野生の芍薬が花をつけました。
といっても木馬ではなくて、後ろのソーメンさんのうちのお庭ですが。
ソーメンさんは実家のある弥栄町の、山また山の中の清流がさらさらと流れる山葵田の傍で自生していたのを見つけて、自宅のお庭に移植されたらしい。いかにも素朴で、可憐で、そして凛としている。(写真をクリックして下さいね。)
『立てば芍薬、すわれば牡丹、歩く姿は百合の花』
古くから美人のたとえとしてよく使っていたが、これらの植物は全て婦人病の薬草らしい。
シャクヤクは、冷え性、月経不順、産後の疲労回復。ボタンは月経困難、便秘。ユリは乳腺炎やできものの薬草なんだって、シャクヤク、ボタン、ユリを薬草として用いると美人になるという昔の言葉にはそういった深い意味があったんだぁ。
改めて先人の知恵を知る。
<関のトンボっぺ> ・・・原作・・そのちゃん
関のトンボっぺが木曽路を歩いていると、道端で鳥追いの女がしゃがみ込んでいる。「いかがなされた?」「あいすいません、急なシャクが・・」
「それはいけないね、これを飲んだらいい。」トンボっぺは懐から鼻くそ丸めてまんきんたんを手に取り 竹筒から水を出して鳥追い女に差し出した。「どこのどなたか存じませんが、ご親切にありがとうございます。私は兄さんを探して旅しています、兄さんは妻籠宿にいると風の便りに聞きました。やくざに身をやつしているけど私にとってはたった一人の兄さん、その道すがらこのようなことになり、ご親切にありがとうございます。鳥追いイリコと申します。」
「なーに、気にすることはねぇ、袖すりあうも多少の縁ていうじゃねぇか。それじゃ先を急ぐんで、気をつけていきなよ。護摩の灰にも気をつけてな、さらばじゃ」
「しかしそれにしてもいい季節だなぁ、ウグイスの鳴き声、山桜も綺麗だ、お!あそこに茶屋がある、ちょっくら休んでいくか。」
「ごめんなすって、婆さんだんごおくれ!」
「はいはい、今日はいいお天気でいいですね。これからどちらまで?」
「ちょっと馬篭の宿に昔の知り合いがいてな。」
「じゃ 休んだから出かけるか。ばあさん だんごうまかったぞ、お勘定」
「ハイ、二十文で」
「そうかい、ちょっと待っとくれ。 あれ おや、ない、ない、懐中が、しまった!あのアマだ。鳥追いイリコとか言う、どうも胡散臭いアマだと思った。すまねぇばあさん!先ほど迂闊にも鳥追い女に財布をすられた。」
「おやおや それは災難だねぇ、ここはまた帰りに覚えていたら払っておくれ、ここはいいから・・」
心優しい おそのばあさんは その渡世人を見送ったのでした。
「すまねぇ ばあさん、恩にきるぜ、 必ずこのかりはけぇすからな、あばよ」
あぁ疲れた。
この話に出てくるシャクもこの芍薬からきたそうです。バカみたい。長谷川伸(関の弥太っぺの原作者)のようにうまく書けません。
口直しに少し真面目な記事を。
いつも楽しみに読んでいる新聞のコラム(『CM天気図』・・天野祐吉)で面白い事が書いてあった。
後期高齢者という言葉が長寿高齢者に変わったと言うことから、長寿でも後期でもいいけど、言葉は正確ならいいというものではない。意味は正確でもその中にキモチがこもっていなければ言葉は決して相手には届かない。
東京の下町で育った子供の頃近所にとても気さくで面白いオバサンがいて、そのうちのおじいさんの事を「うちのくたばりそこない」と呼んでいた。
いい言葉ではないけれど、誰もそれをひどいと思わなかったのは、その言い方の中にあったかい感情がこもっていたのと、実際におじいさんを大切にしていたからである。
私凄くよくわかる。
例え悪口でも その人に対するキモチがこもっていれば、相手も腹も立たないだろうしこちらも 全然腹も立たないし何だかすっきりする。
先ほどの物語もあったかいキモチが込められているから、イリコさんは「フン!どうせ私は手癖が悪い女ですよ。」と笑っていました。
信頼関係で結ばれていますからね。ホントかいな?
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雨 一日中12℃
といっても木馬ではなくて、後ろのソーメンさんのうちのお庭ですが。
ソーメンさんは実家のある弥栄町の、山また山の中の清流がさらさらと流れる山葵田の傍で自生していたのを見つけて、自宅のお庭に移植されたらしい。いかにも素朴で、可憐で、そして凛としている。(写真をクリックして下さいね。)
『立てば芍薬、すわれば牡丹、歩く姿は百合の花』
古くから美人のたとえとしてよく使っていたが、これらの植物は全て婦人病の薬草らしい。
シャクヤクは、冷え性、月経不順、産後の疲労回復。ボタンは月経困難、便秘。ユリは乳腺炎やできものの薬草なんだって、シャクヤク、ボタン、ユリを薬草として用いると美人になるという昔の言葉にはそういった深い意味があったんだぁ。
改めて先人の知恵を知る。
<関のトンボっぺ> ・・・原作・・そのちゃん
関のトンボっぺが木曽路を歩いていると、道端で鳥追いの女がしゃがみ込んでいる。「いかがなされた?」「あいすいません、急なシャクが・・」
「それはいけないね、これを飲んだらいい。」トンボっぺは懐から鼻くそ丸めてまんきんたんを手に取り 竹筒から水を出して鳥追い女に差し出した。「どこのどなたか存じませんが、ご親切にありがとうございます。私は兄さんを探して旅しています、兄さんは妻籠宿にいると風の便りに聞きました。やくざに身をやつしているけど私にとってはたった一人の兄さん、その道すがらこのようなことになり、ご親切にありがとうございます。鳥追いイリコと申します。」
「なーに、気にすることはねぇ、袖すりあうも多少の縁ていうじゃねぇか。それじゃ先を急ぐんで、気をつけていきなよ。護摩の灰にも気をつけてな、さらばじゃ」
「しかしそれにしてもいい季節だなぁ、ウグイスの鳴き声、山桜も綺麗だ、お!あそこに茶屋がある、ちょっくら休んでいくか。」
「ごめんなすって、婆さんだんごおくれ!」
「はいはい、今日はいいお天気でいいですね。これからどちらまで?」
「ちょっと馬篭の宿に昔の知り合いがいてな。」
「じゃ 休んだから出かけるか。ばあさん だんごうまかったぞ、お勘定」
「ハイ、二十文で」
「そうかい、ちょっと待っとくれ。 あれ おや、ない、ない、懐中が、しまった!あのアマだ。鳥追いイリコとか言う、どうも胡散臭いアマだと思った。すまねぇばあさん!先ほど迂闊にも鳥追い女に財布をすられた。」
「おやおや それは災難だねぇ、ここはまた帰りに覚えていたら払っておくれ、ここはいいから・・」
心優しい おそのばあさんは その渡世人を見送ったのでした。
「すまねぇ ばあさん、恩にきるぜ、 必ずこのかりはけぇすからな、あばよ」
あぁ疲れた。
この話に出てくるシャクもこの芍薬からきたそうです。バカみたい。長谷川伸(関の弥太っぺの原作者)のようにうまく書けません。
口直しに少し真面目な記事を。
いつも楽しみに読んでいる新聞のコラム(『CM天気図』・・天野祐吉)で面白い事が書いてあった。
後期高齢者という言葉が長寿高齢者に変わったと言うことから、長寿でも後期でもいいけど、言葉は正確ならいいというものではない。意味は正確でもその中にキモチがこもっていなければ言葉は決して相手には届かない。
東京の下町で育った子供の頃近所にとても気さくで面白いオバサンがいて、そのうちのおじいさんの事を「うちのくたばりそこない」と呼んでいた。
いい言葉ではないけれど、誰もそれをひどいと思わなかったのは、その言い方の中にあったかい感情がこもっていたのと、実際におじいさんを大切にしていたからである。
私凄くよくわかる。
例え悪口でも その人に対するキモチがこもっていれば、相手も腹も立たないだろうしこちらも 全然腹も立たないし何だかすっきりする。
先ほどの物語もあったかいキモチが込められているから、イリコさんは「フン!どうせ私は手癖が悪い女ですよ。」と笑っていました。
信頼関係で結ばれていますからね。ホントかいな?
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