goo blog サービス終了のお知らせ 

もんく [とある南端港街の住人になった人]

勉強の必要性

「勉強の必要性~なんで勉強しなきゃけないの?~」を読ませていただいて書いてみました。


「勉強の必要性」についてですが、この問題はどの立場から、どの視点から見るかによってずいぶんと違ってくると思われます。大きく分ければ大人の視点と子供の視点の2つです。ですからこれには大人の問題と子供自身の問題がそれぞれあると思います。

(1)大人の問題
私はどちらかと言えば大人ですから、こちらから書きます。
大人はもう随分と以前に基礎的な勉強の時間を終えています。現在になって子供時代の勉強が必要であったか?と問われれば概ね「必要であった」と思います。
ですから何に必要であったかを子供達に言わなければなりませんが、全部細かく書いていたら一生かかりそうなのでかなり省略して簡単に言います。

基礎的な勉強は「全て歴史のを学ぶ事」です。
歴史の授業を真面目にやれと言うのではありません。算数・数学でも理科でも社会でも図画工作でも国語でも、それは先人が作り上げた物事の歴史を学ぶことに相当します。だから基礎的な勉強には新しいものはほとんど無く、どちらかと言うと退屈な覚える作業が主になってしまいます。

なぜそんな無駄で実用的でない事を学ぶか言えば、その歴史の産物達が今日の我々の(広い意味での)共通言語だからです。


もちろんこれは概念論です。
勉強しながら子供はそんな事を実感できないでしょう。それは良くわかります。

そんな子供の意見を踏まえ、そしてかつての自分の経験から言えば「大人は子供が実感できる教育を提供すべき」なのだと考えます。それは「勉強の必要性~なんで勉強しなきゃけないの?~」に書かれている通りです。


しかし、別に多くの大人はこうも言うでしょう。
「とりあえずやりなさい」「後は大学出てから考えなさい」「勉強する事は耐える事の勉強である」「自分達もそのやり方でやって来たんだ。君達もやりなさい。」と。本音を言えば自分にはもう関係ない問題になっていてこの件について思考停止状態なのだろうし、自分のやって来たやり方に対して肯定的に見たいと言うだけなのだと思います。

提供する側の大人の怠慢はご指摘通りです。



(2)子供の問題

ほとんどの子供は自分から好んで勉強しているわけではありません。子供は大人が提供してくれる学校や塾やテストやそういった物の枠に入ってやるしかありません。子供はそんなシステムを作りませんから。

子供は1日のほとんどを学校過します。学校の生活に適応し先生に適応することが快適な子供時代を送る秘結です。

つまり子供は全然クリエイティブじゃありません。大人に物差しを示されて自分がその目盛りのいかに上の方まで背を伸ばせるかしか考えないようになって行くものです。


「勉強は何のため?」と言いたくなるのは自分で「それが必要だと思わないから」、と言う根本的な事実にまず気付くべきです。(大人も)


子供が潜在的に「みんなの役に立ちたい」と思っているとしたら、それだって大人が与えた枠かも知れません。大人は「役に立たなければいけないよ」とはめったに言いませんが、何かした事について褒められれば「褒められる事をしたら気持ち良い」と言うすり込みはできるでしょう。

勉強はそんなものに対する答えを提供するものなのでしょうか?だとしたら余りにもコンビニエンスじゃないでしょうか。

そのコンビニエンスを否定する訳ではありません。ただ、「与えられた勉強」の中にそんなものが有ると思うのは間違いだと思います。自分にとってコンビニエンスな勉強は自分で探したり作り出した勉強のシステムの中にしか無いのではないでしょうか。

学校や先生に多くを期待してはいけません。そのシステムの中にも先生と言う大人の中にも答えは無かったのではないですか?


と、ちょっと子供にはキツイかも知れませんが、「何で勉強しなきゃいけないの?」と思ったら義務教育だけにして、その後の教育は受けるのを止めてしまいなさい。
それから勉強したい事を身につけられる場を探したり、勉強等と大げさなもので無くてもしたいことができる場を探してください。

学べる場は日本でないかもしれないし、学校でもないかも知れません。したい事が見つからないなら、単に食べていく事を考えれば良いと思います。それも勉強だし、大切で大変な事なのだから。

もし一人でできないなら仲間を集めてやるのも手です。何か方法があるかも知れません。もちろん無いかも知れないし、失敗のリスクもあります。



最後に...
「しなきゃいけない」って事は世の中にそんなには無いものです。「しなきゃいけない」って考えたらそれは誰かに何かをすり込まれたか、親等、大人から心理的な「負債」を背負わされた結果かもしれません。

そんなお荷物背負うのは止めてもっと自由に考えてみたらどうでしょう?答えを探すんじゃなくて、自分の問題を作る方が生きて行く上では重要だし楽しいでしょ。学ばなければいけないなんてそんな決まりは何処にも無いのだから。

コメント一覧

orang-u
コメントありがとう
「子供は全然クリエイティブじゃ無い」とか「止めてしまいなさい」は、「もっと自分で考えなさい」「こんな怠慢な大人なんか信じるな」と言う意味で書きました。現在の教育は一方的に「与えられる場」と言う要素が強いですが、教育と言う過程は成長の場ですから「貰う」方法ばかりを学ぶのではどうかと思うからです。
やまずん@なんで屋カード工房
記事ありがとうございます♪
http://plaza.rakuten.co.jp/nandeyakojyo/


orang-uさん、こんにちはミ☆ 



楽しく読ませていただきました。

いつもありがとうございます!



>つまり子供は全然クリエイティブじゃありません。大人に物差しを示されて自分がその目盛りのいかに上の方まで背を伸ばせるかしか考えないようになって行くものです。



周りの環境が子供を作るのだと思います。(大人だって周りの環境次第でしょうが、子供なら尚更!)その子供たちが、未来を担っていく。だからこそ、教育問題を真剣に考え直す必要があるのだと思います。



>「何で勉強しなきゃいけないの?」と思ったら義務教育だけにして、その後の教育は受けるのを止めてしまいなさい。

それから勉強したい事を身につけられる場を探したり、勉強等と大げさなもので無くでもしたいことができる場を探してください。



「義務教育の間は仕方ない(やるしかない)けど・・」ではなく、今の教育のやり方を何とかできないのかなぁ・・と思います。



子供が生産者(供給者?・当事者?)として社会的な役割を担うなどして「一方的に大人から与えられる勉強」という枠から脱却できないかなぁ・・う~ん・・



こうやって、みんなで社会のことを真剣に考えるがもっと増えたらいいなぁと思います。



orang-uさん、ありがとうございました♪

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「いろいろ雑記帖」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事