もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

さて、来年はどうしましょうか?

最近、大学時代(最近の方)の友人のSさんとメールの応酬が激しくなっていました。

彼と私は同年代なのである部分感じ方がよく似ています。でも知り合うまでに40年以上もかかっているのでお互いに対処方法が全く異なります。で、そのメールの中で幸福論のようなことになっていたのですが、それは結局結論が出ないままです。

「子の曰く、吾れ 十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」と言うようなのとは全く違い、我らは四十過ぎて学に志すが不発に終わり、さらに迷うとなっています。この分では五十にして精神の天寿をまっとうしてしまいかねません。

こんな事をしながら赤いスクーターに乗ってはしゃいでいるなど、それ以前の友人には「まだそんな事やってんの?」と言われるのは目に見えています。(昔からそう言う事を言う人が実はけっこう多い。内田裕也とか矢沢永吉なんかにも言ってやって欲しいけれども、どうもそちらには言わないらしい。不思議だ。)

と、そう言う事を考えていたらこんな記事を見つけました。

日本人は不幸体質だった!?最新研究が明かす「幸せのDNA」エコノミストUK - 現代ビジネス(←クリック)

セロトニン輸送体に関わる遺伝子には長いものと短いものがあり、アジア系はアフリカ系や欧米系に比べて短いのを2本持つ確立が高い。それと自分の人生の満足度合が比例して低くなっていたとの事。つまりは遺伝子の影響で幸せを感じにくい可能性があるのだそうです。

そう聞いてしまえばなるほど、日本人はこんなに経済的にも環境面でもいろいろ豊かであるのにあまり幸福ではありません。アフリカ系の人たちはそんなこととは無関係に明るく見える印象があります。単に印象だけなのかどうかはわかりませんが、血液型占いよりは納得できそうに感じます。

昔、ある神経を病んでいた人がある時「自分は病気だったのだ」と気付いて、その瞬間からとても気楽になったと言っていました。そうか、我々日本人はどんなにがんばってもある程度(遺伝子が影響する分だけは)不幸から抜け出られない運命なのか、と思ったら気楽になりませんか?

それとも絶望しますか?



今年も今日で仕事納めでした。

昼前の11時頃から会社の外の駐車場に張られたテントの下でちょっとしたパーティーが行われました。年中気温の変わらない熱帯ではこうした催しが無いと季節感が無いのです。ですからここ最近まで特に年末らしい感覚は全く無くやっていました。

と、年末を感じるとやはり来年の事を思わざるを得ません。


新年の誓い、守りたいなら「アウトソース」を - WSJ(←クリック)

ここに書かれているように、毎年自分だけで自分の事を決めてもどうせたいして変わったアイデアが出るでもなく、そしてこれまでも失敗してきたようにまた失敗する事も容易に想像できます。だから今の自分は今のままってわけです。どうあがいても変わりません。

なので新年の誓いも他人にお任せすると言うのは良いアイデアだと思います。お化け屋敷に入るような感じでちょっと怖くて面白いかもしれませんよ。






Sさん、年賀状が届きました。
ありがとう。
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