もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

朝から地震のニュースを読みます

最近日本では地震のニュースがとても多いです。

昨日も山梨で震度5があったと書かれています。ちょっと前は震度5だとかなりの大地震に思えましたが、今はニュースの扱いも(少なくとも記事を読んでいる限りにおいて)それほどでもありません。実際にそこに住まれている方にとってはそうでないはずであるにも関わらず。



311大震災の後、今までは黙っていた研究者さんたちが躊躇無く「またあるぞ」と警告を発してくれるようになりました。

総合してみますと、これから10年以内にこれまで以上の大震災が2つほどは起こる可能性があるようです。もしかすると5年以内かもしれませんし、スマトラの例と比較してみれば3年以内と言うことも十分にあり得ます。


今は東北の震災一過ではなくて単なる始まりなわけです。

そう考えると、もう今まで通りは通用しないし、生きていくための前提条件として設定していたもの、たとえば土地、家、仕事、会社、持っている物、お金、これから入るはずの収入などもゼロベースで考え直しておかなければならないのかな、と感じます。

それらがまるでゲームでサイコロを振って悪い目が出てしまったように突然全て取り上げられてしまう事が実際にあるのです。(あったのです。)


だから時間を費やすべき事、お金を費やすべき物事、守るべきもの、そう言ったいろいろが変わってきてしまったかもしれません。また、変わらなければならないのかもしれません。いろいろな物事が仮に無くなってしまっても、それでもなお、まだ笑顔でそこから始まる時間を生きていけるようにしなければならないのではないでしょうか。

何かがあって、上手くいって、両手で掴んで逃げられるものはたった2つです。命を守ろうとすればそれだけで、掴んで逃げることができる確率はかなり低いでしょう。



地震があって何も持てなくなっても生きてさへいれば"幸せにも"人生は続けることができます。そこで何かこれまでと違った自分のストーリーをゼロから始めなくてはならないのではないかと思います。それがどう言うものかはわかりませんが、考えておくべきなのかなと感じています。


我が両親は危ない断層上に住んでいますが、何か起こったらその時はその時などと言います。友人知人も多くが関東地区ですから、悪い想像をすれば、何人かは知らないうちに亡くなっていたなどと言うことにもなるでしょう。彼らは皆、現在は普通に暮らしています。幸運を祈るしかありません。



最後に、
今からゴミ収集の回数も少なくしても多少道路に穴が開いても放置するなど、公共サービスの止めても我慢できることは我慢することにして大地震が起きても誰も死なない街に改造するなんてできないものでしょうか?
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