フラメンコ超緩色系

月刊パセオフラメンコの社長ブログ

落語 [026]

2006年02月02日 | アートな快感


           落語


 こう見えても私は、毎日を真剣に生きているつもりだ。
 だが、後になって自分の歩んだ道を振りかえってみると、まるで落語のような人生じゃねえかと思う。

 この事からもわかるように、落語というのは実に真剣なものなのである。


                     
      『春風亭小朝/牡丹灯篭』(SONY1998年)


 保育園に行かない頃(登園拒否)から、ラジオの落語番組にかじりついてたという位のものだから、私の落語鑑賞歴はもう45年になるわけだ。
 私の落伍実践歴(43年間)より二年もウワ手なのである。
 どちらも筋金入りである、と親しい関係者は皆そう証言する。

 もし、日本フラメンコ協会の新人公演にそういう奨励賞部門があったなら、私の場合、書類審査だけで特別笑冷症の診断を受け、以後出入り禁止を喰らうだろう。


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 私の落語は観る聴く専門である。
 フラメンコと一緒で自分では演れない。
 小学生時分に一度演ってみたが、登場人物がみな与太郎になってしまい話の収拾が困難となってしまうのだ。
 捨てるには惜しい芸風だったが誰もひろわなかったように記憶している。そうした芸風は、社の経営会議等における私の発言内容にわずかにその面影を残すのみである。

 また、仮に落語家として成功したとしても、アイドル(にしきのあきらや天地真理など)に間違えられて、とても落語どころではなかったのではないかと思う。

 そんなわけで、若き日は寄席や独演会に足繁く通い、パセオ創刊後は片っ端から落語CDを買いまくった。
 三ヶ月のあいだ、昼飯と酒を断って買い集めた時期もある。
 最近私がデブなのはその頃(十年前)のリバウンドによるものだ。


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 さて、本欄をのぞいてくださる方にお薦めできるのはズバリ、アントニオ・マイレーナ派なら柳屋小三治、カマロン派なら春風亭小朝の二大名人である。
 面白すぎて、やがて凄すぎて、芸を盗むどころではないかもしれないが、日本人に生まれた喜びだけは、しかと噛みしめられるはずである。


        
         『柳屋小三治/文七元結』(SONY1992年)