友人から便りが届いた。中学時代からの友人で、同じく石巻の実家が被災、家もお墓も全壊。やはり一人暮らしをされていた、お母さんは無事救出されたが、それからの消息は知れなかった。
その後お母さんを引き取り、東京で暮らしているそうだが、認知症が進み、介護の日々とあった。
おそらく被災地では記録されないけれど、3・11以来、生活が変わってしまった人はたくさんいる。しかし、「とにかく命だけはたすかったのだから」とか「もっと、大変な思いをしている人がたくさんあるのだから」と、目の前の現実を受け入れながら、なんとかその日を暮らしている人も多い。
弟からの連絡。ようやく、母にあきらめさせ、実家を解体することで折り合いをつけたあと、市役所に解体の申し込みにいったら、6000人待ちといわれたそうだ。
いつになるかわからないそうだ。
被災地はまだまだ、である。
仙台市の地下鉄に、赤十字の広告ポスターを貼って、ひんしゅくをかっているのは、やはり現地の人との温度差があるからだ
被災地へのボランティア活動に、積極的になれずにいるのは、温度差の中に入るのに、なんだか気後れしてしまうからだ。
でも、そんなことばかりも言っていられないのだろう。何かを始めなければとは思う。