<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

念(今の心=思い)は交流電流である

2014年10月31日 13時01分19秒 | Weblog

念彼観音力(ネンピカンノンリキ)=「彼の観音の力を念ずれば」という句が法華経観世音菩薩品(通称、観音経)偈には何度となく出て来る。

観音様はサンスクリット語では「アバローキテイシュバラ・ボーデイサットバア」。観世音菩薩、観自在菩薩、救世菩薩などとも呼ばれている。お呼びすれば観音様はどこにでも普門示現される。お呼びしないでもそうなさるが、念じてお呼びしているとたちどころに(見ている間に)現れて、呼ぶ者を護ってくださる。ともかく強い強いお味方なのである。普門とは遍く門戸を開放されているということだ。拒否をなさらない。差別をなさらない。条件を付けられない。だから、悪人のさぶろうをも観音様の救済の対象者なのである。その人の立場に応じて、好みに応じて、その形を変化されて登場されるので、「変化(へんげ)観音」とも呼ばれる。

観音力は、いま現在で自分が賜っている力のことである。これはわたしの念じる力ではない。念じられている力である。ここに電波の受信装置をつけると、それに感知できる。これで電流が流れる。明るくなる。あたたかくなる。ほのぼのとなる。力が湧いてくる。こうやって安心立命ができることになる。観音力はわたしを生かそうとしている根本力であるから、宇宙力と呼んでもいいかもしれない。

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