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ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

11月23日、サナイ男声合唱団 創団15周年記念コンサートが行われました。

2016-11-24 23:05:42 | イベント
11月23日.近鉄若江岩田のイコーラムホールに於いてサナイ男声合唱団 創団15周年記念コンサートが行われました。

写真だけですが、記念にアップ致します。^o^



1.男声重唱 焼き栗打令



団長のご挨拶




2.男声重唱 密林がざわめく、夢をくれた愛をくれた




3.女声重唱 忘れないで、世界にひとつ
(大阪朝高 声楽部)










4.バリトン独唱 優雅な月よ 安寿福





5.テノール独唱 南山の青い松 田元浩



6.男声二重唱 永遠のすがた
(大阪朝高 声楽部)









7.男声重唱 上を向いて歩こう、川の流れのように





8.バリトン独唱 禁じられた音楽 高知司





9.バリトン独唱 大同江流筏工の歌 文春一



10.男声四重唱 税金の無い国



11.女声重唱 祖国賛歌、乙女の歌
(コーラス ムグンファ)














12.チャンセナプと男声四重唱 祖国建設の歌







13.民謡メドレー モングンポ打令







息子自慢 娘自慢

(李華鈴さんとサナイ、ムグンファ)













14.カンタータ鴨緑江 全四楽章

指揮 金主休 ピアノ伴奏 尹愛奈

テナー 田元浩 アルト 姜錫子 バス 文春一


男声合唱団サナイ、コーラス ムグンファ、文芸同音楽部ヒャンウム、朝高声楽部 他














































記念撮影





素晴らしいコンサートでした。同胞と共に歩んで来た15年です、何度も胸が熱くなりました、大阪同胞社会の誇りです。






お疲れ様でした。






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11月22日、220回目の「火曜行動」です。

2016-11-22 22:28:10 | 火曜日
冬とは思えないあたたかさです。早く歩けば汗ばむほどです。






70階段を一気に上り府庁前に向かいます。









府庁前です。




長崎さんの明るく元気な声が響き渡ります。





今日のレポーターはハルモニ会の平田さんです。





長崎さんのアピールです。


秋晴れのようないい天気で、紅葉がきれいです。今日は220回目の火曜行動です。

在日朝鮮・韓国の方がなぜ日本に住まなければならなかったか、大阪府はしっかり考え、補助金を再開してください。

11月10日には、ヨドバシカメラ前に400人を超える人が集まって、差別をやめようと沢山の人がアピールしてくれました。

11月20日にはなんば湊町で、南ダイバーシティフェスティバルが行われました。

嬉しかったことは、高校生のグループがブースに訪れて、小学校の時、北大阪朝鮮学校と交流行事をしていた。朝鮮学校に対する差別のことを尋ねて、私達に何が出来ますか?と言ってくれたことです。


まず、出会ってくださいと言いました。日本の学校と交流した経験が、差別に疑問をもつことに繋がっている。もっともっと高校生という若い世代が知り合ってもらいたいです。


もう一つ嬉しかったことは、韓国のモンダンヨンピルのキンソンミンさんが来られて、全国の朝鮮学校を自転車で回って、先生や生徒さんに寄せ書きをしてもらっていると話してくれたことです。


今、各学校で、バザーや公開授業が行われています。東大阪では生徒の美術展が行われています。ぜひ参加してみてください。(レポート平田)








今日もスピーカーを運んでくださった長崎さん。




つじさんもお元気そう。




仲間たちの明るい笑顔を見ると嬉しくなります。











イケメン二銃士ですね。最近は




「火曜バンド」は今日は6人です^o^





歌舞団の元気娘リュヒャンさん!





京都の許牧師さんが又来てくださいました。





梁ハルモニがお元気に坂を上って来られました。





おお!モンダンヨンピルのキムソンミンさんが来られました。





許牧師のアピールです。


京都から来ました。私達の思いに耳を傾けて頂ければとおもいます。

日本社会は均一の人で成り立っているのではなく、個性を持った方々が交じり支え合って生きています。在日、沖縄、アイヌ、被差別・・少数派、マイノリティーと言われる人々、一つ一つの要素が絡み合って成り立っています。


アメリカでトランプに対して、怒りと抗議のデモが起きています。少数派の人に耳を傾けない、排斥していることに対してです。日本にも色々な人が居る。しかし、日本はなかなかそういうことに耳を傾けない。


私は教会の牧師です。在日コリアンの教会として、沖縄問題を学習する企画をしています。2017年2月4日、大正区のめぐみ教会でフィールドワークを行う予定です。関心のある方は参加してください。(レポート平田)






KCC会館のキム館長も参加されています。四国からも参加されています。





武市さんも来られました。


今日は中央コマチュック大会が行われているためオモニ会の皆さんは皆そちらに行かれてとても行動参加者がさ少なかったのですが、新しい方々がどんどん参加されて嬉しいかぎりです。





キムソンミンさんがマイクを持たれました、カンさんが通訳を引き受けてくださいました。


アンニョンハセヨ。韓国から来ました。

ソウルの日本大使館前で、みなさんと同じように火曜日に、朝鮮学校への無償化適用、補助金支給を要求して行動しています。

韓国でも最近、母国語で学ぶことが本当にいい社会ではないかという認識が広まっています。


日本では安倍政権が「美しい国」「素晴らしい国」をと言っています。本当の意味でいい国とは、すべての国民がゆたかに学び暮らしていく社会ではないでしょうか。


日本は戦争の出来る道に進まず、日本に居るすべての人が自由に学び、分かち合える社会に進むことを強く求めます。思想、宗教にかかわりなくすべての子どもが子どもらしく生きていけるように一緒に頑張ります。(レポート平田)












我らがマドンナエミさんもアピールします。


私は中大阪朝鮮学校に子どもがいる保護者です。

東成区にある子育てサークルをコリアンにゆかりのある子ども達や子育て中のお母さんと一緒にやっています。

サークルは「トトリの森」といいます。ふれあい・ぬくもりの有る福祉活動として、大阪市から表彰されました。しかし、補助金は、府が出さないから出さないと言っています。市が府に働きかけてほしいです。((レポート平田)














長崎さんが繋いでくださいます。

長崎さん

韓国から来られたキムンソンミンさんにお話しをしてもらいます。カンヒョンさんに通訳をして頂きます。





尊敬する長崎さんの指名ならお断りできないと笑かせてからキムソンフンさんもアピールしてくださいました。


私は色々な国の国籍をもつ子ども達がいる保育園の園長をしています。何人も教育を受ける権利があります。何人には国籍は関係ありません。


国民は税金を納める義務があります。国民でないコリアンにも税金を納める義務が課せられています。50年前から、この問題を叫び続けています。


かって大阪府は国籍条項をとって、公営住宅や児童手当を支給してきました。あの大阪はどこに行ったのか?


残念ながら、大阪府はみんなで作ってきた社会を壊そうとしています。無償化、補助金再開が認められるよう頑張ります。(レポート平田)









田中さんがアピールと歌を熱唱してくださいました。


11月12日、神戸の朝高生が10か所の街頭で署名活動をしました。2000筆以上の署名をもらいました。

2010年4月、民主党政権が高校無償化を決め、各種学校、外国人学校へも適用するという画期的な法律をつくりました。しかし、朝鮮学校だけが検討課題として引き伸ばされ、2013年、安倍政権は法律を変えて、朝鮮学校を外してしまいました。


税金は同じように取るが、子どもの教育を受ける権利は奪い続ける。そのため裁判に訴えることになって、裁判は来年初めごろに判決が出るという状況になっています。



無関心でいることは、このはずかしい状況を認めることです。朝鮮学校を守ろうという歌を歌います。(レポート平田)









ハルモニ会のクッスンさんが愛のキャンディを配ってくださっています。コマッスムニダ。





大村さんのアピールです。



城北朝鮮学校を支援する会の大村です。なぜ、朝鮮学校を支援するのか?と聞かれたり、お礼を言われたりします。日本人として、自分の課題だと思うからです。


日本がいい国になれば、民族差別がなくなる、労働者が自殺しなくなる、手を取り合って生きていける。


現実はどうでしょう。冷たく暗くて、しんどい日本社会になっています。

2日前、自衛隊は殺し殺されるかもしれない「駆けつけ警護」の任務を負わされて南スーダンに派遣されました。戦争する国になって、憲法が無視されています。4割が非正規で働いています。


この暗闇の社会で、こんな差別がある中で、朝鮮学校では、明るく、生き生きと学んでいて、一つの明かりです。日本人として触発されないわけにはいきません。


朝鮮学校は日本社会の宝であり、日本の社会を映し出してくれる大切な存在です。(レポート平田)





朝鮮高校卒業生が今日もきてくれました、同級生の再会です。







最後はいつも「この坂を上れば」の合唱です。









駐輪場に集まりました。ハルモニ会の木村さんが富田林の畑から今日もどっさり美味しいみかんを持ってきてくださいました。ありがとうございます、みんな美味しい美味しいと言いながらいただきました。







四国から来られた牧師さんを紹介してくださいました。















ソンミン氏や許牧師にも拍手が送られました。



今日も大阪城公園内を散策しながら帰りました。しばし紅葉を楽しんでくださいね。













































来週も頑張りますね。^o^


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私事ですが、今日は45回目の記念日です。

2016-11-21 10:18:24 | 詩・コラム

오늘은 45번째의 기념일입니다.

今日は45回目の記念日です。


「作業服」

            ニョニョ


作業服をたたんでいたら

目に付いたズボンすそのほつれ

いつの間にか 傷だらけの作業服



一針一針 繕う

もう何年になるだろう

白いチョークしか持ったことのない人が

油だらけの作業服に身を包んだ日から



作業中 思いがけない事故にあい

七針も デコを縫ったこともあったっけ

溶接の火花であちこち穴だらけの作業服



洗濯機が汚れると言った日が 恥ずかしい



でも いつも家族のために汗を流し

愚痴なんて云ったことが無かった あなた

ただ黙々と働いていた あなた



何も言わないけど 家族は知っている

大きな不自由なく大学まで通い 

希望の道を進んでこれたのは

この作業服のおかげだと



油まみれの作業服 小穴だらけの作業服

でも そんな家族愛の染みついた作業服が

今日もベランダでひらひら揺れています




 「작업복 」
     

           

작업복을 개더니

눈에 든 바지자락의 흐트러짐

어느새 여기저기 터진 작업복



한바늘 한바늘 깁는다

이제 몇해가 되였을가

새하얀 백묵밖에 못가져본 그이가

기름투성이 작업복을 입은지도



작업중 뜻밖에 일어난 사고로

이마를 몇바늘이나 꿰맨적도 있었지

용접 불꽃으로 수없이 구멍난 작업복



세탁기가 더러워진다고 한 날이

너무나 부끄럽다



그래도 언제나 가족 위해 땀 흘리고

푸념 한번 해본적이 없었던 당신

그저 묵묵히 일하던 당신



아무말 안하지만 가족들은 안다

큰 불편없이 마음껏 배우고

희망의 길 걸어올수 있었던건

이 작업복 덕분인줄을



기름 배인 작업복 구멍 뚫린 작업복

하지만 가족사랑 깊이 스민 작업복이

오늘도 베란다에서 바람에 나붓거리네


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ウリハッキョ支援ライブ 心は一つ

2016-11-20 21:03:49 | イベント
11月20日、東成区民センターにてウリハッキョ支援ライブが行われました。

大阪朝鮮歌舞団朝青班と中大阪保護者ロックバンド「ノリオッ」とのコラボです。


写真だけですが、雰囲気を味わって下さいね。

第1部

1.オープニング








2.独唱







3.大合唱








4.独舞












5.2重唱







6.独唱






7.サムルノリ


















第2部

1.器楽演奏


























2.歌とダンス












3.独唱







4.伽耶琴3重奏





5.独唱と演奏














6.3人舞
































7.フィナーレ



















最後の挨拶







お子さん達を安心してウリハッキョに送ってください!
















チャリティーコンサートが無事終了しました、あたたかい拍手が長く鳴り響きました。








団子三姉妹?!

皆様、お疲れ様でした、若いって良いですね。^o^

ウリハッキョを愛する出演者の皆様の熱い想いが伝わって来ました^o^
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11月19日、生野区在宅サービスセンターにてお話をさせていただきました。

2016-11-19 21:19:35 | イベント
「在日コリアンとして生きて」

 


     




 *まず自己紹介をさせていただきますね。

―私は長い間教職についていましたが、2010年3月末に南巽にある朝鮮中級学校を定年退職した後、その年の4月からコリアタウン近くの初級学校にて放課後学童指導員として6年間勤務いたしました。


 今年の4月からは大和八木の「放課後等ディサービス」にて、週2回「絵本の読み聞かせ」を主に担当しながら、ハンディを持っておられるお子さんたちとすごしております。


 また在日大阪の文芸同文学部と演劇口演部に所属しながら、月に4回夜に、ハングル詩の創作や朗読活動を続けております。又地元の分会で日朝両国の方々に週1回ハングルを教えています。(ハングルとは朝鮮の文字のことです。)


 また個人的には6人の孫と近くに住みながらお弁当を作ったり、地元通学班の見守り隊として毎朝学校まで子どもたちと一緒に歩いています。


 日本で生まれ育ちましたが、小学校から体系的に民族教育を受け、卒業後も民族団体や民族学校関係の仕事に携わっていた私は、日本の方々と交流する機会がほとんどありませんでした。


― そんな私が、6年前の夏「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」の製作を呼びかけた京都の詩人、河津聖恵さんの呼びかけに応じ、生まれて初めて日本語で詩を書きました。50年近くハングルで詩を書きましたが、日本語で詩を書くなんて考えたこともなかった私です。それには、幼少時代の祖父の影響が大きかったのだと思います。

私が祖父に初めて会ったのは、流浪の旅の末、やっと京都にたどり着いた5歳の時でした。東福寺の坂の下の半洞窟の家で、廃品回収をしながら一人で暮らしていた祖父は、空襲で奪われた片足に義足を付け、毎日リヤカーを引っ張っていました。祖父のリヤカーに乗って1日を過ごしていた私に、祖父は故郷の話を聞かせてくれ、ウリマル(朝鮮語)を教えてくれ、済州島の方言を教えてくれました。

ある日祖父は、戦争で失った片足の付け根を見てしまい驚いている私に、ウリマル(自分の国の言葉)を守らねば、また国を奪われると言いました。幼かった私がどれほど祖父の言葉を理解できたかは知りませんが、ウリマルは大事だ、私も人の2倍、3倍、ウリマルの勉強をして、いつか祖父と故郷に帰り、アナウンサーになるんだと言う希望を持つようになりました。それから半世紀以上の歳月が流れましたが、私が日本語で詩を書かなかったのは祖国を二度と奪われてはならないという、本能に近い考えからだったように思えます。

私にウリマルを教えてくれ、心の柱を育ててくれたウリハッキョ(朝鮮学校)を守るため書いた日本語による詩を朗読します。

詩「ふるさと」   

          
生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった

60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると 
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す 

北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ

突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で 
私をこの世に生み出してくれた母 
自分の歯でへその緒を切ってくれた母

6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々 
函館の海でいか裂きしながら 
私達を育ててくれたオモニ

零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた

青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた

生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って   
声張り上げた《ボロおまへんか》と
 
あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
いつのまにか出生地は京都市になっていた

家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校

初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生

麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった

ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと
    
ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて

同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり

疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日

それでも踏ん張れよと
ギュッと抱きしめてくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ

私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ

決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!

― この詩を書くには勇気が要りました。なぜなら自分の惨めな生い立ちを全て吐き出さねばならなかったからです。でも、ウリハッキョがいかに大切なところであったかを訴える為には、根無し草のように流浪の旅路を続けなければならなかった自分の生い立ちを書く事が、一番説得力があると思ったのです。


 日朝79名の詩人が参加したアンソロジーの編集にも携わり、その過程で60数年間、貝のように閉ざしていた私の心に大きな変化があらわれました。河津聖恵さんをはじめ日本の友人との生まれてはじめての友情と信頼の関係が生まれたのです。


 アンソロジーの編集が終わり出来上がった本を手にした時、私の胸は感動で一杯になりました。アンソロジーが素晴らしかっただけではありません。2週間もの間、河津さんと共にさまざまな難関を乗り越え、弱気になりかけたときも励ましあい、寝る時間も惜しんで編集し、ついに完成させた本でした。


その友人が、自分が無償化除外を反対をしているのは在日の人々のためだけではない。これは日本人自身の問題だ。朝鮮学校に対する除外がまかりとおれば日本の民主主義はどんどん衰退し次は紛れも無く日本人自身にふりかかってくるといいました。その言葉は私たちの信頼関係を確固たるものにしてくれただけではなく、友情とは民族の違いや国の違いが問題なのではなく、人間として信頼できるかどうかなのだという事を教えてくれました。


 アンソロジーはまたたくまに完売され9月には又1000部増刷しましたがそれもすぐに完売され手元には在庫が1冊もありません。それはどれだけ多くの人々が朝鮮学校無償化除外を理不尽と感じていたかと云うことの表れであったと思っております。


在日の子供達にも学ぶ権利があり、ましてや歴史的な観点から見れば自分の祖国の歴史や自分の国の言葉や文化を学ぶ事は当然であり、それは国際条約や子供人権条約でも認められていることなのです。


アンソロジ―を携え、日本の詩人、在日の詩人が共に文科省に要請にも行きました。アンソロジーの製作にとどまらず、大阪、広島,京都,東京、奈良と、朗読会を開くごとに連帯の輪はどんどん広がって行きました。著名な詩人である石川逸子さん、セゾングループ会長の辻井喬さんらも参加してくださいました。


―その翌年の3月11日、想像を絶する東日本大震災が起こり、あまりにも壮絶な惨状の前に言葉を失ってしまった私たちでしたが、奈良朝鮮初級学校で行われた震災復興を願うチャリテイコンサートに出演したことを皮切りに、今まで無償化除外反対の為に使ってきたエネルギーを震災復興を支援する活動へと拡げて行き、在日の詩人、音楽家はもちろんのこと、河津さんや日本の詩人と共に一番被災の大きかった東北の朝鮮学校での復興支援コンサートも行いました。




―そればかりか、自分が生まれた場所さえ知らなかった私が、復興支援コンサートの次の日、青森県平川市碇ヶ関総合支所の方々の尽力により、この世に生を受けた大切な場所をついに探すことが出来たのです。




 想像を絶する東日本大震災が起き、津波のため故郷を根こそぎ流されてしまった人々の痛ましい姿をニュースで見ながら、私は何かにとりつかれたように思い続けました。(行かねば、行かねば、今、生まれ故郷を探さねば必ず後悔する。)と!

仙台にある東北朝鮮初中級学校での慰問公演が決まった日、私はインターネットで見つけた碇ヶ関総合支所に「私の生まれ故郷を探してください。碇ヶ関という村の自炊旅館だったそうです。」という手紙と、自伝史のような詩「ふるさと」をFAXで送り協力を求めました。


交信を始めてから一ヶ月が過ぎ,あきらめかけていたころ、碇ヶ関支所から「お探しの木賃宿跡がついに見つかりました。隣に住んでいた方も見つかりました。到着したらすぐ支所に来てください」という夢のようなメールが送られてきたのです。それはまさに東北に出発する三日前のことでした。


7月9日、東北朝鮮初中級学校での慰問コンサートを無事終えた次の日の朝、私は高速バスで弘前まで行き、奥羽線に乗り換え弘前から四つ目の駅である「碇が関」に到着した後すぐに総合支所を訪ねました。日曜日だと言うのに支所長さんと、メールのやり取りを続けていた黒滝さんが迎えてくださいました。


碇ヶ関関連の書物や地図、明日の予定表、おまけに青森リンゴやジュースばかりか、生まれ故郷での夜を楽しんでくださいと70匹もの平家蛍までガラス瓶に入れて持たせてくださったのです。あまりにもの手厚いもてなしに言葉が出ませんでした。

翌朝、支所長さんと一緒に木賃宿の跡地に向かいました。小高い山のふもとの閑静な場所に跡地はありました。跡地の入り口には江戸時代に山から引っ張ってきたという白沢の水場が残っていました。手を伸ばし沢の水に触れ、手のひらで水をすくい一口含んでみると、なんともいえない感慨に胸が震え優しかった母の笑顔が浮かびました。



支所長さんと一緒に木賃宿があった頃から隣に住んでいたという花岡チエさんにお会いしました。花岡さんは60数年前のことを一つ一つ思い起こしながらはなしてくださいました。 花岡さんのおかげで木賃宿の御主人の名前が外崎さんだったことも、この木賃宿が旅館代の払えない貧しい人々をいつでも迎え入れてくれた有難い自炊旅館であったことも知ることが出来ました。


終戦間もないあの時代に、一目見れば朝鮮人であることが分かったであろうに見ず知らずのよそ者を暖かく迎えてくださった外崎さん。私の命の恩人、感謝してもしきれません。貴重な証言をしてくださった花岡さんの手を取り、心から感謝の言葉を述べさせていただきました。その後もずっと故郷の方々との交流は続いております。

詩「ふるさと」を読んで、同じ郷里を持つ者として他人事とは思えなかったと一緒に泣いてくださった黒滝さん。自分の事のように心配してくださった総合支所の皆さん!

碇ヶ関の方たちのおかげで無事この世に生を受けたばかりか、人生の黄昏時にまた大きな恩恵を受けてしまった私。たった2600人が住む小さな村ですが、母のように心優しい人々が住む村が私の生まれ故郷であったことが何よりも誇らしく嬉しいです。





誰しも故郷を持ちますが、私たちのように異国で生まれ育った者にとって故郷とは一体どんな意味を持つのでしょうか。私たちの国が植民地にならなかったなら、私が日本で生まれるということはなかったし、貧困と差別がなかったなら、根無し草のように流されるままに生きることもなかったはずです。


私は自分の生まれ故郷を探していましたが決してそれは場所ではなく、私のルーツである父と母の人生そのものを知りたかったからかも知れません。二度と奪われてはならない祖国と、国を奪われた民がたどらねばならなかった人生を、後世に伝えなければならないという使命感があったからかも知れません。

― 在日として生きて還暦を迎えるまで、日本の友人を1人も持たず、近所の人々とも挨拶以外、会話をしたこともなかった心の狭い私が、近所の人々と語り合い、無償化除外反対をアピ―ルし、生まれ故郷の病院を守るための署名までお願いできる信頼関係を持てるようになった事には自分ながら驚いています。


 そればかりか、2011年11月27日、<無償化除外反対>アンソロジーのダイジェスト版が韓国で出版されソウルで行われた「ハングル版-出版記念 詩の朗読会」に河津聖恵さんと一緒に私も招待されソウルの地で自作詩の朗読までいたしました。




又、朗読会の次の日、生まれて初めて故郷―済州島を訪ね、両親の墓参りをし、離れ離れに暮らしていた上の兄や親戚とも会う事が出来ました。こんな嬉しい事が他にあるでしょうか?父が亡くなり30年、母が亡くなり22年たってはじめての墓参りです。




 「在日コリアンとして生きて」 私が今、思うこと、それはたとえ異国に暮らそうとも自分が誰なのかをしっかり見つめ、自分の国の言葉や歴史を学び、民族の誇りをもって生きることがどんなに大切な事なのかを再認識しました。それと共に日本の方々との垣根を取り払い、お互いの違いを認め、お互いを尊重しあいながら歩んでいかねばならないとしみじみ思いました。


 ―2012年4月17日から大阪府庁前で朝鮮学校無償化除外を反対し、大阪市大阪府の補助金の再交付を要請する「火曜日行動」が正午から1時まで毎週行われています。今週の火曜日219回目を迎えました。2012年6月19日の第10回目から参加し始めた私は、その後1度も休むことなく200数回連続参加をしております。4年半の間、毎週お会いする方々はもう国や民族の違いを超え兄弟姉妹のようです。



 私は「火曜行動」をブログやフェイスブックで全国に発信し続けて参りましたが、昨年からは日本の方3名と私たち3名の6名で「春母(ハルモ二)会」を立ち上げ、6人で力を合わせ、毎週発信を続けております。その内容は写真撮影を通しての記録、アピールされる方のお話の内容の聞き取り、参加者へのキャンディの配給等です。毎週この作業を続ける中で日本の方々と今は姉妹の様に信頼しあいながら過ごしています。

 アンソロジー投稿者であり、奈良在住の歌人でもある淺川肇さんが、ある日私にこう仰いました。「日本政府が万一朝鮮学校を無償化から除外できたとしてもこの間、心が通い合った日本人と在日の方々との絆を決してたち切ることは出来ない」と!

その通りだと思います。今現在、何一つ目に見えて解決できたものはありませんが、私の心の中に起きた変化、又、日本の方々との相互理解と友好親善の尊い輪をつぶす事は決して出来ないと思います。

私はこれからも、国や民族を越え1人の人間として、隣人を愛し朝日友好の架け橋になりたいと思います。最後までのご清聴有り難うございました。 

                       2016年11月19日   
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