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もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「Letters from Iwo Jima」 -死の決意について

戦争については時代が進んでそれが歴史になってさへ、大義名分を前提に話される事が多い。それが勝った方からであればなおさらで、負けた方からであっても多くの犠牲の意味を尊重せねばならない立場などいろいろあってやはり概論的な議論が成されるものである。

ただ、身近な誰かが戦争で命を失ったと言う身であれば、それはそうした雲の上の議論から離れた一人の人としての死と言う捉え方ができるのかと思う。



人が死を決意する瞬間、と言ってもそう言う場面は日常にはほとんど無い。テロリストが自爆を決意したであろう事を後になってテレビやニュースで知るけれども実際にその人の近くにいてそれを聞いたり目の当たりにする事はできない。日本では今年間3万人もが自殺する社会であるけれどもその決意を目の当たりにして止めに入る可能性だって日常ではそう多いとは言えない。まして自分がそうする瞬間を持つかと言うとどうだろう。

結局のところこうして生きている人間にはその瞬間を具体的に想像することはできない。想像できない部分を大義名分や正義感や思想などを用いてそれを補う。ただ本当には個人のレベルにそれを帰着させない限りやはり本当の事は何もわからないのではないだろうか。

どの戦争映画だってほとんどそれはそうで、個人を描くことによって成立している。ただ未だにこの太平洋戦争については雲の上の議論が下には下りてきていない。そうした意味でこの映画には(この内容の細かい部分がが事実であるかどうかは別として、)意味があるのではないだろうか。



アメリカ人がプロデュースした日本側の映画と言う珍しい作られ方の作品である。多分、彼らは日本人俳優の演技がどう言うものか分からなかったのではないかと思われる。そしてこれに出ている若い日本人俳優は歴史についてあまり知識が無いだろうし、日本映画のそれについてもきっと何も知らないであろう。つまりは過去の日本人がどう言う生活をしどう言う顔つきをしどう言う話し方をしどう言う仕草をしていたかなどにまあり興味は無いのかも知れない。そんな当時の事をこの現代に分かる人間はもうそれほど居ないとは思うが、映画が映画だけに何か残念な感じがしないでもない。



あまりまとまった書き方ができていない。
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