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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

65 教育は社会福祉サービスじゃなくて資源への投資だろう

私位のオヤジ世代の人達も最近はTwitterをけっこう使っているらしいけど、どう思っているんだろう?

最近、自分のTwitterアカウントのタイムラインには学生位で絵を描く人がたくさんいて、小説書くのに至ってはほとんど湯水のようにいる感じになっている。小説の方はウェブ小説だし読み出すと時間がかかるからあまり読まないけれど、絵の方は時間かからないので見る。まあ、何と才能豊かな人が多い事か!といつも感嘆している。

オヤジだからどうしても昔と比べてしまうが、昔とは本当に違うな。前にもそんな事を書いたので今回は繰り返して言うのはやめる。

それで、どうしたっていうと、やっぱり、表現する道具がある程度簡単に手に入ってそれを発表する場があれば才能は伸ばせるって事じゃないかと考える。今はパソコンでもスマホでも割と手に入るし、ソフトウェアもある。比較対象として、学校の授業があるけれど、学校なんて逆立ちしても太刀打ちできないだろう。学校が100年かかってできないことをコンピュータとインターネットがさっさとやり抜けている。小説なんて今は書いてる人間が読むって事で循環するだけで広告費が稼げる。つまり書く人間も膨大な数になっていて、インフレになっているほどだ。これも学校の国語は全く敵わないだろう。

 

さらに思うのは、未だに学校は教えるところだし、社会では人間は働いて税金を納める存在だから教育は福祉の仲間に入れられていて、高等教育は自己責任に範囲だ。

それで良いのか? そんな事で?

今、世の中で一番儲かってる産業の原材料は石油とか農産品じゃなくて、脳みそだ。それに加えて個人情報というのもある。だったら人間の脳みそは福祉サービスで教育するものじゃなくて資源という扱いにならなきゃおかしいだろう。大学位無料にしても構わないのじゃないか?

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