【自 分】 (安岡正篤)
自分というものは良い言葉である。
ある物が独自に存在すると同時に、
また全体の部分として存在する、
自分の自の方は独自に存在する、
自分の分の方は全体の部分である。
この円満無碍(むげ)なる一致を表現して「自分」という。
われわれは自分を知り、自分を尽くせば良いのである。
しかるにそれを知らずして自分、自分といいながら、
実は自己自私を恣(ほし)いままにしている。
そこにあらゆる矛盾(むじゅん)や罪悪が生ずる。
そういえば、何でもないようで、
実は自分を知り、自分をつくすことほど、
むずかしいことはない。
自分がどういう素質、能力を天賦(てんぷ)されているか、
それを称して「命」という。
これを知るのを「知命」という。
知ってこれを完全に発揮してゆくのを「立命」という
【すべては自分】
本当の自分を知り、
本当の自分をつくれる人であって、
初めて人を知ることができる、
人をつくることができる。
国を知り、国をつくることもできる。
世界を知り、世界をつくる事もできる。
『安岡正篤 一日一言』より
自分というものは良い言葉である。
ある物が独自に存在すると同時に、
また全体の部分として存在する、
自分の自の方は独自に存在する、
自分の分の方は全体の部分である。
この円満無碍(むげ)なる一致を表現して「自分」という。
われわれは自分を知り、自分を尽くせば良いのである。
しかるにそれを知らずして自分、自分といいながら、
実は自己自私を恣(ほし)いままにしている。
そこにあらゆる矛盾(むじゅん)や罪悪が生ずる。
そういえば、何でもないようで、
実は自分を知り、自分をつくすことほど、
むずかしいことはない。
自分がどういう素質、能力を天賦(てんぷ)されているか、
それを称して「命」という。
これを知るのを「知命」という。
知ってこれを完全に発揮してゆくのを「立命」という
【すべては自分】
本当の自分を知り、
本当の自分をつくれる人であって、
初めて人を知ることができる、
人をつくることができる。
国を知り、国をつくることもできる。
世界を知り、世界をつくる事もできる。
『安岡正篤 一日一言』より