ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

「芙蓉朗読会」金愛美さんの詩  「ボタン」バイリンガル

2012-12-21 21:56:09 | 詩・コラム
 「芙蓉朗読会」の一員である金愛美さんが、今日詩を作って持ってきてくれました。ご紹介いたします。
 「芙蓉朗読会」とは大阪府庁前で行っている「火曜日行動」に毎週参加している東成区のメンバーで作ったコリア語の朗読の会です。



   「ボタン」
 
         金 愛 美

「ボタン一つ押せば」

学生時代 わたしは
こんな詩を詠んだ

ボタン一つ押せば
部屋には灯りが燈り
工場は動き出すのに

ボタン一つ押したのに
私たちの一票は生かされず
歴史は繰り返された

ボタン一つ押して
友の痛みが消え
差別のない世の中になれば
どれほどいいだろう

そんな 希望と失望の間で
「火曜日」に わたしは
ボタンを押しに行く
壊れたボタンを押しに


2012/12/21


                         

단 추

김 애 미

<단추 하나 누르면>

학생시절 나는
이런 시를 읊었다

단추 하나 누르면
방안에 불이 켜지고
공장은 정상대로 돌아가는데

단추 하나 눌렀지만
우리의 한표는 살리지도 못하고
력사는 되풀이 되였다

단추 하나 눌러
친구의 아픔이 사라지고
차별없는 세상이 온다면
얼마나 좋을가

그런 희망과 실망의 갈림길에서
화요일이면 나는 그 언덕에
단추를 누르러 간다
고장난 단추를 누르러

2012/12/21

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2012・2・20 詩⑤ 「モンダンヨンピルよ」 バイリンガル

2012-12-21 10:26:46 | 詩・コラム
*1年のまとめ

                           

詩5.「モンダンヨンピルよ」  (2012・2・20)

<몽당연필>이여
          

하루,이틀이라면 
한번,두번이라면
어렵지는 않았겠지요

하지만 그대들은 
일년 열두달을 
지진피해지 아이들 위해 바쳤습니다

어떤 분은 노래를 부르고 
어떤 분은 악기를 다루고
어떤 분은 사회를 하고
어떤 분은 도시락을 장만하고
어떤 분은 뒤처리를 도왔습니다

이제는 낯익은 청년카토릭회관
달마다 지하콘사트장에 사람 넘치고 
대구며 광주,진주며 고양,인천에서
파도처럼 퍼져나간 소풍공연소식  

꿈과 같이 내 고향 제주도에 
그대들의 노래소리 울려퍼졌을 때
비록 몸은 이역땅에 있어도
함께 노래 불렀습니다 훨훨 바다를 건너 

우리에게도 조선학교는 <우리학교>가 되였다고
오히려 자기들이 얻은것 더 많다고
그래서 고맙고 또 고맙다고 미소 짓는 그대들

그 마음이 눈물 나도록 고마와서
자신에게 물어봅니다
나도 그대들처럼 <몽당연필>이 될수 있었을가고
  
(2012년2월20일)

「モンダンヨンピル(ちびた鉛筆)よ」
              

一日、二日ならば
一回、二回ならば
難しくは無かったことでしょう

だけど貴方たちは
1年12ヶ月を
地震被災地の子供たちに捧げました

ある人は歌をうたい
ある人は楽器を奏で
ある人は司会を担当し
ある人はお弁当をつくり
ある人は後片付けを手伝いました

今はお馴染みの 「青年カトリック会館」
毎月 地下のコンサート場には 人が溢れ
テグに光州、チンジュにコヤン 仁川から 
波濤のように広まった 遠足コンサートの便り

夢のように 我が故郷 済州島に
貴方たちの歌声が轟きわたったとき
たとえこの身は 異国にいても
共に歌いました ふわりふわりと海を越え

私たちにも朝鮮学校が「ウリハッキョ」になったと
かえって自分たちが得た物の方が もっと多かったと
それで 有難く 又 有難いと 微笑む 貴方たち

その気持ちが 涙がでるほど ありがたくて
自分自身に問うてみます
私も貴方たちのように「モンダンヨンピル」になれたかと

(2012年2月20日 感謝をこめて)

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2012・2・19 コラム⑨ 「素晴らしい学芸会」

2012-12-21 10:20:20 | 詩・コラム
*1年のまとめ


コラム⑨
     「素晴らしい学芸会」 (2012・2・19)
                          
 午後2時から福駅近くの西淀川区民会館エルモで行われた学芸会を見に行った。ひとことで「素晴らしい学芸会」だった。

 まず最初から驚かされた。初級部全員での器楽合奏から幕をあけたのだが、それもクラシックニューイヤコンサートのアンコール曲として良く使われるヨハン・シュトラウス1世の「ラデッキー行進曲」を演奏したのだ。指揮を担当した男子生徒の合図に合わせ観客も一緒に手拍子しながら楽しい学芸会が始まった。

 演奏後、初級部1年生4人が色とりどりの民族衣装を身に着け、とてもしっかりと開幕の挨拶をした。ウリマルの発音がとてもきれいで、どの子もしっかり挨拶ができた。

 3番目は幼稚班5人による料理対決をテーマにした歌とお話なのだが、子供達があまりにもしっかりしているので幼稚班とはとても思えなかった。初級部に発音も負けていないし、歌も演技も上手なのだ。5人が5人とも上手なのには驚かされた。BGMもとてもタイミングよく、観客の喜びそうな料理番組のテーマ曲をちゃっかり拝借して私たちを楽しませてくれた。

 次に、2年生全員による歌とお話「ノブコ」が又おもしろい、発想がおもしろいのだ。「ノブコ?」何それ?と思えばしめたもの、ノレ(歌)の「ノ」、プルダ(歌う)の「プ」、コマ(チビッコ)の「コ」、三つ合わせて「ノブコ」-なぁるほど!

 うわさではちょっと寒いお話と聞いていたが、何のその、まず出演している子供達が楽しんでいる。これが一番大事なのだ。テーマである歌の重要性を充分アピールできたし、それもいろんな工夫を凝らしていて、私は上出来だと思った。

 次の男声重唱は堂々たるものだった。何しろ発音がきれい。一言一言がはっきり聞こえる。2曲目の歌は全員のソロを入れ父兄を喜ばせてくれたと思う。

 次の1年生の紙芝居がまた素晴らしい!バイリンガル紙芝居なのだ。4人の子供達が、可愛い衣装を着て、ウリマルも日本語もどれほど流暢だか知れない。日本学校の子供さん達にも見せてあげたかった。(バイリンガル紙芝居は、全国で取り入れるべきだ。)
 
 幼稚班の可愛い合唱に続き、1部最後の群舞「楽しいキャンプ」もとてもよかった。大道具のキャンプフアィヤーがとても引き立ちキャンプの楽しさを満喫させてくれた。

 2部もまったく退屈させなかった。幼稚班の児童達がおもちゃの妖精に扮し、おもちゃ箱の中から飛び出していろんな楽器で、いろんな曲を弾きこなすのには本当に感心した。たった5人とはとても思えない。こんな素晴らしい幼稚班に何故生徒が5人だけなのか、理解できなかった。勿体無い、宝の持ち腐れとはこのことだ。

 息のぴったり合った打楽器演奏、拍手喝さいを浴びた大道芸、かしまし娘たちの漫才と、2部も、どの演目も水準が高く、飽きさせなかった。特に11番低学年全員の「15年後の私たち」には感動させられた。ダンスもとても上手で一緒に踊りたいほどだったが何よりも、この子供達が15年後、この世の中はどう変わっているだろうかと、考えずにはいられなかった。

 嵐のような差別と蔑視が吹き荒れ、花のように美しく愛らしいこの子供たちを傷つけているが、15年後、20年後、50年後もウリハッキョがウリハッキョらしく存在して欲しいとすべての人々が思ったに違いない、すべての人々が、子供たちを、民族教育を守らねばと思ったに違いない。

 最後の合唱は選曲も良く、振り付けや、民族打楽器も取り入れて、とても斬新な合唱になった。全校生の歌声がとても美しい!校服に少しだけリボンを添えてあげるだけで、子供達がどんなに愛らしく見えることか、先生方の心遣いが嬉しかった。

 生徒数は少ないが、大阪福島の子供達は、全国どこに出しても恥ずかしくない、素晴らしい芸術性と民族性を備えていた。そればかりか時代の流れにしっかり対応し、すべての演目が新鮮で、決め細やかな配慮がなされていると思った。1部の学生だけではなく、全校生が主人公になった素晴らしい学芸会だった。

                                 
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2012・2・18 コラム⑧ 「心の傷は消えない」

2012-12-21 10:08:05 | 詩・コラム
*1年のまとめ




コラム⑧
  「心の傷は消えない」 (2012・2・18)
                       

 昨日2月17日、アンソロジー刊行会の<朝鮮学校への「高校無償化」制度即時適用を求める詩人の要請書>と、賛同者名、125名の貴重なコメントを携え、河津聖恵さんはじめ詩人、歌人4名とウリハッキョ支援者3名で文科省と内閣府で要請を行った。

 約束の10分前、文科省に着くと、すでに東京の朝青トンム達が胸に無償化除外反対のゼッケンを着けプラカードとハンドマイクを手に、寒空の下、元気一杯のシュプレヒコールを行っていた。若者達の力強い支援を受けた私たち一行は百人力を得て、彼らの想いを胸に、中に入った。私たちが要請を続けている間も、彼らのシュプレヒコールは院内にまで途絶える事無く届き、力を添えてくれた。

院内の一室(2年前と同じ部屋)で要請が始まった。まず河津さんが要請書を浪々と読み上げ、力強い要請の火蓋を切った。次に残りの6人が交代で次々と発言した。

私は日本の最高教育機関である文科省が2年間も、事あるごとに政治問題と絡め、朝高生たちへの無償化問題を延ばし延ばししている間に、それを良い口実にして、大阪、東京をはじめ、地方の自治体が何十年も続いてきた助成金をカットしたり、停止している問題に対してどう責任を取るのかと詰め寄った。

又、1昨日、宝塚での神戸朝高生達の素晴らしい吹奏楽演奏と、司会をしていた女学生が無償化から除外されている問題に触れた時、民族を愛するものは未来に夢を持ってはいけないのかと絶句したことに触れ、私たち大人が未来ある学生たちにこんな悲しい思いをさせて良いのか、彼らが受けた心の傷に誰が責任を取るのかと問いただした。

又、日本政府は日本の子供たちをどんな人間に育てようとしているのか、無償化除外を続けることにより、朝鮮の子供達には差別をしてもいいんだという風潮を撒き散らし、公然といじめを助長してきた罪は重いと発言した。そして、もうお願いはしない。当然の権利である無償化を即時適用するよう求めた。

要請参加者がすべて各々の立場での思いをぶっつけ、あっという間に40分が過ぎてしまった。内閣府でも同じような要請が続いた。

内閣府では担当の人が無償化自体が無くなるかも知れないというような主旨のことを云ったので、私達は尚更、怒りを抑えることが出来なかった。担当の人達は勿論、何か決定する権限がある訳では無いということを分かりながらも、逃げ腰な態度に怒りをぶっつけざるを得なかった。

同行した日本の方が、日本の未来が心配だ、日本の子供達が朝鮮人に対する公然とした差別を目の当たりにしながら、どんな人間に育っていくだろうかと不安でならないと発言したとき、本当にそのとおりだと思った。

 要請が要請したという事実だけで終わってはならない。子供達が受けた心の傷を決してそのままにしてはならない、最後までたたかわねばと心に誓い東京を後にした。
             
                                  
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2012・2・15 コラム⑦ 「吹奏楽と詩の夕べ」に参加して

2012-12-21 10:02:44 | 詩・コラム
*1年のまとめ



コラム⑦  「吹奏楽と詩の夕べ~武庫の流れと共に~」に参加して  (2012・2・15)


 「第2回神戸朝鮮高級学校コンサート 吹奏楽と詩の夕べ~武庫の流れと共に~」が阪急宝塚のソリオホールで行われました。河津聖恵さんと私も,応援朗読に駆けつけました。

 会場一杯に大勢の日本の方、同胞の方がいらしていました。

 昨年、12月22日にコンサートを開催する予定でしたがあまりにも突然な悲しい国喪があり、急遽延期になったのです。

 6時半きっかりに「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」代表の田中ひろみさんの司会でコンサートが始まりました。まず最初に実行委員会を代表して佐々木基文(高野山真言宗 西光院の御住職)さんがご挨拶をされ、その後すぐ、詩の朗読が始まりました。

 河津聖恵さんは「ハッキョへの坂」、続いて私は「ふるさと」を朗読しました。私たちへの紹介が先にあり、生まれた場所が青森である事が伝えられましたが朗読の前に「実は初級学校は兵庫の園田でした」と伝えると一瞬、「へぇー」とかの声が聞こえたような気がしました。(余談です)

 二人の朗読の後、いよいよ学生たちの出演です。黒いカッターシャツにエンジ色のネクタイをかっこよく締めた吹奏楽部の演奏は、最初から華やかで、観客の手拍子が自然に鳴り響き、雰囲気を盛り上げてくれました。

 司会の学生が、流暢な日本語でとても愛らしく、それでいて清楚な雰囲気で人々の心を捉えました。民族教育の素晴らしさを余すところ無く披露してくれました。声楽部の「ふるさとメドレー」もとても大きな拍手を頂きました。

 歌とおどり「世界にひとつだけの花」も良く演出され、学生らしさの中に楽しさも加わり見ごたえがありました。吹奏楽の演奏は殆どが顧問の千守日先生が自ら作曲された作品で、とても迫力があり素晴らしいものでした。最後の曲「鼓動~世紀を越えて」は何回も聞いた曲だったけれど、曲の素晴らしさをあらためて感じさせてくれました。河津さんは感動してCDを買いたいと云ってました。

 今日コンサートを見ながら一番感じたことは、何故、こんな素晴らしい高校生を日本政府は認めず、いまだ無償化から除外したままなのかという怒りでした。

 司会の女学生が「私たちは日本の学生たちとなんら変わりなく勉学に励み、クラブ活動に情熱を燃やし、将来社会に貢献できる人間になるため頑張っているのに、何故自分たちだけを差別し、無償化から除外したままなのか、私たちがいったい何の悪いことをしたのですか」と嗚咽したときは、何故こんな純粋な学生たちに涙を流させているのかと、あまりにも無力な自分自身が情けなくて、あまりにも学生たちに申し分けなくて涙が止まりませんでした。

 「民族を愛し生きようとしている者は、明るい未来を持ってはいけないのですか?」
この様な苦しい思いを何故私たちの子供達が持たねばならないのでしょうか!彼女の涙は川になり海になり、理不尽な暴言をはき続ける者達を必ずや太平洋の彼方に押し出すことでしょう。

 もうひとつ感じたことは日本の良心的な方々がどれほど真剣に私たちの子供のために尽力してくださっているかと言うことです。皆さん手弁当で、本当に頑張っておられました。東北への募金活動や、「大地は揺れても」の演劇上演活動など一度や2度でなく継続して行っておられます。3月末の卒業式の日には東北のウリハッキョを訪問され劇を上演することも決まったそうです。

 「アンコール」を求める歓声が止まないうちにコンサートは終わりましたがすべての方々の胸に民族教育の素晴らしさ、大切さは充分に伝わったと思いました。スタッフの皆さんとお別れするとき、私たちも文科省への要請を頑張ってくると約束して別れました。

                                      
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