アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

若草山に隠れている夫婦?マジッスかぁ?

2017年02月05日 | Weblog
「机上の空論」という諺があります。私が立てた「伊勢参り」の机上プランは、「判で押したように」ピタリと決まりまして、カミサンからもお褒めの言葉を頂きました。よい旅行をさせていただきました。
 個人旅行でこういうことって、なかなか無い。旅行ってものは、「行ってきま~す!」から、「ただいまぁ~!」まで計画通りでなければなりません。机上だろうが、馬上だろうが、枕上だろうが、厠上だろうが!
 馬上・枕上・厠上で旅行の計画を立てる奴はいないだろうって?私など、馬上はありませんが(馬に乗る機会が無い)、枕上(毎日。夜間頻尿なんですがね)、厠上(こ、これも、毎日。日によっては数回)では、頭の中は、今計画中の「奈良旅行一色」ですがね。
 いくら、インターネットが普及(この言葉自体が古いかな)しても、「見ると聞くでは大違い」というか、「机上の空論」というか…全然違ったということのほうが多いんじゃないかなあ。
「奈良旅行なら、御所市(ごせし)御出身の『茶々丸の御主人』に問えばいいだろう」って?はいはい、すでに、土地の人ならではのアドヴァイスを、頂戴しておりますよ。

 では、本題。前置き長っ!「若草山」なんですがね。
 「春日野は今日はな焼きそ若草の妻もこもれり我もこもれり(古今集)」
 この和歌は、若草山を詠んだものなのですが、一つの疑問が?なぬ?読みずらいって?では・・・
 「春日野は 今日はな焼きそ 若草の 妻もこもれり 我もこもれり」
 これならいいって?はいはい、和歌というか短歌ならこれでいいでしょう。なぬ?和歌と短歌は違うのかって?五七五七七は同じですが…説明すると長くなりますのでぇ…和歌と短歌は違うということでこの場は終息させていただきます。

 閑話休題、「若草と書かれているから若草山を詠んだ」ではないはず。なぜなら、「若草」は、「妻」の枕詞ですから。つまり、「若草山」とは、全く関係ない。
 では、「春日野が若草山のことだろう」って、それが正解。もっとも、私がそう考えただけですがね。多分本当の正解だとは思いますがね。
 春日野は、現在は春日野公園のことですが、古今集の時代の春日野は、「奈良市街地東部、若草山、御蓋(みかさ)山、三笠(みかさ)山…東は…北部に東大寺…(日本大百科全書)」
 そんなわけで、春日野に若草山を入れていただいてもいいかなと。

 何が言いたいかって?まあ、まあ、落ち着いて。
 「春日野は今日はな焼きそ若草の妻もこもれり我もこもれり」この和歌こそ何が言いたいかなんですがね。

 1月末に、恒例、「若草山の山焼き」が行われたようです。冬の夜空に打ち上げられた花火を合図に山焼きが始まったんだと!「冬の花火」これはいいですよ。特に、雪深い地方での冬の花火は美しい。

 またまた閑話休題。和歌に戻って、「若草山の山焼きをしないでくれ!妻と自分が隠れているのだから、焼かれちゃいやだよぉーっ」という意味ですよね。山焼きは、新しい草が生えやすくするため。詠み人は、「新しい草などどうでもいい。妻と私の命をまもってくれー」自分たちさえよければ、草などどうでもいい。(←ボケですから。念の為)
 それにしても、どうしてこの夫婦、若草山に隠れていたのでしょうねえ?ホームレスだったのかぁ?こ、古今集の時代のホームレスは、若草山に隠っていたのかぁ?このことがぁ、明快に理解することが出来ません。

 若草山に関わって、私が好きな和歌は…
 「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも(安倍仲麿 古今集)」ですね。百人一首で人気の札です。私も大好きなのです。
 なぜ人気なのか解らないって?百人一首の取り札には下の句しか書かれていません。「三笠の山にいでし月かも」。「三笠」が読みやすいから、人気の札なのです。それに、歴史の教科書に出ていたこともありましたし。
 天を仰いではるか遠くを眺めれば、月が昇っている。あの月は、(アンティークマンが奈良へ行って見るであろう)春日にある三笠山に昇っていたのと同じ月なのだなあ…。
 阿倍仲麿さんには申し訳ないが、この和歌、中の「五七」を取り替えるといくらでも和歌が出来てしまいますね。
 「天の原ふりさけ見ればニューヨーク トランプタワーにいでし月かも」
 「天の原ふりさけ見れば東京都 小池劇場にいでし月かも」
 「天の原ふりさけ見ればアンティークマンのぉ 頭頂部にいでし月かも」
 自虐ネタを出してしまいました。