フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

キース・ジャレット [029]

2006年02月05日 | アートな快感


      キース・ジャレット


 オルガン教室に通い始めたのは七歳の頃だから、私のキーボード挑戦歴はかなり古い。


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 毎日の「三度のバッハ」で聴くのもピアノやチェンバロが多いし、パセオではドランテスやディエゴ・アマドール(凄えブレリア!)のピアノフラメンコもよく聴く。

 クラシック系では、その雰囲気とアルテからバイラオーラの碇山奈奈さんを連想させるマルタ・アルゲリッチや、粋と知性がひとつになるアルフレート・ブレンデルあたりが特に好きだ。

 ま、無人島に一枚だけという条件ならば、家に積んでる千枚程のキーボードCDの中から、たぶんキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』を選ぶんじゃないかと思う。

 レコード屋さんのジャズ売場に常備されているこの名盤は、内容的には、モーツァルトやベートーヴェンたちが得意とした即興のピアノソロに近い形態のものかもしれない。


          
      『キース・ジャレット/ケルン・コンサート』
             (ECM1975年)


 その音色、そしてそのメロディは、この世のものとは思えぬほどに美しい。
 それ以前に弾かれたこともなく、それ以降に弾かれることもない一回限りのまったくのインプロヴィゼーション(即興演奏)なのである。しかもライブだ。


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 20代から来日公演の追っかけをやってた私だが、ピアノを通して、キースの瞬間瞬間の心の情景が音楽となって宙に飛びだす、その刹那の緊張と興奮を忘れることは出来ない。
 次に何が来るのか? まったく先が予測できない。
 だが、あれは必ずやってくるのだ。
 そう、フラメンコ・ファンにはおなじみの「あれ」である。

 それで想い起こすのが、初めて観る大沼由紀さんのフラメンコ舞踊公演だ(200511月/新宿シアターサンモール)。
 キース・ライブに共通する、彫りの深いモノトーンのリアリティと、「あれ」をともなうピュアなファンタジーは、私の脳髄に充分すぎるデジャ・ビュを発生させた。
 日本のフラメンコシーンには、またしても凄え人が現われていたのである。

 話し戻って、そんなキース・ジャレットのインプロ全盛期のピアノソロを克明に記憶するのがこの『ケルン・コンサート』だ。
 純粋でリアルな音楽ドラマを求めるフラメンコ派には、意外とすんなり共鳴できる一枚かもしれない。


     


 ところで、このキースを聴いたあとには無性にキーボードに触れたくなる。さまざまなピアノ的曲想があふれんばかりに脳内を駆けめぐるからだ。
 ただピアノはやはりグランドに限ると考える私の部屋には、それを設置するだけのスペースがない。また、スタインウェイやベーゼンを購入するだけの金もないことに気づく。

 胸を撫でおろすのはそんな時である。
 オルガン教室を一ヶ月で挫折しといてホントによかった。