8月22日、先日、親族の方から連絡をいただき今日の夕方、学童を終えた後、観音寺に行ってまいりました。
1年前、この場所でお通夜と葬儀が行われ、僭越ながら弔辞を読ませていただきました。
お通夜の日、親族や友人の方々から寅順さんに関する逸話を色々聞かせていただいたのですが、あまりにも伝えたいことが多くて書いては消し、消しては書いたことが昨日のことのようです。
朝から法要が行われていたので私が行ったときには親族の方だけがいらっしゃいましたが、何しろ7人兄弟のおひとりと結婚されていたので親族だけでもかなりの数でした。
立派な祭壇が組まれ上段では寅順さんがにこやかに微笑んでいました。遺影を見た途端、ぐっとこみ上げるものがあり1瞬、声をあげそうになりましたが、ぐっとこらえお辞儀をしました。
旦那様とは昨年以降も偶然お会いしたり、メールの交換をしたりしましたが、お子さんたちとは1年ぶりにお会いしました。
眩しすぎるほど皆さん、大人になっていました。
壁には、闘病の末、寝たきりの状態になっても最後の力を振り絞って書き残した贈り物が飾られていました。
子供達への想い、姉妹に対する想い、友人に対する想い、夫に対する想い、最後に「私は幸せでした。」と結んでありました。
一緒に書を見ながら娘さんと少しお話ししたのですが、娘さんはオモニのことを「1度も腹を立てられた姿を見たことがありませんでした。」と目を潤ませながら仰っていました。
帰りしな「 亡妻1周忌 粗供養 金」と書かれた箱の入ったものをいただきました。
中を開けてみるととてもセンスの良い器とお礼のハガキがはいっていました。それも生前の寅順さんのハングルです。
(いつも有難うございます。真心込めて)
裏には生前の作品<大丈夫>が印刷されていました。
文芸同大阪50周年の記念イベントのタイトルをすべて寅順さんの書にしたことを思い出し、写しました。
(一つの心)
(文芸同大阪の作品集のタイトル「プルシー火種」)
彼女の書には誰にも真似のできない暖かさがあります。
彼女の書には誰にも真似のできない独創性があります。
まるで生きているような文字なんです。
書の中に人がいるように見えませんか?
人が歩いているように見えませんか?
人が手を繋ぎ合っているように見えませんか?
あまりにも早く彼女を送ってしまいました。
今はただただご冥福を祈るばかりです。