嘉久志界隈です。(隣のおやじさんの写真です。クリックしてください。)
①・・・・木馬
②・・・・イリコ邸
③・・・・江津警察署
④・・・・トンボの練習するスイミング
⑤・・・・新川河口
⑥・・・・トラタヌの膠着状態の現場。
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今日は少し忙しくて午後バタバタしたけど、やはり暇な木馬の昼下がり。
新聞だけはチェックしなくてはね。
サンケイスポーツによると、昨日の高校サッカーで準優勝した岡山の作陽高校の野村雅之監督は、優勝できなくてなき崩れる選手達に、「泣いても事実は変えられない、未来の事実を変えることしか出来ない。そのためにも今日のことをしっかりうけとめよう。」といったらしい。いいね、こういう言い方はなかなか出来ないと思う。
作陽のコーチに向かいいれられた時に、その高校に体育教員の枠がないからと、通信教育で英語の教師の資格を取り、そしてサッカーの指導に夢をかけたらしい。
そして02年の岡山地区大会の時 審判の誤審で延長Vゴールを決めながら、PK戦で破れて出場権を逃した時も、くやしいが事実は変えられないと選手達を励まし、地域的なハンディと、自らのハンディを乗り越えて今回の準優勝まで導いたと記事は伝えていた。私はこのような熱心な教育指導者に恵まれた生徒達は幸せだったろうと読みながら思った。先生の夢のお手伝いが出来る生徒もきっと心豊かな人間になると思う。
で、前日の「夢」のところで書きそびれてしまったんだけど、同じ夢でも夜寝ていて見る夢。
江戸の町では、元日初売りといって、「オタカラ、オタカラ」と歌うような声で宝船の絵を売りに歩くのが風物詩だったらしい。枕の下に敷いて寝ると吉夢を見るという言い伝えがあったとか。
そういえば、好きな俳優のプロマイドを枕の下に敷いて寝たことがあるけど、その好きな俳優の夢を 見たのかどうか忘れてしまったが、江戸時代からの言い伝えだったんだ。知らなかった。
私が面白いなと思ったのは、宝船の絵に描いてある歌。
「ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」
上から読んでも下から読んでも同じになる呪文のような語句。
江戸の人は本当に風流だったんだね。
そういえば、今日の山陰中央新聞にもこんな記事が出ていた。
江戸時代の男性達は女性に負けず粋なおしゃれを楽しんでいたようだ。和服にはポッケットがないため、、巾着、印籠、煙草入れに紐を通し、先端に根付と呼ばれる留め具を帯に固定して町を闊歩していた。と書いてあった。
話がドンドン飛んでしまったけど、私は初夢も見ずに毎晩爆睡していますが、その年に始めてみる夢を初夢というんだろうか?
それとも2日に見る夢を初夢というんだろうか?
曇り 夕方晴れ 8℃