@さすらいのアマチアカメラマンの題して「東京消えそうで消えない街角」から・・
私の一番行きたいところは、アメリカのハリウッド、その次に行きたいところは落語の故郷。ここはスニーカーはいて、Gパンはいて、あっ!ダメダメスカートはいて、落語のカセット聴きながら、テクテクテクテクと歩いて廻りたい。
この写真は、待乳山聖天、この階段を上がれば、志ん朝さんの「崇徳院」なのだ。
若旦那がおりました。この若旦那、教養もあり、仕事もでき、それになかなかの美男子だったのですが、オクテな人でした。どこぞの誰かさんとは全く逆なわけですが、それはともかく、この若旦那がある日、上野に遊びに行ったところ、一人の女性と出会いました。若旦那はこの女性に人目ぼれ。声をかけたいのだけれども、なにしろオクテでして、きっかけがつかめません。そうこうするうちに、女性は若旦那に会釈して立ち去ります。後には、短冊が残されていました。若旦那が手にとって見ると、短冊には、
「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」と書いてあります。
教養のある若旦那ですから、この下の句が
「われても末に逢はむとぞ思ふ」と続くことにピンときたのですが、相手がどこの女性かわかりません。以来、若旦那は寝てもさめてもこの女性のことばかり思いつづけ、とうとう寝込んでしまいました。事情を知った熊さんが、この女性の捜索に乗り出します。
オチは、ようやく相手の女性を見つた熊さんが、喜びのあまり興奮して、鏡を割ってしまい、おかみさんにしかられたのに対して、
「心配ない。『割れても末に買わんとぞ思う』」
熊さんが上野の清水寺から「待乳山聖天の森」が見えるというくだりが頭をよぎる。
左から 今戸橋、今戸と言えば「今どの狐」だね、ちぐはぐな会話を思い出し、思わず顔がほころぶ。
向かいに見えるは向島・・これはもう有名な「百年目」「花見酒」まだまらあるよね。
小さな枕橋を渡ると、「文七元結」
三囲神社と言えば、「野ざらし」だ。
浅草寺といえば「粗忽の長屋」だ。
吾妻橋といえば「鰻屋」だ。
竹屋の渡しといえば「舟徳」だ。
「白髭橋」といえば・・なんだっけ?「白髭橋」?(もう少し書き足りないから調べるつもり。@テツ君写真とコメント間違ってたら、指摘してね。)
今日のお休み ぽっかりあいた午後の2時間、落語のこと考えていたら、江戸っ子だった、祖母の事思い出してしまった。
19歳で、この下町の御徒町のお嫁に来て、こよなく落語や、江戸の下町文化を愛してやまなかったおばあちゃん。
おみおつけとおこうこがあればもうなーんにもおかずはいらんといってたおばあちゃん。
東京と言えば私はこの下町を思い出します。
雨 12℃