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温泉クンの旅日記

温泉巡り好き(事情あって休止中)、旅好き、堂社物詣好き、老舗酒場好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

京都

2006-10-15 | 旅エッセイ
  < 京都 >

 時たま、周囲に誰もいないのを確かめてから口ずさむ唄がある。

 ♪まぁるたけえびすに・おっしおいけぇー、あねさんろっかく・たっこにしきぃ
ー、しあやぶったか・まつまんごじょおー。

 いろいろ苦労してるのね、かわいそうについに狂ったのね、などと決して思わな
いでほしい。これは京都の通りの名前をちりばめたわらべ唄である。童が毬つき
などしながら唄う。たぶんこれで合っていると思うが、随分昔に覚えたのでワン
フレーズくらい抜けているかもしれない。不思議なもので、九九のようにいつまで
も忘れないでいる。
 この唄を知っていると、京都を歩くときけっこう役に立つ。
 とまあそれほど、実はわたしは京都が好きだったのである。

 そのころ、旅先ではもっぱら歩き回ることにしていた。
 土地の旨いものを食べて直接自分の身体に取り込むように、自分の足で歩いて、
五感でその土地の風景やみなぎる空気や一瞬一瞬を咀嚼し脳裏に深く刻み付けて
いく。いまでこそ車を使って北は北海道の稚内から南は鹿児島まで行くが、この
基本はまったく変わらない。

 歩き回った夜は、京極にあるサンボアでウィスキーを呑む。客がいっぱいのとき
は、祇園のほうに回る。店の女性はまったくいない、呑むだけ、シンプルそのもの
のバーである。



 カウンターに座って、たいていアイリッシュ・ウィスキーの水割りを頼む。ここ
で、ほろ酔い気分で明日の予定を大まかに立てるのだ。とくに料理をオーダーしな
くても、突き出しの盛りのいいピーナッツが香ばしくてなかなかいける。

「あのう、このピーナッツの皮どこに捨てたらいいんでしょうか」
 わたしの後にはいったカップルの男のほうが訊いた。
「ああ、それね。床にそのまま落としてもらってかまいませんから」
 小皿でもだしゃあいいのに変わった店だなあと、言われた男客の眼と口元がそう
連れの女性に抗議していた。

 わたしも初めてはいったときに、まったく同じ質問をしたのを思いだし苦笑して
しまう。偏屈な店だが勘定も手ごろで明朗会計、京都人でなくても居心地がよく
妙に落ち着くから、きっとまたこの店にやってくることになる。いつきても、京都
人でなくても居心地がいい、というバーはあんがい京都では少ないのだ。

 ・・・そうだ、明日は東福寺でも行ってみるか。



 嵯峨野と嵐山があれぐらいの紅葉だったら、東福寺も見ごろかもしれない。あの
真っ赤な紅葉のなかを突き抜ける空中回廊をゆっくり歩いたり、見下ろしたりして
味わう紅葉は得がたいものがある・・・。
 こんなふうにザンボアで、よく呑みながら次の日の予定をたてたものだ。

 京都の旅はとにかく費用が嵩む。

 基本的な食費、足代や宿賃以外のものになぜか掛かっちゃうのである。
 それは、なにか。寺社への参観料というやつだ。三百円から七百円、平均で五百
円といったところか。それも寺単位ではなく、ひとつの寺のなかでも、建物単位で
なんども払わされるのである。莫大な無税の収入。祇園で坊さんが派手に遊ぶはず
である。

 参観料・・・これがボディ・ブローのように効いて、あっというまにフトコロが
軽く薄くなってしまう。繰り返されるローキックのように最初は、ちっとも痛かね
えやいと強がっていても、突然足元(予算)がおぼつかなくなり、予定を早めて
トットと帰らざるを得なくなるのだ。

 参観料は、金額的に言えば、日帰りの温泉入浴料はだいたいおなじくらいのもの
である。
 いま、わたしの場合旅といえば京都ではなく、温泉旅に狂っているのも、そんな
ところに原因がすこしあるかもしれない。千円や一万円の喜捨ほどではないにせよ
参観料にも、ご利益がもしかしたらあるかも知れぬが、温泉のほうは必ず、その
効能が誰にでも公平にあるのである。

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