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もんく [とある南端港街の住人になった人]

映画「The Day After Tomorrow」 -自分はどこにいるか

最初に言わせていただくと、あまり感心しない造りの映画なのである。

主人公たちのこう言う結果を最初から予定していて、そこに向かって逆から構成したような部分が見え隠れしている。それにあまり主人公に関係ない場面がいくつか登場して事態の悲惨さを強調して説明するためだけに行き当たりばったりに挿入されたようにも見える。見えるだけじゃなくて実際にそうだと思うしかない。

もう1つは主人公(父)の不自然な無謀さにどうも違和感がある。そうしたかった経緯はわからないではないが、しても特に何もできるわけではない。もちろん救出劇の結果もその通りだった。ワールド・ベースボール・クラシックで必要の無いスライディングを披露して負けてしまう精神論野球の方法論に似ている。大体にして、自分がストームの終結時間を予測しているのだからほんのちょっとの荷物と身体だけで行っても何もできない、そしてその事態が過ぎ去ってしまう事は目に見えているのだ。それは混乱なのか?


死んで霊になってまでも約束を守る雨月物語や死ぬほどがんばって走り続ける走れメロスのようなお話も日本にはあるのだから、もしかしたら日本人向けの映画作品なのだろうか、と変に勘繰って考えてしまう。西洋的な自己犠牲の美観も強調されているから特に日本向けではないのだけれど、どう見て良いか本当によくわからない。



地球がどうにかなってしまうような事態になったとき、人に出来ることは限られる。愛する人を助けるもその1つ。この作品ではそれしか出てこないけれども、実際は「2012」であったように他人を蹴落としたり利用してまで自分が助かろうとする事だってあり得る。実際にその時になれば、自分がこの映画の主人公の立場でいられるとは限らない。

ペンギンは氷の上から集団で飛び降りる。魚を採りに行くにはどうしてもシャチのいる海に入らねばならない。彼らは先頭でシャチの姿を見てビクついている仲間を後ろから押し出して突き落とす。最初に飛び込まされたペンギンがシャチのの餌になることで後の多くのペンギンは魚を採って来て子供に与えることができる。

自分はその時どこにいる人間なのだろう。
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