年の弟子アチャリヤ・バルクリシュナだ(ウェブサイトにはマネジングディレクターと書かれている)。書類上、バルクリシュナはパタンジャリの株式の98.6%を保有しており、『フォーブズ』誌のインドの長者番付で19位(資産61億ドル)とされている。
ラムデブとバルクリシュナは1990年頃、北インドのヒンドゥー教の学校で出会った。その後、ラムデブは教師になったが、あるとき生徒をひどく殴ってしまい、そのことを深く悔いて教師の仕事を辞めたと、本人公認の経歴に書かれている。
2000年代はじめ、ラムデブはハリドワールでバルクリシュナに再会した。このときバルクリシュナはカルムビール・マハラジャというヨガ教師と親しく、カルムビールがラムデブを弟子として受け入れた。ただし条件が2つあった。独身を貫くことと、将来ヨガを教えるようになっても料金を取らないことだ。
ラムデブとバルクリシュナとカルムビールはヒマラヤに旅をして、洞窟で瞑想をするなど修行に励んだ。1995年、3人はハリドワールの寺院の運営を引き受け、ラムデブは出家を決意した。バルクリシュナはアーユルベーダに基づく薬局を経営し、ラムデブとカルムビールはヨガを教えた。
その頃、欧米でヨガが流行し始めた。だがインドでは、ヨガは依然として上流階級がやるものと考えられていた。ラムデブとカルムビールは無料のワークショップを開き、中流層や貧困層にもヨガを紹介した。
ラムデブは頭で逆立ちをしたり、ナウリ(腹部が波打つように内臓を動かす呼吸法)を見せたりして、生徒達を感嘆させることを学んだ。ラムデブの指導法は、実にストレートだった。
彼はヨガから、専門家しかわからないようなスピリチュアリティーを取り除いた。何時間も経典を読んだり、瞑想をしたりする必要もなくした。ポーズをシンプルにして、誰でも安全にできるようにした。
特定の病気の治療にも役に立つと主張するポーズもあった。ラムデブのヨガは宗教的な探求であると同時に、健康を手に入れる手段だった。それは公衆衛生が乏しく、肥満、糖尿病、心疾患が増える国で強力なメッセージとなった。
インドのアイデンティティーを
2002年、あるヒンズー教チャンネルがヨガの新番組の司会を募集したとき、ラムデブはオーディションを受けた。結果は不合格だったが、ラムデブは絶対にテレビに出てやると心に決めた。
さっそく別のチャンネルで20分の枠を買い、ヨガの番組を作ったところ大ヒット。あっという間に費用を回収できたうえに、ラムデブは朝の番組への出演が決まった。
タイミングは最高だった。インドでは2001年から2017年までにテレビを持つ世帯数が倍増。それまではヨガをやる時間もお金もなかった層が、お茶の間でラムデブのヨガを見て実践するようになった。
ラムデブは「インドじゅうで知られるヨガの『顔』だ」と、オレゴン州立大学のスチュアート・レイ・サーバッカー教授(比較宗教学)は語る。
ラムデブにとって、ヨガは政治的な手段でもあった。ヨガをつうじてインド人の愛国心に火をつけようとしたのだ。「あらゆる人にヨガの伝統を教えることは、国家に目に見えない恩恵をもたらす」と、ラムデブは語ったことがある。
ラムデブは自分を、ガンジーの反植民地主義の伝統を受け継ぐ指導者だと考えていた。ガンジーは、インドがイギリスから独立を勝ち取るためには、経済的自立が重要な前提になると考えた。ラムデブに言わせれば「インドの自由とは、英国からの独立だけではなく、不健康な体からの解放も意味する」
ラムデブは、スピーチやテレビ番組で外国製品を「毒」と呼び、インド人が不健康なのは外国製品のせいだと主張した。そして、インド人はアイデンティティーの危機に陥っており、「偉大なる隠者たちが実践した伝統的な科学」によって強さを取り戻すと断言した。
誰もがヨガを実践すれば、病気からも原罪からも解放されるというのだ。ヨガはエイズや癌を治療できると、ラムデブは信者に言い聞かせてきた。そして屈辱的な過去から立ち直り、独自の伝統に基づき大国への回帰を訴える。
「国内外でインドとインドのアンデンティティーに名声をもたらすこと」が最大の目標だと、ラムデブは2014年に言っている。「ヨガ、そしてアーユルベーダはその出発点だ」
そのわかりやすい宣伝文句は、やがて巨大な支持を集めるようになる。
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Ben Crair記者、翻訳:藤原朝子、写真:©2018 Bloomberg L.P)
©2018 Bloomberg L.P
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.

💙🎶◯ 「ドミソ→ソシレ→ラドミ→ファラド」

2018-04-26 07:39:05 | ♪ One Short Talk
2018-04-26 07:39:05

◯ 「ドミソ→ソシレ→ラドミ→ファラド」

14/05/07 10:09 ♪ One Short Talk


05/07/2014 chiebukuro

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14128258964

アナと雪の女王の中に登場するLet It goとビートルズのLet It Beは感動コード

mental_k_mentalさん 2014/04/28 07:51:23
アナと雪の女王の中に登場するLet It goとビートルズのLet It Beは感動コードと呼ばれる、人に感動を起こさせる同じコード進行を採用してるそうですが
そのコードのどういった部分が人に感動を与えるのでしょうか?


ベストアンサー
>Let It Beは感動コードと呼ばれる

「感動コード」という呼称は知りませんでした。
「Let It Be」は、イントロとAメロのコード進行が以下の通りです。
C→G→Am→F→C→G→F→C
(Ⅰ→Ⅴ→Ⅵm→Ⅳ→Ⅰ→Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ)
このうち、前半の4つのコード(Ⅰ→Ⅴ→Ⅵm→Ⅳ)が「レットイットビー進行」あるいは単に「1564(イチゴーロクヨン)」と言われています。
コードの構成音は、ハ長調だと「ドミソ→ソシレ→ラドミ→ファラド」となります。

>そのコードのどういった部分が人に感動を 与えるのでしょうか?

「Ⅴ→Ⅰ」を全終止と言います。Ⅰに解決しようとする傾斜力の強い進行(終止形)です。
また、その根音の動き(ソ→ドという5度下行)を強進行と言います。
「Ⅳ→Ⅰ」を変終止と言います。全終止ほどの傾斜力はありません。
また、その根音の動き(ファ→ドという4度下行)を弱進行と言います。
「Ⅴ→Ⅵm」を偽終止と言います。
以上から、
「Let It Be」は全終止がなく、偽終止(Ⅴ→Ⅵm)と変終止(Ⅳ→Ⅰ)の連結で構成されていると言えます。
また、「Ⅰ→Ⅴ」と「Ⅳ→Ⅰ」は根音が弱進行です。
なので、「優しいコード進行」とは言えるかもしれません。
それが「感動」まで昇華するとしたら、メロディーの要素も加わるのではないかと思います。

あとは音楽カテ(洋楽カテか、ギターベースカテ、作詞作曲カテ)でも質問してみて下さい。

ちなみに、これはご質問とは無関係と思いますが、後半に登場する「Ⅴ→Ⅳ」はクラシック音楽の古典和声では禁則(不良)の進行となります。

◯ She ( 👩‍⚕️ nurse ) and He who lives, they are Strongest "WinninGroup” // 看護師の妻と暮らす夫は最強の「勝ち組」

2018-04-25 23:13:21 | ♪ One Short Talk
2018-04-25 23:13:21

◯ She ( nurse ) and He who lives, they are Strongest "WinninGroup”

看護師の妻と暮らす夫は最強の「勝ち組」

看護学部は恐ろしく「お買い得」

政治・社会 2018.4.25
筒井 冨美
フリーランス麻酔科医、医学博士 筒井 冨美
PRESIDENT Online
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▼関連記事
Fラン歯・薬学部バカ高学費でも食えない
看護師という職業が進化している。4年制の看護学部が増えているほか、東大や慶應、ハーバードには大学院もあり、国際的に活躍できる専門職と評価されている。しかも食うには困らない堅実な資格職だ。麻酔科医の筒井冨美氏は「いま看護師の妻と暮らす夫は、最強の『勝ち組』ではないか」という――。
進化した看護学部は恐ろしく「お買い得」である
「ナース」と聞けば、「白衣の天使」「献身的」のイメージを思い浮かべる方もいるだろう。


※写真はイメージです(写真=iStock.com/itakayuki)
しかし、その一方で、看護師に対して「医者の小間使い」「大学受験失敗組」「キツイ仕事の代表格」といったネガティブなイメージを持つ人もいる。たしかに私が制作協力した『ドクターX』など医療ドラマでは、「自分と交際していた医師が出世のために院長令嬢と結婚する運びとなり、哀れ振られてしまう看護師」のようなストーリーをしばしば見かける。

ご存じのようにかつて「看護婦(男性は看護士)」と呼ばれたが、現在では男女共通で「看護師」と名称変更されている。これは、2002年、保健師助産師看護師法の改正を受けたもの。

また、東京大学が1965年に4年制の医学部保健学科(現在の健康総合科学科)を開設したのをはじめ、2001年には慶應義塾大学が、2011年に上智大学が4年制の看護学部を開設している。

こうした流れの中で、看護師という職業は、かつての艱難辛苦の「おしん」的なイメージから、堅実な資格職、そして国際的にも活躍できる専門職として進化しつつある。医学部・歯学部・薬学部・獣医学部に関して考察した前回(※)に続き、今回は進化しつづける看護学部を紹介したい。※http://president.jp/articles/-/24757「Fラン歯・薬学部バカ高学費でも食えない」

▼看護師への道
看護師は、どういうルートで看護師となるのか。現在、最も多いパターンは「高校卒業後に3年制の看護短大もしくは看護専門校へ進学し、看護師国家試験を受験(合格)」というルートである。

かつては、「中学卒業後に働きながら准看護学校もしくは高校看護科→准看護師免許→働きながら看護専門校→正看護師」という、まさに「おしん」的なコースをたどる看護師も少なくなかった。現在でも、17歳から働くことは可能だが、10代の准看護師を見かけることはあまりなくなった。

准看護学校は現在も存在するが、もっぱら社会人転職者の職業訓練校として機能しており、子育てが一段落した中年女性に人気である。

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看護短大経由の「東大入学の裏ワザ」とは






看護短大経由の「東大入学の裏ワザ」とは
▼大卒看護師への道
(1)コスパ最強、「看護短大+放送大学」

最近は、大卒看護師も増えている。大卒となるとコストがバカにならないと思うだろうが、コスパ最強の大卒資格取得法がある。それは、「親元から通える看護短大(もしくは専門校)→看護師として働きながら放送大学で単位を追加取得→大卒資格」というルートだ。

看護短大の総学費は公立校ならば0~150万円、私立でも150~300万円程度。さらに看護師業界には「ウチの病院で3年働けば返済免除」のようなヒモ付き奨学金が多数存在する。こうした奨学金を上手に利用しつつ、放送大学を活用して単位取得すれば(最短1年間、20万円程度)、トータル20万円で大卒資格が取得でき、看護師資格もついてくる。へたな文系Fラン大よりも、断然おすすめのコースである。

(2)看護短大から有名大3年次へ編入

「大学入試に失敗して看護学校」という看護学生は、現在でもそれなりに存在する。とはいえ、がっかりするのは早い。看護系大学の中には、看護短大卒業者のために3年次編入コースを有する大学がある。関東圏だと千葉大学・筑波大学、それ以外では北海道大学・京都大学・大阪大学・神戸大学などが3年次編入学を認めている。かつては、「看護短大→東大保健学科3年次編入」という「東大入学の裏ワザ」も存在した。現在フリーの山本舞衣子アナウンサーは、このコースで「看護短大→東大→ミス東大→日本テレビ女子アナ」となった。大学受験のリベンジを果たしただけでなく、花形職業にも就くことができたわけだ。ただ現在では、看護大学そのものが増加しているために、3年次編入コースは縮小傾向にある。

(3)ブランド追及なら、慶應か上智

ブランドとしての大学名を追及するならば、慶應義塾大看護医療学部が最強だろう。神奈川県の湘南藤沢キャンパス内に存在し、出席や実習が厳しいので、都会のキラキラ女子大生的なキャンパスライフは期待できないが、慶應大の他学部に比べ入試が易しいのも事実である。

学部開設が2001年と歴史は浅いが、ヘルスケアサービスをするケアプロの創業者・川添高志氏、衆議院議員の木村弥生氏など、看護師の枠を超えて活躍する人材が目立つ。近年では、看護師が経営者として訪問看護ステーションを独立開業することも可能になったので、今後ここの卒業者がさらに活躍する機会が増えるのではないかと、筆者は予想している。

なお、大学ブランドに加えて都会生活をエンジョイしたい場合は、上智大学(四谷および目白キャンパス)のほうがお勧めである。その他、北海道大学、東北大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学……と看護学科を設置する大学は多いので、マメにホームページをチェックしておきたい。

(4)政界進出を目指すなら

日本国内の看護師を束ねるのは日本看護協会という巨大組織で、会員数は約72万人である。関連する政治団体として日本看護連盟があり、自民党に強い影響力を持っている。南野知恵子元法相など看護師出身の国会議員や地方議員を多数輩出している。

こういう政治的な出世コースを目指すならば、日本赤十字看護大学、聖路加国際大学、などの看護系大学として長い歴史をもち、同窓会組織のしっかりした大学がお勧めである。国公立では1975年創立の千葉大学看護学部が最古であり、こちらも推薦したい。









ハーバード大学の公衆衛生大学院は簡単に修士号が取れる
(5)海外に羽ばたくなら

近年、海外で活躍する看護師が増えているのはご存じだろうか。

看護短大や看護系大学などを経て、青年海外協力隊のようなボランティア団体に看護師として参加したり、米国などの正看護師免許を取得して海外の病院に正規就職したりするケースだ。

日本国内での就職には、今のところ大卒看護師も専門校卒も給与などの待遇に大差はないが、海外での労働ビザ取得や就職活動には大卒看護師のほうが明らかに有利である。日本赤十字看護大学、聖路加国際大学は、海外ネットワークもしっかりしているので、国際派志向にはお勧めである。2011年開設の上智大学看護学科は国際看護学コースを設けている。

聖路加国際大学には、一般社会人向けの3年次編入コースがあり、2年で看護師免許を取得することが可能である。将来的に国際機関で働きたい人は、「国際関係学部修士卒、TOEFL100点」よりも「大卒看護師+実務2年、TOEFL90点」のほうが、ポストを得やすいはずだ。

(6)大学教授を目指す

日本中で、看護短大や専門校が大学に昇格する事例も増えている。それに伴い、これら看護系大学での教官ポストが公募されている。他分野のワーキングプアの博士号取得者やポスドク雇止め問題(※)をよそに、看護系大学だけは、バブルと言われるほど大学教員の求人が多い。「5年以上の看護師実務経験と博士号があれば、誰でも大学教員になれる」と言う声さえある。

※ポスドクとは、ポスト・ドクターの略。博士課程(ドクター)修了後、大学などで正規のポストに就けず、非正規の立場で研究活動を続けざるを得ない任期付き研究員を指す。

看護大学の教授職を目指すならば国立大、とりわけ東京大学、そして千葉大学看護学部が有利である。しかしながら、東京大学の総合健康科学科に入学するには、東大理科2類に合格する必要がある。「そんなのムリ……」とあきらめるのは早い。実は、他の看護大学から、東京大学医学研究科修士課程に進学するコースもある。直接、理科2類へ進学するより簡単であり、プロフィールに「東大院卒」と記載できるようになる。

(7)ハーバード院卒も夢じゃない


※写真はイメージです(写真=iStock.com/Patrickmorrisseyphoto)
ハーバード大学やコロンビア大学など世界的名門大学にも、看護学部を発展させた公衆衛生大学院(MPH:Master of Public Health)が存在する。例えば、ハーバード大学の公衆衛生大学院は、医療関係の実務経験者ならば最短9カ月で修士号を取得できる。現地の経営大学院のような有名コースに比べて、入学も卒業も、ハーバードとしては比較的容易であり、履修期間が短いので留学費用も節約できる。ちなみに、昨年「このハゲ~!」と秘書を罵倒して大騒動になった「東大法→ハーバード院卒」の元衆議院議員の豊田真由子氏は、ここの出身である。





なぜ看護師の妻と暮らす夫は最強の「勝ち組」か
▼医師の妻になりやすいのは
看護師は医師と結婚する確率も高い。これは筆者の印象だが、若手男性医師の3~4割は看護師と結婚している。よくあるパターンの医師・看護師カップルは、「医学部受験の勉強に没頭した高校生活送る男性が、医大に合格(入学)して親元を離れて開放感→看護師を目指す女性と出会って、恋愛→そのままゴールイン」というものである。


※写真はイメージです(写真=iStock.com/joka2000)
「医学生に早めにツバをつけられるキャンパス」としては、「医学部と看護学部が隣接」「片田舎で下宿生が多い」をお勧めしたい。関東圏だと、筑波大学・山梨大学・群馬大学などが該当する。一方、慶應大学など医学部と看護学部が全く別キャンパスの大学は、こういう目的にはあわない。出願にあたって、キャンパスの位置や周囲環境をチェックしておきたい。

余談だが、「医師妻を目指すなら薬学部」を進める者も少なくないが、医薬分業の進んだ現在では「医師と薬剤師の職場恋愛」は成立しにくい。医師妻狙いとしての薬科大進学は、筆者は全くお勧めしない。

▼これからの「勝ち組」カップルとは
経済学用語に「エンプロイアビリティ(Employability)」という単語がある。直訳すれば「雇用されやすさ」であり、「ある職場を解雇されても、すぐに次が見つかる能力」と説明される。そして看護師は、偏差値50程度から目指すことが可能な、エンプロイアビリティ最強の資格だと思う。

昭和末期の「勝ち組」と言えば、「夫:年収1200万円のエリートサラリーマン、妻:専業主婦」が典型例だった。しかし、日本航空、東京電力、東芝など、どんな大企業であっても、何が起きるかわからない。NHKや電通といったマスコミも高年収だが、過労死・過労自殺が報じられており、労働環境がいいとはいえない。

今後の日本では、「転勤+長時間労働+滅私奉公がセットの年収1200万円夫の片働き」では長く働き続けることが難しい。それよりも、「夫:年収600万円の中堅IT(在宅・フレックス勤務可能)、妻:年収400万円の看護師」のようなカップルのほうが、ストレスが少なく人生の満足度が高い「勝ち組」になってゆくのではないか。筆者はそう考えている。



◯🤠💋◯ Ofukuro & Oyaji ‘おふくろ’ ‘おやじ’ の語源

2018-04-25 21:01:18 | ♪ One Short Talk
2018-04-25 21:01:18

◯ Ofukuro & Oyaji ‘おふくろ’ ‘おやじ’ の語源

17/11/14 15:13 ♪ One Short Talk
2017-11-14 14:39:31 chiebukuro

「親父(おやじ)・おふくろ」の語源は何でしょうか?
又、いつ頃から使われるようになったのでしょうか?
「親父(おやじ)・おふくろ」の語源は何でしょうか?
又、いつ頃から使われるようになったのでしょうか?

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2006/06/26 09:40

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theological_love16さん

確かに、「親父」を訓読みすると「オヤチチ」になりますが、
どうやら昔は「オヤチチ」と読んでいたものが、詰まって「オヤヂ」となり、「オヤジ(おやじ)」と表すようになったということらしいとのことですが、
もう少し、調べてみると、他の説を見つけました。
それは「狂言」にまつわるもので、1642年に狂言の流派である大蔵流の宗家であった、大蔵虎明が記した大蔵流狂言の台本『狂言集』の「かうじだわら」に、
「一つたべてみたひが、定て数がさだまつてあらふところで、おやじや人のあづかられたにしかられう」
という一節があり、この「おやじゃ人」を省略語形化した「おやじ」というくだけた言い方が「親父」の漢字表記と結びついたという説があることがわかりました。


おふくろは、室町時代から見られる語。
おふくろの「お」は接頭語で、母親は金銭や貴重品を袋に入れ全ての管理をしていたことから、「ふくろ」「おふくろ」と呼ばれるようになったとする説。
胎盤や卵膜などの胞衣(えな)や子宮を「ふくろ」と呼んでいたことから、母親そのものを「ふくろ」「おふくろ」と呼ぶようになったとする説。
子供は母親の懐で育つため、「ふところ」が詰まって「ふくろ」となり、「おふくろ」になったとする説があるが、正確な語源は未詳。

◯ The Genius of Ethereum:イーサリウムの怪物──天才ヴィタリック・ブテリンは ブロックチェーンにどんな未来を夢見るか?

2018-04-23 14:08:25 | ♪ One Short Talk
2018-04-23 14:08:25

The Genius of Ethereum:イーサリウムの怪物──天才ヴィタリック・ブテリンは ブロックチェーンにどんな未来を夢見るか?

ヴィタリック・ブテリンが19歳のときに考案した「Ethereum」(イーサリアム)は、ブロックチェーンの力を通貨を超えたすべてのものに与えることになった。若き天才は、いかにしてブロックチェーンに出合い、「分散型」という思想に魅了されることになったのか?果たして彼は、ブロックチェーンとイーサリアムの可能性をいかに捉えているのか?
PHOTOGRAPHS BY SHINTARO YOSHIMATSU/TEXT BY KOTARO OKADA2017.10.7 SAT 16:00

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ヴィタリック・ブテリンは、1994年、ロシア・モスクワに生まれた。6歳のときに家族とともにカナダに移住した彼は、小学生のときにはすでに数学や経済学の分野で驚くべき能力を発揮し、プログラミングを学んでいたという。神童はやがて、ビットコインに出合う。ブロックチェーン・テクノロジーのポテンシャルに魅せられた彼は、2013年、19歳のときにブロックチェーンプラットフォーム「Ethereum」(イーサリアム)を考案する。
イーサリアムの特徴は、「スマートコントラクト」と呼ばれる各ユーザーが設定した契約を扱えることだ。あらゆる目的のために使えるブロックチェーンプラットフォームといってもいい。この技術を活用すれば、人が行ってきた取引や契約を、改ざん不可能なかたちで自律的に行うことが可能になる。それはビジネスや組織のあり方を根本的に変えうるポテンシャルをもつ。またイーサリアムで使用されるトークン(仮想通貨)の「ETH」(イーサ)は現在、世界に700以上ある仮想通貨のうち、ビットコインに次ぐ市場規模をもつ。2017年6月時点で、その時価総額は約2兆3,500億円を超える。
送金、決済、デジタルアイデンティティ認証…。いま、イーサリアムを基盤として世界中でさまざまなサーヴィスが登場している。ヴィタリック自身も、日本を含むアジアを拠点にサーヴィスを展開する分散型の決済プラットフォーム「OmiseGO」のアドヴァイザーを務めている。
果たしてイーサリアムを生んだ若き天才は、ブロックチェーンの未来に何を見ているのか? 2017年夏に来日したヴィタリック・ブテリン、そしてOmiseGOのスペシャルアドヴァイザーを務めるトーマス・グレコに訊いた。
取材は8月某日、渋谷のあるクラブにて行われた。ヴィタリックが来日するのは今回が3度目だという。
取材は8月某日、渋谷のあるクラブにて行われた。ヴィタリックが来日するのは今回が3度目だという。
「8.5BTCでTシャツを買ったことを覚えている」
──まずは、ビットコインとの出合いから教えてください。
ヴィタリック・ブテリン(VB):17歳のころに、父がビットコインについて教えてくれたのが最初だった。「おもしろい仮想通貨があるぞ」と父は教えてくれたんだけど、そのときはコンピューター上に書かれたただの数字の羅列にしか見えなかったんだ。その本質的な価値に気づいていなかった。でもそれから1カ月後に、どこかでまたビットコインに関する話を聞いたんだ。そのときになって、ようやくビットコインについて調べてみたほうがよさそうだと思うようになった。

ヴィタリック・ブテリン|VITALIK BUTERIN
1994年ロシア生まれ。プログラマー。イーサリアム考案者。『Bitcoin Magazine』共同創業者。決済プラットフォーム「OmiseGO」アドヴァイザー。2016年、『Fortune』誌の「40 Under 40」に選出されている。@VitalikButerin
それからビットコインの情報が集まる掲示板を読んで、知識を得ていった。あるとき掲示板でビットコイン関連のブログの記事を書く仕事を見つけて、1記事あたり5ビットコイン──当時は4ドルくらいだった──をもらいながら記事を書いたよ。その仕事で20ビットコインを稼いで、8.5ビットコインを使ってTシャツを買ったのを覚えている。
ひとつの企業がネットワークを構築するのではなく、何千という人々が自分のコンピューターを使うことでネットワークをつくるというアイデアはクールだと思った。そうしてつくられる新しい金融システムは個人に力を与えるものだ。このときからぼくは、どんどんビットコインにのめり込んでいった。
──イーサリアムのアイデアはどのように思いついたのでしょうか?
VB:ビットコインとの出合いから2年後、ぼくは大学に通っていた。でもそのとき、週に30時間以上をビットコイン関連のプロジェクトに費やしていることに気づいたんだ。ぼくは大学を辞めることを決め、世界中のビットコインのプロジェクトを見て回る旅に出ることにしたんだ。ビットコイン界でいま何が起きていて、人々はどんなことをやっているのかを知るためにね[編注:ヴィタリックは当時、ピーター・ティールが大学中退者に10万ドルの支援を行う「Thiel Fellowship」に選ばれている]。
旅は5カ月続けた。そのなかで次第に、人々がブロックチェーンを仮想通貨以外の目的に使おうとしていることに気づいた。分散型の送金システム、モノの売買、個人認証、クラウドファンディング…。そうしたさまざまな用途のアプリケーションにブロックチェーンが活用されていることを知ったんだ。でもそのときに人々が使っていたブロックチェーンのプラットフォームが、彼らをサポートするのに十分ではないとも思った。
あらゆる目的のために使える
ブロックチェーンの
プラットフォームを
つくればいいんじゃないか
ということに気づいたんだ。
それがイーサリアムの核となる
アイデアにつながっていった。

──十分ではない、というのは?
VB:特定のひとつ、あるいはいくつかのアプリケーションのためだけに設計されたブロックチェーンをつくる代わりに、あらゆる目的のために使えるブロックチェーンのプラットフォームをつくればいいんじゃないかと気づいたんだ。少しのコードを書いて、アップロードするだけで、個別のアプリケーションのためのブロックチェーンシステムが手に入れられるようなプラットフォームだ。それがイーサリアムの核となるアイデアにつながっていった。
──アイデアを思いついた瞬間、というのはあったのでしょうか。
VB:あるひとつの出来事があったわけじゃない。アイデアは1カ月くらいかけて徐々にかたちになっていったんだ。最初はぼくも既存のブロックチェーンプロジェクトに参加をしていたんだけど、ブロックチェーンをもっと一般化なかたちで使う方法があると気づき始めた。そこでブロックチェーンを、あらゆるアプリケーションで機能させる方法を探したんだ。それから1カ月かけて、まったく新しいプラットフォームをゼロからつくることで総合的な目的に使える仕組みを生み出せるはずだという考えに至った。
──ビットコインに魅了され、ブロックチェーンの力をあらゆるものに適用できる方法を突き詰めていったということですね。ところで、サトシ・ナカモト(ビットコインプロトコルの発明者として知られる正体不明の人物)を“神”のように崇拝しているとお聞きしました。
VB:もちろん。サトシ・ナカモトは30〜50歳くらいの男性だと思う。そして実際に日本人なんじゃないかと思うよ。なぜかといえば、日本人の名前を使っているからそういう気がするというだけだけれど(笑)。大発明を生み出すためには2つの方法があると思っている。ひとつは50人くらいの人々が集まり、1億ドルといった大金をかけることで生み出せるもの。そしてもうひとつは、ひとりの人間が自分の部屋に長い間こもって生み出されるもの。ビットコインは後者だよね。
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ネコのキャラクターが描かれた時計とバッグを身に着けていたヴィタリック。時折見せるチャーミングさが、彼が23歳であることを思い出させる。
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「ぼくを惹きつけてやまないのは『分散型』というアイデアだ」
──あなたにとって、ブロックチェーンの魅力とは何なのでしょう?
VB:ブロックチェーンの魅力は、これまでとはまったく異なる方法でアプリケーションの構築を行えるところにある。ぼくを惹きつけてやまないのは「分散型」というアイデアだ。フェイスブックのようなひとつの企業にコントロールされるネットワークの代わりに、人々がコラボレートすることでできるネットワークを構築することができる。ひとつの会社やひとりの人間に支配されることはない。そしてそこには、より効率的で、より公平なマーケットが生まれる可能性がある。人々のやりとりが透明化されて、攻撃されにくい、よりレジリエントなシステムが生まれる可能性がある。それらすべての特徴が、人々のためになると思う。
たとえば、ぼくらはいま、いくつかのデジタルアイデンティティをもっているけれど、それぞれのデジタルアイデンティティはひとつの企業によってコントロールされている。さまざまなサーヴィスにログインするためにGoogleアカウントとTwitterアカウントとFacebookアカウントを使うけれど、それはグーグルやツイッターやフェイスブックといった企業がぼくらのデジタルアイデンティティを管理下に置いていることにほかならない。ヤツらはぼくらがどんなサーヴィスを使っているかを知っているし、アカウントを閉鎖することだってできる。そして誰かがそうした企業をハッキングしたら、別のアカウントになりすますこともできる。
でも、ブロックチェーンを基盤とした分散型のプラットフォームならばどうだろう。人々が、自分のデジタルアイデンティティを自分の管理下に置くことができるプラットフォームだ。あるアプリケーションを使いたいと思ったときには、自分で自分のアカウントが本物であることを確かめることができる。ひとつの会社が全員のアイデンティティを管理する代わりに、そのアプリケーションにかかわる人々によって管理されることになる。より分散型のウェブ、と呼ぶことができる。
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OmiseGOスペシャルアドヴァイザーのトーマス・グレコ(左)。
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──おふたりが手がけるイーサリアムを基盤とした決済プラットフォーム「OmiseGo」では、そうしたブロックチェーンの特性をどのように生かしているのでしょうか?
トーマス・グレコ(TG):OmiseGOには、ネットワークレイヤーとアプリケーションレイヤーの2つに大きなアイデアがある。ネットワークレイヤーのアイデアは、誰も所有できない仕組みであること、そしてパーミッションレス型のパブリックブロックチェーンであることだ。ビットコインやイーサリアムのように、誰もがサーヴィスの運営に参加できるし、誰もが運営をサポートすることでお金を稼ぐことができる。そしてアプリケーションレイヤーのアイデアは、メインストリームのデジタルウォレットを使っているユーザーでも使えるネットワークであることだ。
つまり、個人でも企業でも銀行でも、誰もが参加することができ、異なるブロックチェーン間でもやりとりが可能なんだ。ビットコインとイーサを交換することも、もし企業が望めば、彼らのウォレットサーヴィスでビットコインやイーサを扱うことも可能になるということだ。
──OmiseGOは、タイを拠点にして、インドネシア、シンガポール、そしてここ日本でも事業を展開しています。アジアのマーケットにこうした分散型、かつサーヴィス横断型の決済プラットフォームを普及させる意義とは?
TG:クレジットカードの普及率が低いアジアでは、これからますます電子通貨が必要とされるようになるだろう。多くの企業が新しいウォレットサーヴィスをつくろうとしている。だがそのときに問題となるのは、異なるスタンダードをもつ企業の電子通貨同士では互換性がないことだ。だがブロックチェーン技術によって、各企業がそれぞれのスタンダードを保ったまま、共有の決済プラットフォームを構築できるようになる。
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ヴィタリックは、常に「世界中のあらゆるところに住んでいる」と語る。世界を飛び回りながらブロックチェーンの可能性を模索し続けている。
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「イーサリアムはもっとパワフルになると信じている」
──日本では2017年春に仮想通貨法(改正資金決済法)が施行され、仮想通貨に対する法整備が進んでいます。日本市場のことをどのように捉えていますか?
VB:日本の仮想通貨への適応レヴェルは驚くべきものだ。ビットコインでの支払いに対応している企業が増えているのも知っているし、その状況はほかの多くの国よりも間違いなく進んでいる。日本は新しいテクノロジーを受け入れることに抵抗が少ない国だと考えている。
──その一方で、2014年に起きたMt.Goxの破綻によって、日本にはビットコインに対して悪い印象をもつ人もいます。
VB:その通りだね。でもぼくは、ビットコインで起きた問題は、あらゆる新しい、かつ急速に成長するテクノロジーにはつきもののものだと思う。突然ある産業が大きくなって、突然多くのユーザーが現れる。大金を稼ぐチャンスがあり、それをさらに大きくするチャンスが転がっている。そしてなかにはテクノロジーの本質がよくわからないままに参加する人もいる。こうした環境では、ハッキング、詐欺、窃盗が起きるのはある意味では当たり前だ。
ぼくらが長期的に
やらなければいけないのは、
ブロックチェーンを支える
「分散」という原理を保つこと。
その原理が機能することは、
ブロックチェーンがさまざまな
サーヴィスに適用されてきた
ことを見れば明らかだ。

でもこの2〜3年で、ビットコイン関連のハッキングや犯罪は減っているんだ。今年の7月にはMt.Goxの事件にかかわったといわれる人物(ロシアのBTC-e取引所のアレクサンダー・ヴィニック)も逮捕された。これが意味するのは、業界自体が成熟しつつあるということだ。The DAOが2016年6月にハッキングにより約65億円を失ったのも、できてから2年も経っていないときの出来事だった。
今後2〜4年ほどの間に、ブロックチェーン技術のスタンダードが確立され、それを使う人々も賢くなり、ブロックチェーンを使って「何をすべきか/すべきでないか」「何を避けるべきか」を理解するはずだ。どんな新しいテクノロジーもそうであるように、ブロックチェーンにはリスクがある。しかしそれと同時に、この革命的テクノロジーには大きな価値をもたらす可能性に満ちている。長期的な視点で見れば、ぼくらはブロックチェーンから恩恵を受けることができると思う。
──ブロックチェーンをよりよく使うために必要なことは何だと考えていますか?
VB:Silk RoadもBitfinexも、分散型ネットワークで運営されているはずなのに「脱中央」という考えに従っていなかった。ひとりの人物がネットワークを支配していて、彼らが大金を稼いでいるんだ。こうしたリスクを減らすためにぼくらが長期的にやらなければいけないのは、ブロックチェーンというテクノロジーを支える「分散」という原理を保つこと。その原理がきちんと機能することは、この8年間でブロックチェーンがさまざまなサーヴィスに適用されてきたことを見れば明らかだ。
たとえば、これはひとつのアイデアに過ぎないけれど、あるプロジェクトを行うひとりの人物に5,000万ドルを投資するのではなく、「プロジェクトそのもの」に投資をすることはできる。同じプロジェクトを行ういくつかのチームをつくって、あるチームにお金を与えてみる。そのチームがうまくいかなければ、別のチームにお金を与えてみる…という方法だ。こうしたメカニズムをつくれれば、The DAOと同じような過ちを冒すリスクは減り、より脱中央的な方法でプロジェクトを進めることができる。
──最後に、長期的な目標を教えてください。
VB:特にないね。ただ少なくともいまは、イーサリアムのシステムをよりよくすることを考えていきたい。ユーザビリティとスケーラビリティの両方を、バランスよく伸ばしていくということだ。そのためにはブロックチェーンの技術を、もっと速く、簡単に、そして安価に使えるものにしなければいけない。セキュリティーについての課題もある。ブロックチェーンをハッカーの攻撃から守り、どうすれば安全なものにできるかということに取り組み続けていかなければいけない。
ブロックチェーンは、まだまだ急速に進化し続けているテクノロジーだ。ぼくはそれをさらに進化させるために取り組んでいくよ。そしてイーサリアムにもまだまだ改善できるところはあるし、いまよりももっとパワフルなものにできるはずだと信じている。

◯◯ Japanese? 日本人はナニジン?

2018-04-23 13:23:35 | ♪ One Short Talk
2018-04-23 13:23:35 国立遺伝学研究所.宝来教授




〇 日本人はナニジン?

06/10/30 13:29 ♪Weblog
日本人は何人なのか?


最新の研究では、

まず現代人類のルーツは15万年ほど前アフリカからユーラシア大陸に出て広がり、日本列島には遅くとも5万年前、旧石器を持った人がいたとされる。しかし東ユーラシアのどこから来た分かっていない。東大の近藤教授は「日本人はどこから来たかは、最近DNAレベルの研究が進み、日本人は“日本列島人“と呼ぶべきものであることが分かってきた」という。
この遺伝子DNAの分析は、特に、細胞内の小器官であるミトコンドリアのDNAの文字配列タイプによる分析だ。


国立遺伝学研究所の宝来教授は、東アジアの5グループ(本州日本人、北海道アイヌ、沖縄、中国=台湾本省人、韓国)の人々のミトコンドリアDNAを調べ、その地域に最も多いタイプを例えば「本州日本人固有のDNA文字配列」などと定義。各地におけるそれらの比率から、互いの近縁性を割り出した。

それによると、

本州日本人で本州日本人固有のDNA文字配列タイプを持つ人は、4.8%しかいない。
韓国人タイプが25%゜
中国人タイプの配列を持つ人が25%。

北海道アイヌ+沖縄の人固有の配列を持つ人は計25%

分類不能の人が21%だった。


わたしはどこに入るかな?

多分、分類不能型の中で南方海洋型のフィジー辺りかな?


一方、韓国人は韓国人固有のタイプが40%

中国人は中国人固有のタイプが60%
自らの系統が最多を占めた。

沖縄、北海道アイヌの人も自らの系統を持つ人がそれぞれ50%、33%と最も多く日本人は大陸からの影響をより強く受けていることが明らかになった。

◯ YuzuruHanyu Parade !!! 羽生祝賀パレード 4年前を上回る10万8000人!

2018-04-22 18:27:01 | ♪ One Short Talk
2018-04-22 18:27:01 sponichi

羽生祝賀パレード 4年前を上回る10万8000人!記念ラバーバンド1万セットは完売
[ 2018年4月22日 16:01 ] スポーツ


 平昌五輪でフィギュアスケート男子66年ぶりの2連覇を達成した羽生結弦(23=ANA)の祝賀パレードが22日に故郷の仙台市で行われ、実行委員会は今回のパレードの観客数を10万8000人と発表した。4年前の9万2000人を1万6000人上回った。

 実行委員会では最大12万人と予想していた。当初の見込みより少なかったことについて、実行委員会の伊藤勝也会長は「(12万人は)警察と相談して設定したもので、ほぼほぼ予想通りだった。ありがたいことに地元テレビが中継してくれたので、家で見た方も多かったと思う」と説明した。今回のパレードはNHK総合が全国放送したほか、宮城の地元民放全4局も生中継した。

 運営費に充てるために販売した記念グッズも順調に売り上げを伸ばした。8万枚用意したTシャツ(1枚2500円)は21日の時点で7万枚が売れ、腕などに巻くラバーバンド(紫と水色の2種類セットで1000円)は21日に販売開始し、1万セットが即日完売となった。

◯ ○ 美人の顔と馬の糞。

2018-04-22 17:45:07 | ♪ One Short Talk
2018-04-22 17:45:07


○ 美人の顔と馬の糞。

06/05/26 18:00 ♪ちょっぴりジョークJOKE
「美人の顔だろうと馬の糞だろうと、おてんとうさんは、おんなじように、照らすんだね。」
頭山満は言った。
彼は坂本龍馬と同じ幕末、維新の人間だ。
太陽は美人であろうと馬糞であろうと分けへだてなく照らしますね、美人は綺麗だから照らします馬の糞は臭いから照らさないてなことはないですね。
人は普通、理由なくあの人は嫌い、なんだか合わないという感覚を持ってしまい結局、あなたが相手が嫌いという感覚を持てば、自動的に相手もあなたが嫌いというシステムになってしまう。
また国会議員と、いまあなたがちょっと寄ったJR四谷駅のトイレで掃除をやっていただいている65才の女性とあなたが100%同じに対応しお話しするべきなんですね。
みんな平等というかみんなおんなじなんですね。
人は誰でも、普通にいうつまらない地位とか人が頭の中で作った決め事で判断しちゃうんですね。

江戸から年号が変わった7年目の夏、頭山は ...

◯ TV.Asahi Fell to the Ground 4月19日夜に放送のAbemaTV。テレ朝・小松靖アナの発言が話題 「テレビ朝日の信頼は地に墜ちた」

2018-04-21 20:55:23 | ♪ One Short Talk
2018-04-21 20:55:23 AbemaPrime


役立つアプリ&ニュースをお届け!STANDBY

Trust of Asahi National Broadcasting fell in a place.

2018.04.21


テレ朝・小松靖アナの発言が話題 「テレビ朝日の信頼は地に墜ちた」

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セクハラ騒動に関するテレビ朝日の緊急記者会見の内容が波紋を広げているが、4月19日夜に放送されたAbemaTVのニュース番組『AbemaPrime』でキャスタ キャスターを務めるテレビ朝日の小松靖アナウンサーが、“個人の意見として”と前置きしたうえで、「テレビ朝日の報道の信頼は、地に墜ちたと言っても過言ではない」などと発言したことが、ネット上で話題になっている。


セクハラ騒動に関するテレビ朝日の緊急記者会見の内容が波紋を広げているが、4月19日夜に放送されたAbemaTVのニュース番組『AbemaPrime』でキャスターを務めるテレビ朝日の小松靖アナウンサーが、“個人の意見として”と前置きしたうえで、「テレビ朝日の報道の信頼は、地に墜ちたと言っても過言ではない」などと発言したことが、ネット上で話題になっている。



4月19日午前0時、テレビ朝日は4月12日発売の『週刊新潮』(4月19日号)で報じられた、“福田淳一(元)事務次官からセクハラ被害を受けていた”女性記者が同社社員であったことを発表。併せて 、この社員が過去に、セクハラを報じるべきではないかと上司に相談した際、個人特定・二次被害の懸念から「報道は難しい」と言われたため、『週刊新潮』に情報提供したことを明らかにしたほか、社員が外部にリークしたことについては「取材活動で得た情報を第三者に渡したことは報道機関として不適切な行為で遺憾」とした。

セクハラが許されることではないのは当然だが、ネット上には、テレビ朝日への厳しい声もやまない。社内でもみ消していた事実や、他局が地上波やネットで会見を中継したのに対し、自局では中継しなかった姿勢に対してだ。

『AbemaPrime』では、「緊急討論!!次官セクハラ問題とテレビ朝日の対応を検証」として、国際政治学者の三浦瑠麗氏、元毎日新聞記者で弁護士の上谷さくら氏を招き、さまざまな観点から議論。テレビ朝日への批判が殺到していることも取り上げるなか、小松アナは、こう言った。

「はっきりいって、テレビ朝日の報道の信頼は、地に墜ちたと言っても過言ではないと思っています。取材対象者に対して無断で録音し、それを取材から得た情報と位置づけて報道してしまうような放送局ではないかという不信感。所属する従業員に対して、業務を遂行するうえでえる身体的・心理的ダメージに対して会社がなんら守ってくれなかった、組織に属する人間に対する不信感。テレビ朝日がセクハラの被害者であるという構造があるのと同時に、この女性記者を守りきれなかった…、(記者にとって)福田事務次官もテレ朝も自分を被害者にした相手なんだっていう構造がなりたつ」

社内外で不信感が募っているであろうことを認めると、小松アナは「身から出た錆だと思っています。だからこそ、今回噴出した問題に、私だけが気張ってやるわけじゃないですけども、テレビ朝日の社員として、いちテレビの人間として、向き合わなきゃいけない。一から出直さなければいけないと思いました」とまっすぐ前を見据えた。

地上波で会見を生放送しなかったのは「会社の判断」としたが、レギュラー出演者の芸人・石井てる美から(AbemaTVでも)生中継しなかった理由について話を振られると、「あれだけ迅速に各種の中継に対応できるメディアが、なぜ自局(※AbemaTVはサイバーエージェントとテレビ朝日が出資)の会見を中継しなかったかっていうのは疑問に思って当然。できなかった理由が説明できなければ、我々が言っていることは信用してもらえないというのは認めざるを得ません。一方で、会社の判断です。会社の判断ですとしかお伝えしようがないのが実情です」と苦しさをにじませた。

MCのふかわりょうが「(地上波でもネットでも放送しないということは)二段(構え)で逃げている印象を与えてしまうのは想像できるはずなんですよ。(なのに)なぜ、そっちを選んだ…」と疑問が拭えない表情を見せると、小松アナは「もう、私たち、言い訳できないと思います。特にこうやって“ホンネ”だ、“大人の事情をスルーする”(※『AbemaPrime』のキャッチフレーズ)って自分たちでうたいながら報道させていただいているので」と厳しい表情。そして、

「(さきほど)ただ『会社の判断』としかいいようがない、ということを言いました。今の時点では、これ以上でも以下でもない。でもこれを言ったからには、発言に伴う批判であったり、失望であったり、いろんな思いを一身に受け止める覚悟がないと(いけない)。報道機関として、普段から社会を斬る、時には人を不幸にしても事実を伝えるというお題目のもとに情報を伝えている資格がないということになります。(地に墜ちたと言いましたが)出直すしかない、としか言いようがありません」

とコメント。番組の最後には「忌憚ないご意見ありがたかったです」と深々と頭を下げた。

自局の批判を正面から取り上げた番組作りに加え、このセクハラ問題への小松アナの真摯な姿勢はTwitterでも話題で、

“アベプラ。真面目に、そして幅広い論点で、次官のセクハラ問題を議論してるなぁ。テレ朝系だから、MCの小松靖アナも立場的に辛いだろうに。地上波には見られない、良い番組ですね。若い世代の感覚の良い番組だと思います。今日の放送で、改めて関心しました。”(原文ママ)
“テレ朝の小松アナ、今回のセクハラ報道について、テレ朝のやり方は
まったくおかしい、まちがっていると、会社批判。
正義感と勇気を持ち合わせている人物、スバらしい、感動した!!”
“テレ朝の唯一の救いは…今はAbemaPrimeの小松靖アナの存在のみ。テレ朝ではなぜ会見を生中継しなかったのか等の厳しい声に真摯に受け止め、答えていらっしゃった…決して彼の責任ではない事までも。報ステの傲慢さ不遜さに呆れ果て唖然としていたが、彼によって少しだけ救われた気がする。”

など、自らが所属する会社に対し、批判的な発言をするという勇気ある小松アナの行動に称賛が相次いでいる。

テレビ朝日の姿勢にも注目が集まるなか、報道人として見せた小松アナの姿に救われた思いを抱いた人は少なくなかったようだ。
(花賀 太)

■関連リンク
女性記者が告発、セクハラ次官との“ある夜の会話” 「しばっていい?」「ホントやめてください」‐デイリー新潮
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04190803/

【週刊新潮】“胸触っていい?”「財務省トップ」のセクハラ音声 – YouTube(デイリー新潮)
https://www.youtube.com/watch?v=jj1mhwW_m3w

「録音、自らを守るため」次官セクハラ問題、テレ朝会見‐朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL4M014NL4LUTIL06W.html

◯◻️ Charumerium

2018-04-21 11:47:08 | ♪ One Short Talk
2018-04-21 11:47:08



〇 Charumerium
06/11/15 12:05 ♪fuckin 英会話

Charumerium 原子番号 126

オーボニュウムとラーメニウム、メンマニウム、チャーシウム、ナルトニューム、ネギウム、ノリウムが旨く結合してヤタイニュウムに乗っかった物質。常温また1気圧で蒸発し続けるため、自然と蒸気を発生し、ときどき、ゴマリウムによる燐光みたいな光を見せる~
ジャンル名:ウェブログ

◯ HAHAHA!! 😆 Grin🙂 と お猿さんの笑い

2018-04-20 18:21:07 | ♪ One Short Talk

2018-04-20 18:21:07 松阪 崇久 crn.or.jp
http://www.blog.crn.or.jp/report/02/96.html
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論文・レポート
動物の笑い―笑いの起源論(2)

松阪 崇久 (京都大学霊長類研究所 研究員)
2010年1月15日掲載
カテゴリー: 子ども未来紀行~学際的な研究・レポート・エッセイ~ <その他>
関連キーワード:
スマイル,ダーウィン,ヒト,ラフ,人類学,松阪 崇久,笑い,進化論,霊長類
要旨:
「動物の笑い-笑いの起源論(1)」では、霊長類以外の哺乳類と鳥類に見られる「笑い」についての記述を概観した。ヒトの笑いとの類似点はありながらも、 進化的起源が同じ行動といえるのかという点では根拠の少ない例が多いと言わざるを得なかった。では、ヒトにもっと近いサルや類人猿の仲間(霊長類)ではどうだろうか?様々なデータから,ヒトと類人猿の共通祖先たちもおそらく、森の中で遊びながら笑い声をあげていただろうということが示唆される。幅広い認知的刺激への反応,笑いの同期などの,大きな変化が生じたのは、人類がチンパンジーの系統と分かれた後である。
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人間以外の動物は笑うことがあるだろうか?


前回は、霊長類以外の哺乳類と鳥類に見られる「笑い」についての記述を概観した。ヒトの笑いとの類似点はありながらも、進化的起源が同じ行動といえるのかという点では根拠の少ない例が多いと言わざるを得なかった。では、ヒトにもっと近いサルや類人猿の仲間(霊長類)ではどうだろうか?


【霊長類の笑い】

「チンパンジーやオランウータンをくすぐると、口の両端を後方に引いたり、笑い声を発したりする。」類人猿の笑いに関して、1872年にチャールズ・ダーウィンがこのような記述を残している1)。サルや類人猿の笑いについての研究が本格的に始まるのはその100年後。オランダの動物行動学者ヤン・ファンホーフが笑いの起源に関する仮説を発表してからのことだ2) 3)。


ファンホーフはまず、笑いを大きくラフ(laugh)とスマイル(smile)の二つに分類できることを指摘した。スマイルは発声を伴わずにニッコリと歯を見せるほほ笑みの表情、ラフは発声を伴う笑いのことで、ヒトの笑いにおいてはこの二つは重なり合うことも多い。しかし、ラフとスマイルは異なる進化的起源を持つとファンホーフは考えた2)。ラフ・スマイルのそれぞれに表情形態と文脈が対応する霊長類の二種類の行動を指摘したのである。スマイルの方は、霊長類が優位者と出会って恐怖を感じた際などに見せる「グリマス」と呼ばれる表情にその起源をたどれるとファンホーフは考えた。もう一方のラフは、霊長類が仲間同士で遊ぶ際に見せる口を丸く開ける表情(プレイ・フェイス)と、それにしばしば付随する音声がその起源だと考えた。


【スマイルの起源】


グリマスは、ニホンザルにもチンパンジーにも見られる表情である(写真1)。ニホンザルでは、グリマスを見せるのは劣位の猿である。自分よりも強い猿に対して敵意がないことを示す、恐怖または服従の表情だと考えられている。チンパンジーでも多くの場合は同様で、劣位者が恐怖を感じた際にグリマスを見せる。しかし、劣位ではない個体がグリマスを見せる場合もある。たとえば、オスがメスに求愛するときや、母親が自分の赤ん坊を抱き取ろうとするときなどだ。これらの観察からファンホーフは以下のように推論した。もともとは劣位者の恐怖・服従の表情であったグリマスが、ヒトと類人猿の共通祖先の段階で優劣に関わらず相手を宥める表情としても使われるようになり、人類においてはさらに広く親愛と友好を示す表情として用いられるようになったのだ、と2)。


目上の人への挨拶など、優位者への緊張感を伴う場面でもスマイルがよく見られることを考えると、ヒトのスマイルが霊長類のグリマスと進化的なつながりを持つというファンホーフの発想も理解しやすくなる。しかし、劣位ではないチンパンジーが見せるグリマスの意味解釈には疑問も残る。これらはチンパンジーに特有の強いフラストレーションの表出だという、まったく別の解釈が可能だからだ。ニホンザルのグリマスよりもチンパンジーのグリマスが人間のスマイルに一歩近付いていると結論付けることはまだできない。スマイルの起源と進化については、チンパンジー以外の類人猿との比較も含めてさらに慎重に検討していく必要があるだろう3)。

report_02_96_1.jpg写真1:オスにおびえてグリマスをするチンパンジーのメス


【ラフの起源】


プレイ・フェイスは口を丸く開ける表情で、口の両端が少し後方に引きあげられることもある。霊長類に広く見られる遊びの表情である。一方、遊びの際に音声を発する種は限られている。ヒトに近縁な類人猿の仲間は皆、遊びにおいてヒトの笑い声と類似の音声を発する(注1)。それ以外の霊長類の多くは、遊びの際に音声をまったく発さないか、ヒトの笑い声とは音響的にかなり異なる音声を発する。


チンパンジーは、仲間同士でくすぐり遊びや追いかけっこをする時にこの音声(笑い声)を発する3) 4)。脇の下や首筋、腹、股関節といった部位を口で軽く咬まれたり指で刺激されると、チンパンジーは刺激から逃れようともがきながら笑う。くすぐられる部位が急に変わるなどのちょっとした驚きの要素があると、笑い声が大きくなることが多い。また、相手が笑うと笑わせた方のチンパンジーはくすぐりなどの働きかけを繰り返すことが多く、笑い声が遊びを活性化すると言える。発声の文脈や機能もヒトの笑いとよく似ていると言ってよいだろう(注2)。

report_02_96_2.jpg 写真2:母親にくすぐられて笑うチンパンジーの赤ん坊


チンパンジーの笑い声は人間の笑い声よりもしゃがれた感じで、「ア゛ーハ、ア゛ーハ・・・」あるいは「ア゛ッハハハハハ・・・」などと聞こえる。ヒトは一息の呼気を分断して笑い声を発することが多いのに対して、チンパンジーは呼気と吸気の両方で交互に発声することが多い。ヒトと類人猿各種の笑い声の音響的特徴を比較した最近の研究によると、系統関係の近い種間では概して音声の類似性が高い傾向があるという。この研究では、類人猿と人類の進化において、いつ、どのような音響上の変化が笑い声に生じたかも論じられている5)。

類人猿の笑い声は、表情形態や音響構造だけでなく、発声の文脈や機能にもヒトの笑いとの共通点があった。また、音響構造の類似性には系統関係との対応もあった。以上のことから、類人猿とヒトの笑い声が同じ起源を持つ相同の行動だという見方はかなり確かだと言える。笑い声を伴う笑い=ラフの起源は、現生の大型類人猿がまだ種分化していなかった時代にまでさかのぼれる可能性が高い3) 5)。


【ヒトの笑いの独自性と進化】


くすぐりなどの遊びにおいて、類人猿もヒトと同じように笑うということがわかってきた。しかし、ヒトの笑いはもっと多様な刺激に対して起こる3)。ヒトは、他者のユーモラスな発言やできごとなどにおかしさを感じて笑うことも多い。類人猿の遊びにもユーモアにつながる特徴が指摘されることはあるが、言語を持たない野生類人猿はユーモラスな発言をしないし、他者同士のやりとりを見て笑うことも無い。ヒトには他者を笑わせるためにわざとおかしな振る舞いをする「おどけ」があるが、野生類人猿にはおどけに対する笑いの報告はない。また、他者の失敗を嘲笑する例も知られていない。


もう一つ大きく異なるのは、笑い声の同期性である3)。何かおもしろいものがあると、ヒトはそれを他者に伝えてしばしば一緒に笑う。他人の笑い声を聴くと笑いが生じやすくなる「伝染」現象も知られている。そのため、大勢の人が一斉に笑うことも多い。しかし、類人猿の遊びは2~3頭でおこなわれることがほとんどで、笑い声をあげるのはくすぐられている一頭だけであることが多い。また、類人猿には笑い声の伝染もないようである。

ヒトと類人猿の共通祖先たちもおそらく、森の中で遊びながら笑い声をあげていただろう。笑いに大きな変化が生じたのは、人類がチンパンジーの系統と分かれた後である。まず、人類はより幅広い認知的刺激に対して笑うようになった。また、仲間と関心を共有する傾向が強まり、おかしさを共有してしばしば仲間と一緒に笑うようになった。これらの変化は、言語の獲得によっても促進されただろう。それぞれの変化がいつ頃に生じたかは定かでない。しかし、人類社会の進化とともに、笑いによる集団の結束強化作用は一段と高まったと考えられる。

【文献】
1) チャールズ・ダーウィン 1872.『人及び動物の表情について』(浜中浜太郎訳、1931、岩波文庫)
2) van Hooff JARAM 1972. A comparative approach to the phylogeny of laughter and smiling. In: Hinde RA (ed) Non-verbal communication. Cambridge University Press, Cambridge, pp 209-223.
3) 松阪崇久 2008. 笑いの起源と進化. 心理学評論 51:431-446.
4) Matsusaka T 2004. When does play panting occur during social play in wild chimpanzees? Primates 45:221-229
5) Davila Ross M, Owren MJ, Zimmermann E 2009. Reconstructing the evolution of laughter in great apes and humans. Current Biology 19:1-6.


※注1:類人猿には、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンとテナガザル類が含まれる。
※注2:チンパンジーは大人も笑うことがある。ただし、大人になると遊ぶ頻度が下がるため、子どもたちに比べると笑う頻度は低い。また、チンパンジーは様々な一人遊びをすることが知られているが、一人遊びで笑い声をあげることは稀である。