泣きそ泣きそあかき外(と)の面(も)の軒下の廻り灯籠に灯(ひ)が点(つ)きにけり 北原白秋
これも姦通罪事件のころの一連の作の一つ。崖下を駆け下りていくように一度に悪いことが重なっていくとやはり泣けてくる。我が運命に泣けてくる。でも、泣いたからといって好転するわけでもない。泣くまい泣くまいとする。夕日が射して外がやけにあかああかと明るい。不甲斐ない我とは一線を画している幸せの家の、軒下には廻り灯籠が吊されていて、夜に入った。やがてそこにはぼんやり灯りが点った。歌にも、こうして感情の灯籠が灯って、回り回る。
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高校生の頃、国語の教科書に白秋の次の歌が載っていた。そしてそれがよく呑み込めてもいないのに、一瞬、雷にでも打たれたようになった記憶がある。「外の面の草」とはどんな草だったのであろう。春の鳥が鳴いているから、もちろん春の草だったのだろうけれど。不運な、不幸な己とは全く違った、異界の、明るく伸び伸びとした大草原の草だったのかもしれない。
春の鳥ななきそなきあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕べ
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