もんく [とある港街の住人]

映画「GOEMON」 -拠って立つところ

何かについて意見ったり主張したりすることは、実は簡単なことであると思う。

これはこうである、こうあるべきである、と正しさを主張する。そんな事は誰にでもできる。ただ、その拠って立つところについては我が事と言えど、きちんと説明することのできる者は少ない。


身に着けた技術、知識、学位、立場、金銭、そうした武器をもって世に出、自らの安全と食とそして自由を確保しようと人はする。良い武器を得るにはこうすべきだ、多くの食にありつくにはこうしなければならない。そうして人は競い合うように多くのものを手に入れたり、手に入れようとする。多く食べられれば食べられるほどその言葉が正しいと言うことになるのである。

こうした競い合いの中では何が正しいか、正しくないか、それはその結果によって割合い明確になる。彼の主張と自分の主張がどれだけ違っているか、そしてどれだけ自分が正しいかを言う事は簡単であるし、誰かが汚いやりかたで不当な利益を得ていたと言うことだってできる。自分はアイツらとは違うのだとも。


”違う”、どれほど違うのだろうか。
競い合えるほどに同じとは言えまいか。1本の直線のあちら側とこちら側なのだ。

それに気付くチャンスは、この混乱の中に身を置き競い合う身には、多分ほとんど無いだろう。
アイツの主張と自分の主張が信長の剣の両側の刃のように同根であると気付くことは、きっと無いだろう。チャンスが訪れることを期待したい。


<anhref="http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/nobunaga.htm">織田信長について 「天下布武」の説明がある。(歴史倶楽部)


映画の宣伝では巨額の費用をかけたと言っているが、エンドロールの最後に多くのボランティアキャストの名前や協力した街の商店の名前が出てくるなんて、その腹のへっていないボランティアの人々がそれとは正反対の無数とも言える兵士たちを演じてもいるわけだから2重の意味でシャレが効いている。あっぱれ!

前作「キャシャーン」を見た時に紀里谷和明氏こそ世界に通用する日本では稀な映画作家だと思っていたのでこの作品にも注目して待った。期待を裏切られることは無かったと思う。面白かった!



追加
この文章、読み返してみると、どこが映画について語っているのかよくわからなくなっている。見なきゃわからない。そんなものだ。


追加2
ある人にこれを読んでやっぱりわからないとのご意見をいただいた。
しかし、映画の概要を知りたいならきっと他の映画標をされている方が多く書かれているのでそう言うのは書かない方針に変わりはなしです。そして公式サイトもあるし、この監督であればmixiでマイミクにだってなれますから。ごめんなさい。
でも、この映画のお勧め度はかなり高いことはちゃんと言って置きましょう。日本映画の分水嶺を発見したと思って見るべきです。例えば、今までの日本映画が世界の映画祭で注目されたのは注目されないのにがんばってる人と分化に焦点をあててやろうと言う意図からのものだったと思います。(そう言う意味ではそんな映画祭に何回も同じ人が出展するのは紳士的行為と言えないかもしれない。)この映画などは、隣の館でスピルバーグ作品をやっていたとしても、どちらにしようか悩めるだけのものになっていると思います。
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