昨日、一昨日のぐずついた空模様が嘘みたいな、緑の晴天に誘われるように、木馬の嵌め殺しの窓から見える、お向かいのバラ庭園に行った。
綺麗だ、そして甘い匂い。高い空には小鳥のさえずりが耳に心地よい。
虫一つ付いていないほど手入れの行き届いたバラ庭園。濃いオレンジはオランダ色、薄く橙色がかった桃色はフランス色、真紅の色はスペイン色、そんな事思いながら写真を撮らせていただきました。(写真をクリックして下さいね。)
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先週の事だけど、お客さんの誰かが、仁丹を食べていたのか、その匂いがした。
なんだか懐かしい匂い。
銀色の小さな粒で、口に入れるとすうすうして、銀色が解けると正露丸のような色で でもいつまでも苦くて、子供には決して美味しいとはいえなかった。大人の食べ物で、大人になったらきっと美味しくなるものだと思っていた。
父親はいつも仁丹を持ち歩いていた。背広のポケットに入れて、時々丸いケースに入った仁丹を手のひらに数粒のせて口に入れていた。入れたとたんに多分噛み砕いていたと思う。当り一面にあの口中清涼剤のような 正露丸のような、薬臭い匂いが漂っていた。私はよくお酒飲む父親だったので、あれは軽い胃薬で、飲み過ぎた時はきつい胃薬「太田胃酸」を飲むのだと思っていた。
いつも水屋の一番上の引き戸の中に常備楽として「太田胃酸」が入れてあったので、そのように思っていた。
仁丹といえば思い出す事がある。
この「ブレンド日記」をずーっと最初から読んでくださっている方はご存知だと思うが、子供の頃(S24年頃)東京の目黒区平町に住んでいた事がある。(ハイハイ!半世紀も前のことです。)といっても父方の姉夫婦の家に、私たち一家が居候していただけなのだが・・年の離れた四姉妹の従妹達に、妹のように可愛がられて、過ごした懐かしい日々。戦後の何もない時代の事。
その家には、私たち家族ばかりでなく、それぞれ年頃になっていた従妹達の彼氏が入れ替わり立ち代り出入りしていた。
上から二番目の従妹の彼氏のあだ名がジンタンだった。ただ単に苗字が森下だったからそう呼んでいたみたい。私はジンタンのお兄ちゃんと呼んでいた。
ある日 三番目の従妹の彼氏「鼻のお兄ちゃん」・・(私には鼻がまるで付け鼻のように、異常に大きく見えたので、そのように言っていた。今思えばウオルター・マッソウのよう)がカメラを友達のところから借りてきた。この際だから皆で写真を撮ろうという話になり、それぞれ着替えたり、お化粧しなおしたり、綺麗に写るよう、支度している時、ジンタンが私に言った。「写真はあのカメラの目の中に皆が入ってしまうんだよ、そして写ったらまた出て来るんだよ。」
私はカメラを見つめた、確かに蛇腹の前には大きな目が飛び出ていて、手招きしている様に見えた。その時頭の中にアラビアンナイトの物語かなにかのように、壷の中に小さくなった人間が、吸い込まれていっておまじないを忘れて出られなくなった自分がいた。恐くなり 写真写るのは絶対に嫌だと思った。
「さぁ みんな準備いい?並んで並んで・・えっちゃんは前ね。」鼻のお兄ちゃんはカメラ抱えてそういった。
私は逃げた。「どうした、早く並んで。」皆でひっ捕まえようとした私はもうおお泣きして、「嫌だ~、嫌だ~、カメラの中に入るのは、お父様もお母様も写ったら駄目!」しゃくりあげるくらい泣いて抵抗した写真の思い出。
因みに育ちが貧相なわりには、両親の事をそのように呼んでいた三姉妹です。本当なんだってば、ね!そばかずちゃん!
そして当然ながら その時の写真には勿論私は写っていませんでした。
尤も生活もいっぱいいっぱいでカメラもなかったのですが、小さい頃の写真が余りありません。
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