温泉クンの旅日記

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京都・九条、東寺(2)

2024-02-04 | 京都点描
  <京都・九条、東寺(2)>

「桜が咲いたころなら、この構図の五重塔も、なかなかいいンでないかい!」

 

 おっといけない。五重塔はそろそろ切りあげて、前後してしまうけども、本堂を参拝せねば。
 いくらなんでも、五重塔だけで東寺を後にするわけにはいかない。よし、金堂に向かおう。

 延暦15年(796年)に東寺が創建され、最初に工事がはじめられたのが「金堂」である。以後600年以上、威風堂々とその姿を残していたが文明18年(1486年)に焼失し、現在の建物は、あの関ヶ原の合戦後に落慶したものだ。

 

 金堂は東寺の本堂で、宋の様式を取り入れた“天竺様”と“和様”を組み合わせた建物で、屋根の中央の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形だそうである。金堂前は弘法市のため撮影できず、後ろ姿の画像はやむを得ない。
 金堂の内部には、本尊の薬師如来と日光菩薩・月光菩薩像などが安置されている。

 本尊の薬師如来は、薬壺(やくこ)を持たない古い様式の仏像で、光背に七体の化仏を配する七仏薬師如来(しちぶつやくしにょらい)である。
 薬師如来(坐像)は、高さ約3メートル、台座と光背を含めた総高10メートルの大きな木造仏で、寄木造、漆箔仕上げ、玉眼(眼の部分に水晶を嵌め込む)となっている。
 本尊に対面して右側は日光菩薩、左側は月光菩薩である。薬師如来の台座には、如来を守り、如来の願いを成就する働きがある十二神将がずらりと並ぶ。

 その迫力に圧倒される。
(うぅ、画像をこっそり1枚でいいから撮りたい!)
 金堂内は撮影禁止であり、若い僧侶が眼を光らしている。しかも、「あ、そう? 知らなかったで、アハハ」ではすませてくれそうもない、屈強そうな若者だ。次の講堂の方を期待してやめておく。

 東寺境内の大伽藍エリアはほぼ正方形、その中心である、金堂の裏にある「講堂」は密教を伝え広めるために建立された中心的建物だ。
 1486年に金堂などと共に焼失したが、当時は最優先で5年後に「講堂」が再建された。

 

 建物内には大日如来を中心とした仏像で構成された、密教の教えを視覚的に表した「立体曼荼羅」が安置されている。
 仏像は平安時代前期に弘法大師空海が安置したもので、中央の“五智如来”とその東西の五大菩薩・五大明王のほか、梵天・帝釈天と四天王の計21体で構成されている。
 五智如来とは、大日如来を中心に、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来が囲む五つの如来のことで、五智如来は大日如来の智慧であらゆるものを包み込むという意味を持つ。
 講堂の仏像も迫力充分。せめて一枚だけでも撮ろうと隙を窺うが、ここもがっちりガードされていて撮影は断念。

「あれっ、さっきいたサギは飛んでいってしまったのかな?」
 瓢箪池に戻ってきて、キョロキョロ探す。あ、よく見ると、いたいた。「よしよし、いいコだねぇ~」と思わず、世界ネコ歩きの岩合さんのモノマネをしてしまう。

 

 大伽藍エリアの金堂も講堂もまったく撮影できなかったのがジツに悔しい。ええい、また撮っちゃえ。憂さ晴らしとばかり、また五重塔を撮ることにした。

 

 五重塔だが、京都市内に現存するのは4基で、東寺、法観寺、醍醐寺、仁和寺にある。
 東寺と醍醐寺の五重塔は国宝に、法観寺と仁和寺は重要文化財に指定されていて、それぞれの建立年と高さは「東寺五重塔(1644年建立、約55m)」、「法観寺・八坂の塔(1440年建立、約46m)、「醍醐寺五重塔(951年建立、約38m)」、「仁和寺五重塔(1644年建立、約36m)」である。
 京都駅を中心にすると、東寺が南側、法観寺と醍醐寺が東側、仁和寺が西側に位置している。

 

 荘厳な南大門、東の「慶賀門(けいがもん)」、御影堂、金堂の正面など、撮れなかったショットを撮りに、東寺を再び訪れようと決めた。
 むろん、月命日21日の弘法市と、毎月第一日曜日の骨董市の開催日を避けて、だ。


   →「京都・九条、東寺(1)」の記事はこちら

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