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もんく [とある南端港街の住人になった人]

所信表明演説を読んでみる

内閣総理大臣がやる所信表明演説と言うの、最初から最後まで生で聞いたことが無かったのでいくつか記録を読んでみている。

70年代の田中角栄あたりまでは物理的にや事があったので具体的目標を立てられたしそれを実行する事も出来た。80年代の中曽根康弘あたりでは目標とするものが多分に概念的になってしまってどう見ても実現できるのかどうかが怪しいものになって行った。「たくましい文化と福祉の国」がその時のスローガン。焼け跡からの復興と解放がその原点と言っているが、実際にその思いは戦前の在り方になっていたりする。また、その思いはどうも80年代の社会のあり用とは掛け離れている感じでもある。

60〜70年代の佐藤栄作、田中角栄では全くそんな曖昧なスローガンが見られない。そして面白いのは、自国に未だ大きな困難を抱えている(例えば住宅問題や公害)にも関わらず他国や国際社会への貢献がタスクとして設定されていて、しかも実際にそう動いている事。良く言えばスケールが大きいと言うか堂々としている。

また、既に70年代から日本の高齢化や都市部への集中、教育の質の問題、そして国債依存の問題はあり、今に至るまでほぼ何も解決できていない事もわかる。

総じて70年代をピークに日本は既に下り坂に入り始めていたと思われる。リーマンショック等の出来事は単にそれを明るみに出しただけと考えられる。

80年代の中曽根康弘からコッチに至っては小泉純一郎のように多少例外はあるものの例の「美しい国」のような進捗の明示できない目標に向かって迷走していると言えそう。所信表明とは関係ないが「おもてなし」のようなのもその仲間かと考えられる。そう考えると、山本太郎のような田中角栄的な動きに戻ろうとする者が出てくる意味もわからないでは無い。ただ、そのままトレースすると時代遅れでオリンピックやろうみたいなのと同じになってしまう。でも、世の政治家と言う人種は世の中の流れに疎い人ばかりでこの時代にどこに具体的で実現可能な目標を定めれば良いかがわからないんだろうと想像。今更ながら「月に人を送ろう」と言えるのはさすがだな、と感心する。

こんな事に長い時間をかけられるからいくら街が封鎖されていても大丈夫、家にいられる。

明日もこの続きをいくつか読んでみるつもり。
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