※以前、朝日新聞に「あゆにみる無常観」という記事が載りましたが、
そこで紹介されている歌詞分析サイトからの引用です!
アルバム『Duty』より『SURREAL』
サンプルテキスト |
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この歌詞は、この曲のキーポイントとなる部分である。「ふたり」というの
は「愛する者と共にいる状態」を連想させる。すなわち、孤独を癒してくれる
相手がいることである。では、その癒してくれる相手がいても感じる孤独とい
うのはどのようなものだろうか。
人間には「出会い」がある以上「別れ」が存在する。孤独を癒してくれる
者、愛する者と出会っても、その出会いが永続するとは限らない。ちょっとし
た気持ちの食い違いで破綻してしまう程、人間関係というものは脆いものなの
だ。浜崎あゆみはその人間関係の脆さを認識しているものと思われる。「出会
い」の瞬間から「別れ」の不安が心を過ぎる。その人と永遠に一緒にいたいと
願っても、人間同士の結びつきである限り、「別れ」という厳然たる事実があ
るのだ。人間は常に「出会い」と「別れ」を繰り返す。それを繰り返さずには
生きていけない自分自身を見つめて、「孤独」と描いたのではないか。まさ
に、人間として生きていく上での根源的な「孤独」と言える。単に誰かがいれ
ば癒される孤独ではない。その「孤独」を癒す術は誰も知らないのだ。
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と解釈されていました。
私の見解では、上で解釈されていることは勿論のこととして、以下のように考
えました。
一人で孤独なのはある意味で当たり前、仕方ない、けれども、
二人でいるのに、孤独を感じる、こっちの方がキツイ。
ふっとどこかですれ違った心を感じる。
他人だから当たり前なのだけど、だけどそれをモロに感じてしまうと
(相手が親しい人であればあるほど)ツライものなのだ。
「孤独は都会にある」といった言葉もあるようだけれども、独生独死の現実は
多人数の中でこそあらわになってしまうのだ。
この孤独な魂の解決は大切なテーマだと思います。
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所詮、他人の二人、お互いを100%理解しあうなんて不可能だってわかってるのに、「どうして分かってくれないの!」と思う時ってあるよなぁ。
過剰に期待しないことです。
期待して裏切られるから傷つく。
優しくしてもらえたことに感謝するだけ。
そんな毎日を過ごしてたら、あんまり腹が立ったりしないのかもなぁと思います。
1人を楽しみ、大勢も楽しむ、そんな人間になりたいmakikoでした。
今日の記事はわかる気がするたい。
2人でいても孤独を感じるということは、その相手は孤独を癒してくれる人ではないサカイ。
ますます孤独を感じさせる人なんだよ。
相手を選び間違えているサカイ。
それに気づかないで、ますます寂しくなるんだべ。
ああ~~@方言って難しい@@@
また、最近いろいろとバタバタしてしまい、みなさんのところへも遊びにこれてませんでした。
もう少々落ち着きましたら、復活させますので、その節にはまたよろしくお願い致します。
新ブログURLは以下になります。
http://blog.drecom.jp/findmyselfformyself/
一人一人違う世界に住んどるとたいね。
「1人を楽しみ、大勢も楽しむ、そんな人間になりたいmakikoでした。」
い~い言葉やね!
ほんとそうやね~そうなれたら良かね~
あなたどこの人ね?(冗)
「2人でいても孤独を感じるということは、その相手は孤独を癒してくれる人ではないサカイ。
ますます孤独を感じさせる人なんだよ。
相手を選び間違えているサカイ。
それに気づかないで、ますます寂しくなるんだべ」
いい言葉ばいね~
語尾以外(うそ、語尾がいいよ!)
九州弁マスターするまでバシバシ教える
けんね~九州弁しか使えん体になるまで!
(意味不明)
goo調子悪かもんね。
おいは、もうちょっと様子みるけん。
がんばるとばい!
あゆの曲は、詳しく聞いたわけではないんですけど、結構孤独感の強い曲が多いように思います。
日記を拝読して三浦綾子の『ひつじが丘』という作品の中に、真の孤独を恐れるものは結婚してはならないという趣旨の言葉がありましたが考えさせられたことを思い出しました。
「真の孤独を恐れるものは結婚してはならない」
何か、深い言葉ですね。
大金持ちや大スターがかえって孤独ってことも
あり、なかなかむ難しい問題ですよね。
そして大なり小なり誰でも抱えていることだと
思います。
この孤独な心の救いを求めることが、
本当の幸せを求めることになると思いますよ!
アシアト残しておきました。テヘっ