フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

敗北 [031]

2006年02月09日 | 超緩色系


        敗北    



     



 「もはやこれまでか」……。

 負けを自分に確認する最後の瞬間。
 その無念さを克明に記憶している。
 将棋のプロ棋士養成機関への受験に失敗したのは、16歳の秋だった。


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 コネが幅をきかせる時代風潮の中で、ひねくれ者の中学生だった私は「純粋に強いヤツが生き残れる世界」に憧れていた。
 すでに遅すぎることはわかっていたが、大好きだった将棋の勉強を中二から本格的に始めて、高校入学直後にはアマ四段の資格を手にした。

 授業中は頭の中で詰め将棋、授業が引ければ強豪の集まる有名道場に直行し、そのあとは真剣(賭け将棋)の立つ場で競走馬のような役割をして受験費用や諸経費を稼いだ。
 そして、身の程知らずの小天狗を待ち受けていたものは、冒頭のような無残な結果だった。

 同世代の将棋仲間六名の中で、四名がプロテストを受験し、私を除く三名が合格した。
 その後の私は音楽と女に走り、プロテストを受けなかった二名は東大に合格した。

 マグロの群れにまぎれ込んだイワシ……。それが私だった。

                 (つづく、かも)