上図は世界で最も人気ある女優の一人、オードリー・ヘプバーンの命式です。
(ヘプバーンについて…)
彼女はセカンドチョイスが多い女優だった。
例えば…
『ティファニーで朝食を』(1961)の原作者トルーマン・カポティーはホリー役にマリリン・モンローを希望していた。
『ローマの休日』アン王女役もエリザベス・テイラーがファーストチョイスだったと言われています。
彼女は5歳の時にバレエのレッスンを始め、バレリーナ―になることを夢見ていたそうですが、身長の高さや身体の弱さがバレリーナ―としての成功を妨げ、バレエの世界でトップになることを断念したそうです。
しかし、女優の道へと進んだ彼女は『パリの恋人』などでダンスの才能を発揮しました。
ヘプバーンの父ジョセフはボヘミア生まれの英国人、母親はオランダ貴族、ヘプバーンは英語とオランダ語を流暢に話すことが出来たそうです。また、海外に出るチャンスが多かったため、スペイン語・イタリア語・フランス語まで話すことが出来たと言われています。
第二次大戦当時は、オランダのレジスタンスに協力していたとのこと。
ヘプバーンはげんをかつぐ女優だったそうです。…楽屋番号は55番をリクエストしていた(彼女のラッキーナンバーとの事)。
『ローマの休日』で使用したドレスをラッキードレスと名付け授賞式で着用。
『緑の館』で登場した小鹿を飼っていた。
晩年の趣味はガーデニングだった?
ユニセフを38年支援続けた(ユニセフの親善大使)。
あまり歌が得意ではなかった。
彼女は多くのコンプレックスを抱えていた(大きな鼻・大きな足・貧乳・角ばった肩)。
※実は彼女がコンプレックスに思っていた部分や不完全さは欠点ではなく魅力となっている。
彼女は”私みたいな顔で映画にでられるとは思っていなかったわ”と、言っていたらしい…。
(本名)オードリー・キャスリーン・ラストン 1929.5.4 ― 1993.1.20(満63歳没)身長170cm 女優
(主な作品)
・ローマの休日
・ティファニーで朝食を
・マイ・フェア・レディ
(幼少期)
ヘプバーンの父ジュセフは子供達の子守と性的関係を持ち、エラ(ヘプバーンの母)がこのことを知ると、ジョセフは家庭を捨てて出て行った。
彼女の命式本体の天干に分離を表す劫財・比肩があり、彼女の大運も生れてから20歳迄は劫財・比肩と、厳しく辛い時期だったと思う。
彼女は数え年10歳~17歳という最も栄養が必要な頃、深刻な栄養失調になり、それが心と身体に過大な影響を与えたと言われています。
彼女は成長してからも病気がちで、流産が続いたことで心の問題を抱えた時期もあったと伝えられる。…彼女にとって、良くも悪くも、幼少期の大運の影響が大きかったのかも知れません。
これだけ比肩の多い人の人生は平凡ではありません。
様々な苦労もあったと思います。
しかし、少々の苦労では弱音を吐かない強さも持っています。
小さい頃の苦労が彼女を磨いたのかも知れません。
また、比肩の強い命式の方は不思議ときりっと締まった美人が多いものです。
彼女も例外ではなく、世界中にファンが多いのうなずけます。
(行運から見た運気)
彼女の命式は土の比肩が太過している命式ですが、太過する命式はその気を洩らす大運が良い時期といえます。
ローマの休日は1953年、大運:傷官 建禄、流年:偏財 帝旺の年。
ティンファニーに朝食をは1961年、大運:食神 冠帯、流年:食神 墓の年。
マイ・フェア・レディは1964年、大運:食神 冠帯、流年:正官 衰の年でした。
特に劫財が中心星の彼女にとって、旺相する食神の大運はラッキーな事が多い(劫達)運気でもあったといえます。
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