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もんく [とある南端港街の住人になった人]

他人にアドバイスするって大丈夫なことなの?

昨日のように建築のことを割と真面目に書いてもほとんど誰も興味を持たない。一般の人は建築論がどうだろうと税金の無駄遣いの方が大問題だろうし、自分の家については通勤圏、コンビニ近、LDKしか大切なことと考えない。そんなものだ。山本理顕が誰だかなんて知る由もないから氏が何を言おうと知ったこっちゃない。

まあいいや、そんなものだ。


以下、建築とは全く関係ない話。



ほとんどの人は自分が合理的に何かを判断していると思っているだろう。そうだよね? たぶんその信念が崩れたら大変なことになる。まあ、それはそういうものだ。

ただ、日常でよくあるのが「アドバイス」という行為。

これ、自分が合理的に考えていると思わなければできない。「それはこうすると良いよ」「すべきだよ」断定的に言わないときもあるけど、要は「そんなのはこうするのが当たり前」的なこと。

こういうようなことを言ってくれるのは、その行為自体はとてもありがたい。でも、内容は・・・あまり・・・。だって、誰にも反対できないような一般論として正しいことだから。その何が問題かというと、ディテールにおいて誰も理論物理学の仮想空間のような理想的な状況にはいないわけだし、もう一つは時間(時点)の問題もある。

それだけで、外から見てあの人はこうしたら良いのにねとか言ってもほとんど余計なお世話だ。

さらにもう一つあって、ある人が(近)未来に今とは違う在り方を考えていたら、今現在は少し無理がかかるにせよ理想を実現する行動になるかもしれない。そういうのも放っておいてあげるのが良いはず。こちらにわからないけれどトライアルだから。自由だから。


逆に、アドバイスする側の方が思考のパラメータが少ないとも言える。まあ、一般にそうで、きっと少ない。簡単に思い浮かぶアドバイスなんてするのはだいたい言う側は悩んだりするほど考えてない。そして相手が成功しようと失敗しようと他人事だから学ぶこともない。

まあ正しい意見なんて思いついちゃったら自らを見直してみるべきだよね。考えてないんだから。
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