<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

行き来する世界があるということ。行き来させてそれを楽しませる。

2020年12月27日 10時38分19秒 | Weblog

わたしはその人に「NAKIKO」と命名する。

彼女は泣き女。会ってくれる人がいないので、泣く。遊んでもらえないので、泣く。そこがわたしとそっくりだ。

じゃ、どんな漢字を当てよう。

刹那の那。季節の季。そして女の子の子。泣き子にはしないでおく。

お人形だ、この女の子は。

息を吹きかけて人にする。

お人形にしたいときにはまたもう一度やさしく息を吹きかける。

わたしには今日、遭いたい人がない。遭ってくれるという人もいない。NAKIKOにもいない。

そこで二人が行き会う。

そういう設定にする。

でもじめじめしない。しないようにする。此処がポイント。

暗くしない。しないようにする。此処を押さえておく。

べとべともしない。しないようにする。此処が決め手。

二人で海へ行く。浜辺を歩く。砂が音を立てる。

歩き疲れたら座る。風を受けないところに座る。

サンドイッチを食べる。ミルクを飲む。それだけで満腹する。

息を吹きかけてNAKIKOを人形に戻す。ポケットに入れる。

ポケットの中という異界に送る。それから山を目指す。

全山が紅葉して輝いている。それを見せる。

異界へ送ったり、そこから連れ戻したりして遊ぶ。

行き来することができる世界があるということを楽しませる。

お人形にもわたしにもそれを楽しませる。

NAKIKOにもわたしにもそれを楽しませる。

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もうそこらには「とき」がない。過去現在未来がない。

2020年12月27日 10時23分14秒 | Weblog

雪女の出るお話をおねだりす幼子(おさなご)のゐてときが解け行く     薬王華蔵

ははは、はは。これも落選の作品。

タイムスリップはあるんだな、と思う。あんなに堅かった「とき」の囲いがみるみる解けて行くではないか。

おばば様に幼い子がおねだりをしている。雪女の出るおとぎ話を話してくれるようにおねだりしている。

お婆さまがお話をし始める。雪女のおとぎ話をし始める。とたんに幼子の家の屋根に雪が降ってくる。雪は降り積もる。

雪は降り積もるのに、過去現在未来の「とき」は解け出して行く。あたたまってあたたまってついに解け出して行く。

もうそこらには「とき」がない。過去現在未来がない。

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わたしは何にもプラスをしていないのに、それでもこの感動をもらう。

2020年12月27日 10時07分59秒 | Weblog

今日がわたしの最高の一日になります。

明日になったら、明日がまた今日になります。

こんな今日は今日しかありません。

これは魔法なのです。

わたしは魔法の世界に生きているのです。

わたしはこの魔法を楽しんでいます。

地球が自転をしていなかったらこの魔法には遇えなかっただろうに。

遇っている。

地球が一日掛けてぐるりと回る。わたしを乗せたままで回転する。

わたしが、「わたしが回転している」と言うことを知る。

夜が明けることによってそれを知る。

日が入ることによってしみじみとそれを知る。

一日また一日、どの一日にもそれを知らされる。

地球と一体であるという事実を知らされる。

宇宙と一体であることという事実を知らされる。

安心をもらう。

最高の一日に生きているという感動をもらう。

わたしは何にもしていないのに、それでもこの感動をもらう。

 

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五十年読まぬ絵本と目が合ったら、

2020年12月27日 09時54分25秒 | Weblog

五十年読まぬ絵本と目が合ひぬ      山鳩暮風

ほほ、ほほ、ほ。この川柳は入選だった。有り難い。

絵本なんか読めるか、などと思っていたのだろう。本棚の奥に隠れてしまっていた。埃にまみれている。雑巾で拭いて、手に取って見た。

絵本が、わたしを読んでみてくださいとウインクする。

わたしを読めばこの場ですっと五十年が取り戻せますよ、あなたは二十代になります、と誘って来る。

そうだったのだ、タイムトリップができるのだ。絵本は魔法を使って来る。

目が合った、目が合図をして来た、そのお陰だ。世界を開く。一気に引き込まれる。絵本の世界は、楽しい。楽しさ満載だ。

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空を赤く染めてわたしを太く親しく呼んでいる声を聴いたか。

2020年12月27日 08時41分29秒 | Weblog

声のして太く親しく呼ぶ赤き夕空のあり 耳立てて聴く    山鳩暮風

わはは、毎度毎度、落選歌で申し訳がない。棄てるに忍びない。これを書き上がるのに3時間を掛けてしまったのだから。

仏陀はときに姿を見せて来る。神々もそうなさる。姿を見せるのは、姿を見たい者のために、だ。そうしないと前に進めない者の、ために。成長が見込めない者の、そのために。

仏陀が夕空になって姿を見せる。赤い夕空になって。そこで親しく太くわたしを呼ばれる。その声を聴くために、わたしは耳をそば立てる。

お爺さんよお爺さんよ、己は一日の終わるときに、仏陀を見たか。声を聴いたか。夕空は法の方便なり。方便のお慈悲を頂いたか。

わたしを親しく親しく呼んでおられる太い声を聴いたか。聴いた者は、もはや今日の日の不平と不満を養い得なくなるだろう。

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道行き人が皆、この世を美しく見て通り過ぎて行きます。

2020年12月27日 08時36分50秒 | Weblog

怠け者のお爺さんは、今日は怠けずに、チューリップの球根を植え付けることにします。

球根は一月も前に買って来てあります。

怠け者だから、植え付けを延ばし延ばしに来ています。

球根は細型のプランターに植え付けます。

プランターは道沿いに列んでいます。

四月になれば花が咲きます。美しい花が咲きます。

道行く人がみなこの世を美しく見て通り過ぎて行きます。

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肛門までは自己でありえているが

2020年12月27日 08時21分15秒 | Weblog

働きをみな為し終えて肛門を出る自己 するり自己を離れる     薬王華蔵

これも落選の短歌。申し訳ないが、ここに取り上げる。棄てるに棄てられず。愛着して。

排泄時の話だ。排泄物さまは、わたしの体の中をただ通り抜けて行くのではない。仕事をして行くのだ。働きを為し終えたので、肛門を出て行くのだ。働きがあったお陰で、わたしはエネルギーをもらって活動をすることができる。そうであるのに、ご主人様からは臭い汚いの評価しかもらえない。

彼らもご主人様のお腹にいるあいだは、立派に「自己」でありえた。そうであるのに、その自己に執着をしないで、肛門を抜ける。するりと「自己」を離れて行く。これは中々できないことだ。彼らはそこが実に見事だ。禅者だ。解脱する。消えて行く。見事な「死」ではないか。

排泄物にふっとそんな思い入れをしてみた。不評を訂正してみた。己のものの見方のまちがいを正してみた。ありがとうの言葉が出た。そしてもちろん感謝をした。感謝の手を合わせた。

体の中がこの世。体の外に出るともうあの世。死後の世界。彼らは此処を飄然として行き過ぎて行く。世界を跨いで何事もなし、なのだ。

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厳寒の冬場には体を寄せ合ってくっつけ合って過ごしているのだろうか。

2020年12月27日 08時03分58秒 | Weblog

なあんだ、食べ物が見つからないじゃないか。引き返そう。

 

夜明けを待つようにして、我が家の庭先に雀たちが集まって来る。10羽、20羽、30羽と。鳴き声が高くなる。

 

ほぼ毎日、餌場に餌のくず米を撒いておくが、すぐになくなってしまう。

 

 

霜が降りている。隣家の屋根が真っ白になっている。凍り付いている。ジャンパーを着込んでいない雀たちは、どこで一夜を明かしたのだろう。厳寒の冬場をどうやって凌ぐのだろう。互いに体を寄せ合って過ごすのだろうか。

夜が明けた。食べ物を見つけて栄養補給をしようと散らばって行く。でも、稲田はすっからかんだ。餌になる虫も地表では見つからない。

雀に生まれた雀は、しかし、なにはともあれ、命を繋ぐ方策に出ないと生きていけない。冬の野原を飛び回る。

 

では、あのお爺さんのところへ行くか。人間をしているお爺さんは、ときおり、気分がいいときに、くず米を提供してくれることがある。そういうお喋りをした後で、彼ら彼女らは、お爺さんの家の庭に降り立つ。

それを見届けたお爺さんは雀をがっかりさせてはならないと思う。

霜が降って凍てついているのに、外に出てくる。

袋の中からくず米を取りだして、餌場に置く。もう今日明日分しか残っていない。我が家はお米を作る農家ではない。お米屋さんに行って買って来なければならない。

雀が来てくれると寂しがり屋のお爺さんの庭先は賑やかになる。賑わう。声に満ちる。

お爺さんはこの世は楽しいところだと思い入れる。勝手にそう思い入れる。

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童話の世界は別石灰なのだろうが、境目が見えなくなってしまう。

2020年12月27日 07時48分59秒 | Weblog

雪女 童話の雪の降りさうな     山鳩暮風

これは俳句。のつもり。独りよがりして投稿した。案の定、落選だった。

童話を読んでいる。雪女が現れて来る。雪のように白く美しいが、雪のように冷え冷えとしていて、会う人を凍らせてしまう。

童話「雪女」を読んでいると、ここがいきなり童話の世界になって、そこへ静かにおごそかに粉雪が舞い落ちてきそうな。この錯覚に落ちる。

☆ 

童話の世界は別の世界なのだろうが、境目がなくなってしまう。あんがい本当にも思えてくる。雪女がそこへ通りかかって来そうな気がしてしまう。逢ってみたくなる。

ふふ、といっても、わたしは老爺。それもよぼよぼの。雪女が欲しがる若者ではないけれど。

童話はこの世を童話にしてくれる。老爺を若者にしてくれる。少年にもしてくれる。美しい雪女に遭いたい。冬も深くなった。美しい雪が、今日にも降って来そうな気がする。

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成功者を装ったとしても、大きな顔はできまい。

2020年12月27日 07時16分50秒 | Weblog

ごん狐 鉄砲撃った悔い新た     山鳩暮風

これはわたしの川柳。川柳になっていなかったようだ。落選した。

わたしは鉄砲撃ちである。攻撃することは正義者の務めとでも思うのか、やたら人に傲慢の鉄砲を向ける。それが昂じてとうとうやさしいごん狐までも撃ち殺してしまった。そういう過ちを幾度起こしたことだろう、この人生で。

ごん狐の童話を読んでいるとその悔いがまたぞろ蘇ってくる。人は過ちの中で生き続けている。成功者を装ったとしても、大きな顔はできまい。

☆ 

もうすぐ一年が暮れる。あれこれが思い出されて来る。悔いが榾火のようにちろちろ燃えている。

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