新栄堂の占い日記

私はプロの占い師ですが、鑑定をしながら日頃感じる事…を書いております。

あるホームページから

2015年05月10日 | 今日の出来事
興味深い文章があったので掲載します。

「小宇宙」なるこの不可解な人間。
私は生まれる前はどこに居たんだろうか?
どうしてこの身体をもつ私は、私なんだろうか?
私は何故、今の親に生まれたんだろうか?
死んだら私はどこへ行ってしまうのだろうか?
あの世は本当にあるのだろうか?
など、考え始めたらキリのない疑問はいくつでもわいてくる。
このような不思議な事を考えてみるのもなかなか面白い。
これを大宇宙の問題と見なせば、人間の存在、死を含む人間個人の不思議は小宇宙の問題と考えられる。
私は仕事として医者をやっている関係で、人間の病気を診ている関係でこの「小宇宙」の事が気になって仕方がないのです。
人間は脳で考える、と言う事になっています。
でも、実際の脳を見てみると豆腐のような柔らかさをしている単なる物体で、顕微鏡で見ると、そこには無数の神経細胞と神経線維が見られるのみで他には血管と少数の支持細胞があるのみです。
そこに「考え」や「理性」「感情」を見つける事は出来ません。
優秀な人は「それは機能だから眼に見える形であるわけないだろ!」と言います。それはそうなのですが。
でも、その割には皆、「感情がある」「気持ちを持つ」等と、いかにも、それがあるかのような言い方をするのはどうしてなのでしょうか?
病気って何なのですか?
それはどこにあるのですか?
眼の前にアトピー性皮膚炎の患者さんがいたとしても、それは絶対にアトピー性皮膚炎の患者さんがいるのであって、アトピー性皮膚炎があるのではありません。
眼の前にアトピー性皮膚炎の診断基準にあてはまるような症状が見られる患者さんがいる、のであって、決してアトピー性皮膚炎があるのではありません。
単なるそういう病名をつけられた患者さんがいるのです。
病気ってどこにあるのですか?
病気って何なのですか?
私はこの事をずーっと考えていますし、頭から離れた事はありません。
そも、人間は何で病気というものになるのでしょうか?
何故、一生の間、健康でいられないのでしょうか?
勿論、人間は100%死ぬ事になっています。だから、死ぬ為に病気になるのでしょうか?
私は違うと思っているのです。
人間は病気で死ぬのではないと思っています。
生きられないから死ぬのだと思うのです。
病気をすると言う事と死ぬと言う事は全く違う内容のものだと思っているのです。
病気になるという事も死ぬという事も人間ならば必然の事柄ではありますが、それぞれは全く無関係なんだと考えています。
病気って何なのか?
これは永遠の命題じゃないか?と思っています。
この非常に合理的に出来ているはずの人間の身体が何の理由もなく病気になるはずがないじゃありませんか?
何も理由がなくて病気になるとすれば、それは人間の身体自身が不完全な出来物だと言うことに他なりません。
それは医学的に見ても動物学的にても考えにくい事なのです。
でも「小宇宙」でもある人間の身体。
病気になってしまう理由、一度、病気になったら治らなくなってしまう理由、また、一度、病気に冒されてしまった身体が元通りに治った理由、それを言葉で言い表すのは難しい。
でも、この不思議さをいつまでもいつまでも考え続けて行く勇気をなくしてはいけないのだと思う。
私が医者である限り、患者さんが私の元を訪れて来てくれる限り、患者さんと共に歩み、考え続けて行きたいと思っている。
考えなくなった時に、私は私でなくなるのかも知れない、と思っています。
(なめき皮フ科クリニックのホームページのエッセイ集から)

                 
コメント
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