尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

不思議の森へあなたを訪ねて下さい。
「人生は正しいのです、どんな場合にも」(リルケ)
2005.10/22開設

フランケン

2006年02月19日 23時47分52秒 | 詩の習作
詩の一行は包帯やった
三年詩を書いて
おれは立派な
フランケンシュタインや

包帯と包帯の
斜めの隙間から
新大阪駅の裏手にある
暗い自転車置き場を
ながめていた

こんなこともよう
書けへんのか…
おれはたくさん
息をしてきた

と、思ったら
出会うことのない
ひとりひとりの
人間の尻を乗せている
沢山の自転車が
ひっそり光っていて
泣けてきた

ほんとうに
おれはたくさん
息をしてきた

おっさんの包帯は
白いか赤いか

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2 コメント

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Unknown (ソフィー)
2006-02-22 22:54:16
こんばんわ、ソフィーです。自転車置き場で同じようなことを感じることがあります。まだ屋根があるところはいいね、笑。雨に濡れた自転車が並んでいるのを見ると、いとおしくなるの。変ね!みんな持ち主がいて、誰かが帰ってくるのを待っている。自転車って寂しいかな? 「おれはたくさん 息をしてきた」というリフレイン、切ないです。また、発見があるね。フランケンシュタインと包帯に何かユーモラスな味を感じつつ切なくなる詩でした!にゃん!

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フランケン (まこと)
2006-02-23 00:33:04
自転車って、

人間の一番恥ずかしい内密的なところを

支点にして移動するワタクシ的な乗り物、ということもあるね。

講演会の帰りだったからね、

あの中では、詩のことばどころか、普通の言葉でさえ通じていないと感じたからね、ちょっと絶望的だった。

まあ、どの世界でも感じてしまう現実だろうね。
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