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もんく [とある南端港街の住人になった人]

自民党総裁選で出てくる30年前の課題とは

自民党総裁選なんかどうでも良いのだけれど、「解雇規制緩和」と聞くとちょっとそそられる。鬼太郎の髪の毛ピン。


賛成か反対かと皆さんに聞くとごく若い世代は賛成する人もけっこういるとか。でもそれ以降は反対が多そう。流動性勝手に高められるより安定雇用、安定した給料ってことだろう。だって、家買う時のローンは普通30年超えだし。30代で良いとこにマンションでも買うとローン払い終わるのは定年の頃。それまでに売値が上がればラッキーだけど普通は「官製」無価値化があるから家は消耗品扱いで買った人貧乏化システムになっている。

さらには、転職して別の会社に行くと都会から田舎の小学校に転校して来た子供みたいになって、なかなか元からある仲間システムの一員になれないというのが絶対ある。仲間になれないだけならまだしも、昇進も昇給もできない。だって単純に長くいることにメリットのあるシステムになっているから。金銭面でも絶望的。

だからきっと被雇用者は反対が多いと思う。

死んだ母、父が周囲との折り合いが悪くて転職して昇進は無くなったし給料も上がらなかったので子供には学校の先生とか公務員になりなさい的なことを言った。あまり強くは言わなかったが、気持ちはそうだった。時々「子供には好きなように」って親がいるけれど、音楽とかスポーツとか特別なスキルがなければ一生浮きあげれない貧乏人になれと言うのと同じだ。日本ではね。


前置きが長くなったが、自分は解雇規制緩和に賛成の立場だ。

これはもう30年前だけれど、我々(自分の世代と同僚たち)は安全に転職できる世の中を本当に望んでいた。いくら景気が上がっていても会社に雇用されているとそのメリットなんて何も無かった。(バブル時期もそうだ) 自分が勉強したり仕事中で何か一所懸命やってスキル身につけても転職すると必ず給料は落ちると決まっていたし、転職先のシステムは途中入社の人間には開かれてはいない。アホ上司に当たってしまって腐って転職しようものならどんな有能な人間でもほぼ転落となる。

そのあとすぐに小泉内閣ができていろいろ変えた。我々はそれを歓迎した。多少の痛みはあるとわかっていた。だって全部いっぺんに良い方向に変わるってはずはないから。でも、すぐに失意は来た。小泉首相が去った後で、自民党のジジイたちは全てを巻き戻そうと躍起になった。そして改革は中途半端になった。

今、小泉竹中批判は一般的に言われる。あいつらが壊したのだと。でも、それは全くの誤解だ。(何も問題が無かったとは言ってない) あの先もっと整備していろいろ変えなければならなかったのをダメにしたのはその後の自民党だ。雇用流動性させたらそれを受け入れる場所ややり方を作る必要があるし、学び直す時間経済的猶予は作らなければならない。でも、それを止めたのだ。既得権者に良い顔して元に戻そうとしかしなかったから。あの後、誰も改革を推し進めようなんてしなかった。だから今でも転職は安全ではないのだ。

小泉竹中批判は対象が間違っている。その後引き継いだあの男とその周辺にその批判は向けられるべきなのだ。(死んだけど) 推し進めなかったから今またこうして流動化とか言ってる。あの時に済ませていれば今、それは問題になってないはず。


そして2000年代のその頃、自分は台湾にいた。日本の会社に雇用というか委託だったけど。ある時、台湾の人の聞かれた。「もう今の仕事何年になるの?」その頃で5年ほど経っていたと思う。それを言うと「なんでずっとやってるの?」と驚かれた。

台湾では同じ会社に3年超えていると昇進して偉くなっていなければよほどの無能と思われるのだ。だから台湾人たちはコピーソフト屋で汎用ビジネスアプリケーションのCD-ROMを買って自分のパソコンに入れてスキルをせっせと身につける。ゲームソフトとかオフィスソフトばかりじゃない、普通に買えば何万円とかするビジネスソフトだ。

そして転職して給料が倍になっていたりも普通にあるし、給料が良ければ大陸中国にも平気で渡っていた。それが彼ら「個人として」の目的意識に適うやり方だった。驚いたよ。

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