ブログにアップする写真がない。
たくさん頂いたお花でも。
ガラスの器に、ビー玉を入れて、大輪の百合に、シンピジュームと菊の組み合わせ。我流だけど、はからずも和洋折衷の面白い美の世界が出来上がり、今日も満足、満足。
カウンターは雑草だらけ、ここは雑草喫茶か?でもこれがいけるのよ、可愛いし、なんか一生懸命小さな命を、人間社会に適応させているのがなんともけなげ。
雑草って意外に切花にしても強いね。日もてがする。最も踏まれても踏まれても這い上がるからということで、野球の選手達がよく人生格言に使っている。
例えばプロ野球界歴代4位の勝ち星をあげた鈴木啓示投手の座右の銘も、確か「草魂」だった。
とまぁ また話はそれたが、昔子供の頃 蓮華とか摘んで帰ってもすぐ「ぐにゃ」となってたような記憶があるが、最近の雑草は色々と人間社会に適応するように 自ら品種改良したのだろうか?
食べられたり、目を楽しませてくれたりするけど、そのうち空き地で成長しすぎると、邪魔のも扱いにされて、六月の一斉清掃のときは、草刈機で綺麗に駆り取れれてしまう。後僅かの命。
********************************
まただ。
夕べ仕事を終えて帰ろうとしたら、鍵がない。
店中を探したけれど見当たらない。一体これで何度目?嫌になった。仕方無しにまたスペアを引っ張り出して何とか家までたどり着いた。
寝ていたら、ふと もしかして今日のサイドビジネス用のカゴに入れてないか?と夢に出てきた。
朝 来るなりすぐさまカゴを見たら 鍵はちゃんと入っていた。やはり私の最大の欠点は海馬だと思う。
しかし海馬の事は自分ではどうすることも出来ないのだから、少しばかり落ち込んだら忘れてしまう。
けど、今週もまた反省点が多い私です。
それはお客さんと話していて、よく「というか」「でもね」という言葉をよく使うのだ。
例えば今日もお客さんが、「キャンデーズのさよならコンサートのフィルムコンサートで50歳代のおっさんが 鉢巻して涙流していた、バカみたいよね。」というと、私は間髪いれず
「というか、人にはそれぞれ時代と切り離せない音や、像があるんよ、若いとき熱くなった自分がいるんよ。何もかも忘れたいとき、時の引き出しから熱く燃えた記憶を取り出して、日ごろを忘れて元気を取り戻すのよ。」
と答えている私がいる。
お客商売をしながら、素直に人の話を聞かずに、「でもね」という言葉で一見人の話を引き継ぐ形をとりながら、全く逆のこと言って、そして心の中で「その話は私のほうが詳しいのよ。」というような優越心のような反骨精神のようなものが湧いてくるのだ。
その点 トンボなど、さっきまで言い張っていたのに自分が不利とみなすとすぐさま「うん 人はそうとも言う。」と相手に靡く。私は「どうしてすぐ意見を曲げるの、なんでそんなに自分の意思決定力がないの。」というと、「そんなものが備わっていれば、とうの昔に出世して、今 女房の尻に引かれてないわ!ハハハ・・」と寂しい笑い顔で言う。
私は少しでも深く意見を述べて、相手を黙らせるというような、根っからのあざとい性格がこの口癖に象徴されているような気がする。おまけに自分の得意なジャンルなどの場合は特に、自分が言うのはなんともないが、人が私の意見にケチつけると、全く偉そうに 顔には出さないがムッとする。この顔に出さないというところが可愛くない、ニコニコ笑いながら、顔と心は正反対なのだから。
可愛くない、嫌だ、嫌だ。
しかし有難い事にこんなイヤミな可愛くない女でも身分不相応に色々とよくしてくださる方ばかりで、有難い限りだ。
世の中には心根の優しい、いい人が多いのだ、といい方に解釈して、連日反省しています。
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たくさん頂いたお花でも。
ガラスの器に、ビー玉を入れて、大輪の百合に、シンピジュームと菊の組み合わせ。我流だけど、はからずも和洋折衷の面白い美の世界が出来上がり、今日も満足、満足。
カウンターは雑草だらけ、ここは雑草喫茶か?でもこれがいけるのよ、可愛いし、なんか一生懸命小さな命を、人間社会に適応させているのがなんともけなげ。
雑草って意外に切花にしても強いね。日もてがする。最も踏まれても踏まれても這い上がるからということで、野球の選手達がよく人生格言に使っている。
例えばプロ野球界歴代4位の勝ち星をあげた鈴木啓示投手の座右の銘も、確か「草魂」だった。
とまぁ また話はそれたが、昔子供の頃 蓮華とか摘んで帰ってもすぐ「ぐにゃ」となってたような記憶があるが、最近の雑草は色々と人間社会に適応するように 自ら品種改良したのだろうか?
食べられたり、目を楽しませてくれたりするけど、そのうち空き地で成長しすぎると、邪魔のも扱いにされて、六月の一斉清掃のときは、草刈機で綺麗に駆り取れれてしまう。後僅かの命。
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まただ。
夕べ仕事を終えて帰ろうとしたら、鍵がない。
店中を探したけれど見当たらない。一体これで何度目?嫌になった。仕方無しにまたスペアを引っ張り出して何とか家までたどり着いた。
寝ていたら、ふと もしかして今日のサイドビジネス用のカゴに入れてないか?と夢に出てきた。
朝 来るなりすぐさまカゴを見たら 鍵はちゃんと入っていた。やはり私の最大の欠点は海馬だと思う。
しかし海馬の事は自分ではどうすることも出来ないのだから、少しばかり落ち込んだら忘れてしまう。
けど、今週もまた反省点が多い私です。
それはお客さんと話していて、よく「というか」「でもね」という言葉をよく使うのだ。
例えば今日もお客さんが、「キャンデーズのさよならコンサートのフィルムコンサートで50歳代のおっさんが 鉢巻して涙流していた、バカみたいよね。」というと、私は間髪いれず
「というか、人にはそれぞれ時代と切り離せない音や、像があるんよ、若いとき熱くなった自分がいるんよ。何もかも忘れたいとき、時の引き出しから熱く燃えた記憶を取り出して、日ごろを忘れて元気を取り戻すのよ。」
と答えている私がいる。
お客商売をしながら、素直に人の話を聞かずに、「でもね」という言葉で一見人の話を引き継ぐ形をとりながら、全く逆のこと言って、そして心の中で「その話は私のほうが詳しいのよ。」というような優越心のような反骨精神のようなものが湧いてくるのだ。
その点 トンボなど、さっきまで言い張っていたのに自分が不利とみなすとすぐさま「うん 人はそうとも言う。」と相手に靡く。私は「どうしてすぐ意見を曲げるの、なんでそんなに自分の意思決定力がないの。」というと、「そんなものが備わっていれば、とうの昔に出世して、今 女房の尻に引かれてないわ!ハハハ・・」と寂しい笑い顔で言う。
私は少しでも深く意見を述べて、相手を黙らせるというような、根っからのあざとい性格がこの口癖に象徴されているような気がする。おまけに自分の得意なジャンルなどの場合は特に、自分が言うのはなんともないが、人が私の意見にケチつけると、全く偉そうに 顔には出さないがムッとする。この顔に出さないというところが可愛くない、ニコニコ笑いながら、顔と心は正反対なのだから。
可愛くない、嫌だ、嫌だ。
しかし有難い事にこんなイヤミな可愛くない女でも身分不相応に色々とよくしてくださる方ばかりで、有難い限りだ。
世の中には心根の優しい、いい人が多いのだ、といい方に解釈して、連日反省しています。
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