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もんく [とある南端港街の住人になった人]

戦えるのか? 殺せるのか?

ある有名人の人が英霊の仲間に入りたいとか、若い種を残すために自分は有事に戦うと言っていたそう。靖國神社でとか。勇ましい。

自分に関して言うと、全然勇ましくない。戦える自信はない。

喧嘩とかって実際にやった事ある人ってどの程度いるんだろう?自分は他人を殴るなんてした事はないと思う。記憶に無い。子供の頃、父親に反発して殴ろうとした事はあった。その時、どうなったかは覚えている。どんなに憎く感じていて激昂していても拳にも腕にも力が入らなかった。腕が自分の腕のようでなくて、前には出るもののパンチとは程遠いものになっていた。

まあ、言い方としてはつまり「腰抜け」と言うやつ。なのであれ以来そう言う事をするのは自分にはダメなんだと思っている。重い銃なんか持たされたところでブルブルしてしまって無駄にタマを消費するだけだろう。だって今、うちのキナコは6kgだけれど、100m位の道を肩に乗せて歩いて帰るだけで攣りそうになる。

と、そんな話はどうでも良いが、戦うって言っているのは社会的地位がある人だ。この人、過激発言でも有名だけれど職業から考えると大学教育以上である事は確かなのだ。そう言う人が身体を使って戦うと言う。

ミサイルが飛んで来る事も実際にあるのでそうした場面が永久に無いとは言えない。が、高等教育を受けた人なら戦うと言う最終手段の前にやる事があるんじゃないの?とは考えないのか?

今の政治家も他国を感情的に批判する事を言い、戦争へ向けた準備をいろいろすべきで、それが独立国家としてすべき事とか言っている。同じ事なんだろう。国ってのは必ず軍備を整えて戦争する準備と言うのをしておくべきものなのか?誰がそれを決めたんだ?どこに書いてあるんだ?その理由、その論理の経過はどうなっているんだ?

日本なんてどこ見たってまともな外交してるわけじゃないし、国内だけ見ても誰も議論していない。(批判はするが。) そこに有事には戦うって、何か頭の中のどこかとどこかがショートしてるように見えて仕方ない。わかるように言って欲しい。

もし英霊達が戦うと言う解決方法をやってきて、君達も同じようにしなさいと言うなら (それは無いと思うが) 英霊達からして老害じゃないのか? そんな事しか言えなくて、他のもっと良い案をがあるかも知れないのに盲目的にやり方を守れと言うのなら。

となれば、拳に力の入らない者としてはそこからは下りるしかない。


戦争するっのはそこにいる人間を誰だかわからないほど上か見て何人と数えてそれを戦力と捉えてやる事なんだろうと思う。人が単なる数の1つになってないとできない気がする。でも本人からすればそれは自分と言うものなわけだし、そこに費やされる時間は人生の中のものだし、殺す相手の顔を見ればそれは普通に人間だし。つまり戦争なら人殺しは許されるのか?人権は?どうやって心を切り替えて殺すのか、いろいろな問題が出てくる。こう言う事は教科書にも書いて無くて、法律にだって無い。何もそのあたり解決していないままだ。

それで、戦うって、実際そんな事、できるのかい?
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