ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

お久

2009-12-30 14:06:20 | 第1紀 生きる
何週間ぶりにたった「をかしら屋盛岡大通店」のカウンターに、常連さんのS書店の店員さんが座る。

よもやま話。

せっかくのご来店のお返しに、これも何週間ぶりの昼の大通散策をかねてS書店へ。

やはり本棚に新しい本が。

この分厚い本や雑誌をめくるのは、とてつもない楽しみの一つである。

新しい世界、見知らぬ世界、驚きの世界、感動の世界、切なく悲しい世界、愉快で朗らかな世界、そんなものが次のページに潜んでいる。

伊集院の珍しく買っていなかった本の文庫版。

上旬発刊の月刊誌(たぶん1号から揃っている)。

なんかミーハーだがタレントの書いた焼肉本。

松本零士の名作の第1回だけを特集したモック。

あとなんだっけ・・、都合5冊、3827円。

楽しかった、滞在30数分。


そして、あ~、なんか喰うか。

店に戻れば昼まかないだから軽く!?

なんか「一幸庵」がオレを呼んでいる。

呼んでいるよう~と、つい歩を進める。

迷わず、「牡蠣セイロ・・・、大盛りで!!」。

牡蠣蕎麦がいいのだが少し腹にたまる。

太く蕎麦の味と香りの強い蕎麦もいいが、せいろの繊細なのも一幸庵はいい。

う~ん、たまらん。

しかし・・、しかし、やはり腹具合やこのあとの事は考えず、牡蠣蕎麦が良かったかな?

やっぱり定食にして、あの豪華なおかずを喰うんだったかな!?

食い意地は満足をする事を知らない。


幸せの小一時間。

久しぶりの大通探索。

ふ~。

店々に

2009-12-30 12:10:20 | 第1紀 をかしら屋
僕は「松園店」がいいです。

店長の接客もいいし、小上がりでゆっくりできるのもいいし、岩手山も綺麗だし。

なんていうのは、ワタシが頼りにしている大手電機メーカーの営業と元厨房メーカー所長のガス屋さん。

定番で頼むのは冷麺だ。

新しい「をかしら屋本宮店」はテーブル席があるし、店内も広く、すっきりしてるし、自宅にも近く、駐車場も広くて便利という、長い間の大通店の常連さんもいる。

店主のワタシがこんな事を言うのは憚れるのかもしれないが、全くワタクシ的に言えば大通店も捨てたもんじゃないよ。

「サラリーマン」がくつろげる場所をという「をかしら屋」の主義からすれば、大通店ほど場所的にも空間的にもいいところはない。

昨夜も閉店間際まで満席で、ほぼ定員数に近い人数が和室の6テーブルに座って、飲み、語らい、笑い、食べている様はなんとも微笑ましいのである。

まさしく「サラリーマン酒場」であって、もちろん「肉食系女子」の「ホルモンヌ」も多く、やはりその彼女らの嬌声なんかはまわりの男性諸君も元気にさせるのである。

昨夜遅く来ていただいたメインバンク支店長ご一行様も、へ~女性が多いよねと驚かれた様子。

お~い大丈夫か~と心配になるほどサワーのお替わりを繰り返した若きホルモンヌ4名も、すっかり千鳥足ながらご機嫌のご機嫌でお帰りになった。

シンデレラタイムはとうに過ぎて、しかしこのまま帰るのか歌いに行くのか元気である。

歩く間もないほどの人と乱れきっておかれたカバンやコート。

その間を縫ってメニューを運ぶ店員。

BGMは70年代フォークソング。

メインバンクご一行様に交じって、ワタシも烏龍茶で談笑。

大通は久しぶりの賑わい。

幸い、「大通店」も、もう千円札数枚で新記録という売上で、皆さん年の瀬を思いっきり呑んで食べていただいたご様子。

さて、「をかしら屋」全店、今日までしっかり営業。

来年は2日・3日とも全店舗営業します。

ホルモン洗ってお待ちしております。

卒業

2009-12-30 09:04:56 | 第1紀 をかしら屋
昨日、T嬢が「をかしら屋」を卒業した。

予定日が3月で、大きなお腹で厨房や客席を飛び回るのは、さすがにきつくなった。

本宮店の開店の事もあり、無理を言ってここまで働いていただいた。

彼女が一緒に働き始めたのは、ワタシの小さな会社が「をかしら屋」をはじめる前、観光地の展望レストランをやっていたころだ。

面接に来た彼女と労働時間などで少し折り合いがつかず保留となっていたが、一週間後に電話で無理を言って働いてもらう事になった。

何人かの面接のあとで、彼女の何かにひっかかるものがあった。

それは当時のシェフもそうであって、だから引いてこようという事になったのだ。

あとで聞いた話だが、当社の面接のあとでもう違う職場で働き始めていたのだという。

だから、彼女も無理にやってきたわけだ。

仕事は調理補助。

当初はホールにでるのは絶対いやだといっていた。

恥ずかしがり屋であったのだろう。

その歳までは!!

厨房内では明るく楽しそうなのだが、客の前に行くととたんに緊張する。

そんな人は料理人には多い。

採用した年に、老巧化したそのレストランの営業をあきらめ、居抜きの物件にすがりついて「をかしら屋」ができた。

彼女との契約では、冬になりレストランが閉店したら止めてもらう事になっていた。

だが、開店したばかりの「をかしら屋」の男性店長、そしてすぐ跡を継いだ男性シェフの二人があいついで病気になり、また、彼女に援軍をお願いする事になってしまった。

ワタシと、当時は採用したばかりの今の松園店の店長IさんとT嬢で、やっちらこっちら歩み始めた「をかしら屋」を、切り盛りといえば聞こえがいいが、細々と続けたのである。

開店は晩秋。

やり始めてから近所の人や業者に聞いたのだが、ここはしょっちゅう店が入れ代わり立ち代わりし、場所が悪いのか前の店の評判を引き継ぐのか、うまくいった試しはないのだそうだ。

開店したても、近所の人がおっかなびっくりやってくる程度で、なかなか売上も立たなかったし、シェフが二人も続けて病気になったから厨房仕事もとまどう事があった。

だから、彼女達二人にはずいぶんと迷惑をかけたし、助けてもらった。

そのおかげで少し軌道に乗り、二年目に差しかかるころに「大通店」を出す事にした。

「松園店」は頑張り屋のIさんに、そしてT嬢はワタシが大通に連れて行く事にした。

やはりここでも、彼女の手助けが必要と感じていたし、Iさんには店長としての充分な資格があると思ったからだ。

その後も、いきなり店外「催事」をはじめたり、飽きることなく新メニューを出し続けたり、休む間もなく働き続けていただいた。

「をかしら屋」も今は3店舗になったが、やはり女性陣の力がなくては成り立たなかったと思う。

もちろん、男性厨房諸君も優秀である。

「ホルモン屋」の「梁山泊」として人が育ってきた、いや自ら能力を高めてきた、その彼女達や彼らに、いつも心の中では感謝しているのである。

  (態度に示さないのが悪い癖なのだと理解してほしい)

引き止め、引き止めして働いていただいたT嬢。

妊娠を機に、アツアツの彼とも無事入籍し、二人、いや来年は三人で新しい生活を歩む事になるのだろう。

幸あれ。


・・・・・しかし、困った事に、彼女ファンの常連さん達の足が遠のいている訳であります。月曜日の彼と、カウンターの常連さんと、建築業のお元気さんと、あれ、これ、あなた、そなた、こなた。  ふ~む。