亡命・蟄居・浪人・海外脱出・投獄・松下村塾・間部要撃策・江戸搬送・伝馬町の牢獄・刑死というように、
その一生は目まぐるしい展開を見せる。
しかし彼は本当に物静かで心の優しい人間なのだ。 どこに、あれほど激しい行動がかくされていたのか疑うほどである。しかし松陰が松陰どあるゆえんは、その一つ一つの事柄が、唯単に形の上の事柄として過ぎていっていないことだ。彼はいつもその事柄、すなわち生命にもかかわるような出来事を深い内省の心でとらえていた。そのたんびに、彼は自分の行動を心のなかで厳しく問いただすのである。
しかも彼は大変な読書家なのだ。一年のうちに四百冊も五百冊もの本を読んでいる。それもただ目を通すだけではない。大切なところや、彼の心を打ったようなところは、抜き書きしながら読むというやつである。
わたしは、松陰の人間としての生き方に深い興味を持っている。このように生きた彼の人生は美しいと思う。その人生が美しいから、彼の文章も巧まずして美しい。彼は殊更に自分の文章を美しい言葉で飾ろうてはしなかった。むしろ、それを戒める態度をとった。それにも拘らずその文章が美しいのは、まさに心の美しさからであろう。
彼の文章には心がこもっている。
例えば、高杉晋作が
「男子立派に死ねる時と所はどこできまるのでしょうか」と尋ねてきた。
彼はいう。
「死は好むべきものてまはない。とはいって悪むべきものでもない。道尽き心安んずる、という境地に立ったときが、即ち死所なのだ。
世の中には肉体が生きているが心の死んだものもあり、反対に肉体が亡びても魂が残っているものもある。心が死ねば生きていても致し方あるまい。
魂が残れば肉体が亡びても損わないだろう。…死んでも朽ちないという見通しがあればいつでも死ぬことだ。しかし、生きて大事業ができる自信があればいつまでも死んではならないと思う」