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パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

恥ずかしい〜その1

2020年12月18日 | 本・マンガ・テレビ・映画
12月18日(金)晴れ

テスト前になると部屋の掃除を始めてた娘に遺伝子を感じていた。
RSPのレポートを出さねば!と思っていると、普通に日記や読書感想文を書きたくなる。
息抜きってのが必要よね。

ってことで、先日読了した酒井順子著「Sense of Shame 恥の感覚
これは「オール讀物」に連載されていて、その中にはバズったネタもあったようだが、ワタクシは全く存じ上げなかった。
でもでも、ホントに、人類を大きく二種類に分けるとしたら、ワタクシ、酒井順子さんと同じ輪の中に入る。絶対!

ワタクシは恥ずかしがり屋だ。56歳のおばがそんなこと言うことがすでに恥ずかしいと言われればそれまでだが。
大人になってから知った「中ニ病」と言う言葉で「ををっ。まさにワタクシはそれだった!」と思う。
自意識過剰なあまり、勉強をしているということすら恥ずかしかった。
「一生懸命」が恥ずかしかった。
「親」が恥ずかしかった。
50過ぎたら、過去にそんなことを恥ずかしがってたことが恥ずかしい。

この本の中に書いてあって、ふぁほぉ〜っと納得したのが、井上ひさし先生がおっしゃってた言葉らしいのだが、
「エッセイとは、すなわち自慢話である。」
エッセイ界の草分け、創始者である清少納言氏は、その最たるものである。
その対極にいると思われがちな吉田兼好氏すらも、ちらほら「自慢」が見え隠れする。
「エッセイ」と、たかだか自己満足の世界のブログやSNSの世界を並べて語るのもあれだが、でも自分に関して言うと、とっても納得したので書く。
ブログを書き始めて早15年が過ぎた。
ブログで仲良くなった仲間たちが次々とInstagramやfacebookへと移っていく(流石にTik Tokは居ない)
ワタクシも、一応はトライはしてみる。
しかし・・・長続きしない。
なぜか。
自慢してるみたいで恥ずかしいから。
自虐というオブラートに包んでるつもりであるが、それでもやはり・・・
いや、ブログの方がもっとセキララだし、自慢はオープンだし、読んでる人のほうが「恥ずかしいわ」と思うような事も書いている。
でも、ワタクシは恥ずかしくない。
リアルのお友達が数人読むくらいで、あとは知らない人だもの。
日記なら、日記帳に書けばいいのだ。
文字を手で書くのがめんどくさいからブログにするというのは言い訳だ。
それだけならブログに書いて非公開でいい。
わざわざ公開するのは、やはりどこかに「読んで欲しい」気持ちを持っているのだ。
そう!自慢話は聞いてくれる人がいて初めて成立する。
一億総カメラマンだし、一億総エッセイストなのだ。
世界中の人が読んでくれると思ってワタクシは今日もブログを書く(・・・・・)
コメント
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