フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

前人未踏 [037]

2006年02月16日 | パセオ周辺


                   前人未踏   



 「観に来ていただけませんかー、私の発表会っ」

 2階のベランダで一服する私に、食事から戻りドタバタと階段を駆けあがった編集部(匿名希望の水野暁さん)は息せき切りながらも、いきなりこう倒置法で迫った。


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 22年間のパセオ社長生活の中で、自分の発表会(フラメンコの踊り)を観に来いと社員に迫られたのは、私にとって初めての経験であった。
 そのあまりの衝撃に、私は一瞬ゲシュタルト崩壊(全体性を失い個別のみを認識するようになること)を起こしていた。

 そんなことにはお構いなしに30歳・型・既婚女性)はこう続ける。
 パセオ社員がほとんど全員やはり発表会に来ること、社長だけ仲間ハズレにするのは忍びないとか、自分の出番が多いので多分社長を飽きさせることはないでしょうとか、何かそのようなことを一所懸命に力説していたことが、ちょうど三週間前の昼下がりのことのように懐かしく想い出されます。

 さて、このような勧誘をかける場合、私が彼女の立場なら、まず間違いなく以下のように段取るはずである。

 ロールスロイスによる送迎は当然として、最低でも松花堂弁当(特等)ハマグリのお吸い物付の食事付き、そしてこれもトーゼンだが、社長の座席の両脇には絶世の美女を最低二名配置し、とにかく失礼のないように、心地よくそのまずいタコ踊りをご覧いただくことを心掛け、お帰りには虎屋の羊かんの詰め合わせと共に、もちろん美女二名はお持ち帰りである。
 こういう段取りを周到に整えつつも、謙虚のかたまりのような私は結局それを社長に切り出すことが出来ずに、準備にかけた百万円は水泡に帰す。
 ま、私の場合はたぶんこのような結果となるだろう。

 だがしかし、(北海道旭川出身・野村部屋所属の色白美人)の場合は、その理念やヴィジョンが根本から異なっていたのである。じゃあ、ヒマだったら行ってやるからチラシと招待券を俺の机に置いておけ、みたいな雰囲気でないことはすでに明らかである。
 案の定、彼女はズバリこう切り出した。

 「あのー、一応みんなにも買っていただきました。一枚2100円です」。きっぱり。

 な、何たることをぬかすのかっ、こ、この俺さまに向かって。
 思わず倒置法になってしまうような迫力である。
 これは「恥知らずの厚顔無知」ではない。
 これはまさしく「命知らずの信号無視」である。
 「前代未聞」などでは決してない。

          「前人未到」 であった。

 破竹の勢いに押されながらも、社長業トータル25周年を迎える私は威厳と冷静さだけは十分にキープしながらこう云った。

 「う、え、じゃ、お、おとな一枚お願いします」

 おずおずと5000円札を差し出しながらお釣りをお願いする私に対し、こーゆー場合「ツリはいらん」とゆーもんだろうが、という感じのアイレが、炎のバイラオーラ水野暁の両眼にうっすら浮かんでいたことを、私は生涯の想い出にしようと思った。
 このことはまた、永い間の私の帝政が、リベラリスト水野の民主主義革命によってその終焉を迎えた瞬間でもあったことを、パセオ社史上に深く刻んでおくべきであろう。


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 さて、迎えた快晴の当日である。
 実り多い一日であったことを最初にご報告しておきたい。

 編集部はオール群舞で全五曲を踊った。セビジャーナス、ファンダンゴ、タンゴ、グァヒーラ、ブレリアである。
 それらは、全身全霊でフルに行ってみようという明るい気合いに充ちあふれており、群舞の交差における“かわし”の技術は見事であり、また、カンテやギターに飛び込んでゆこうとする意識がサパテアードの音質に確かに反映されていた、と思いたい。
 よって水野バイレの本質は、

「フル行けや かわす飛び込む 水野 音」

 にあると、その日私は確信したのだった。

 水野と云えば、取材先で「あなた、ちょっと踊ってみて」というアーティスト(例えばあの大沼由紀さんとか)の冗談に、迷わずいきなり踊り出してしまうほどの潔い根性の持ち主である。
 これでもかーみたいに何度も何度も登場する水野のその潔い踊りっぷりに、私はある種の感動を覚えつつ、「潔い」ということの本当の意味、そしてその意義を再認識したのだった。

 それにしても、それなりに緊張はしてるのだろうが、踊るのがうれしくて楽しくて仕方がないという、周囲までウキウキさせてしまうようなあの明るいアイレは一体なんなのだろう。
 天性なのか、天然なのか、単なるアホなのか

 ………いや、そうではあるまい。
 ついつい一人暗く生まじめになってしまうレベルから、もう一歩踏み出して、仲間とともに明るく何かを成し遂げたい。「人生楽しく」というヴィジョンは実際楽じゃないけど、そのチャレンジそのものに人生の醍醐味を感じてみたい。
 水野が放つオーラからは、そんなあっぱれスタンスが見えてくるのだ。あの豪快なチケット営業もそうだが、今日の水野はそんな爽やかな生き様を胸を張って私たちの前にさらしたようでもあった。……ま、単なるアホの線も捨てがたいが。


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 さて、技術面・コンパス面のレポートについては「農耕民族の意地を立派に貫いた」みたいな行でご理解いただきたい。その日の水野バイレはコンパス・技術を超越していた、ということでサラッと流すべきである。だから、それはどういう意味か?みたいな突っ込みを入れてはいけない。あなたも私も命だけは大切にすべきだからだ。
 また、今後の課題の大きさは、そのポテンシャルに比例するのである。

 それにしても改めて思うが、“フラメンコ”というジャンルの実力はまさに底なしである。発表会と云えども、このような感動の嵐を巻き起こすことがあるからだ。
 この日の出演者たち(シルバー世代も大活躍)が、そうしたフラメンコの実力をものの見事に引き出して魅せたことだけは嘘ではないのである。

 100年にいっぺんくらいはこんなことがあっていい、とさえ私は思った。ちょうど今年がその100年目に当たることを知らずにいたこの私の方にこそ油断はあったのだ。
 何事かをやり遂げた者にだけに許される会心の笑顔を浮かべる今日の水野は、いつもの十倍ぐらい飛び切り上等に素敵だった。
 
強制的に来場させられた優しいご主人も、さぞや惚れ直されたことであろう。



            
「極度の緊張から開放された安堵から今にも泣き出しそうなパセオ全社員と、羽衣えるさんや濱田吾愛さん(ハレオ係)ほか有名執筆者たちに祝福され、一人うれしそうな水野。ふ、ふるえる手で筆者撮影」