僕は六つになったとき、 ネバダ州の小さな田舎の町に住むことになった。
その時、おやじが
「お前をこれから学校に連れていってやるけど、初めは先生の言うことは何にもわからないよ。
だけど、大丈夫だよ。わからなくてもいいよ。心配するな」と言ってくれた。
私が学校に入るちょっと前の日、
隣近所の悪童どもと一緒に外で遊んでいて、夕ご飯の時間が近づういてきたので、
家に帰ろうとした。
すると、Hey,Billy,Where ya goin?と言われたんです。
いつも Where ya goin? という言葉は音して聞いて、その時アメリカ人の子供が I'm going… とか答えているから、
「どこに行くのか」という意味だということはうっすら分かっていたんです。
Hey,Billy,where ya goin? と言われたから、
「家に帰らきゃいけない」ていうことをどういゆうふうに言ったらいいか、自分の極めて限られた英語の単語を総動員して、 Me go papa house とやった。そしたら Oh! と言って分かってくれた。
家に帰って、おやじにそれを言ったら、おやじは何かこ難しい英語を言った。 I have to go home for supper とか何か、そんなような英語を教えてくれたと思う。
僕は言おうとしたが、なかなか言えなかった。
そしたら、おやじが
「ただ Home といえばいいんだ」と言った。
Where are u going?
Home
と言えばいい。
その翌日おやじは僕を連れて買い物に出かけた。
僕はちょこちょこ一生懸命おやじのけつを追った。 途中、近所の友達の家の前を通ったとき、
Hey,Billy,where ya goin? と言われので
僕は Home と言った。
そのとき、普通だったら 「いや違うよ、この場合は Shopping と言わなきゃいけないよ」というでしょう。
おやじはそうは言わなかった。
「そのとおりだ。よく出来た」と言ってくれた。
僕はそれでものすごく自信を持つようになった。
おやじはおそらく幼児の教育学など勉強したことはないだろう。おやじがそのこと言ってくれたのをいまでも忘れない。
要するに、しゃべる自信を与えるのが目的であって、単語を教えることじゃないということをおやじは本能的に動物的に分かっていたらしい。というのも、おそらくおやじがそういう自らの経験を通して英語が話せるようになったからだと思う。