音階は読めても、その音階の音を出せない。
音楽の授業の大切さを、今頃になって、考える。遅い。
音符が書いてあっても、だから歌えない。
文部省唱歌であっても、音符だけを見ては、歌えない。
耳が覚えたら、やっと歌える。
いま習っている詩吟にも音階がつけられている。ドレミファソラシドではなくて、数字で表現されている。
これも、だから、添えられた数字だけでは、歌えない。どうしようもない。
音階は読めても、その音階の音を出せない。
音楽の授業の大切さを、今頃になって、考える。遅い。
音符が書いてあっても、だから歌えない。
文部省唱歌であっても、音符だけを見ては、歌えない。
耳が覚えたら、やっと歌える。
いま習っている詩吟にも音階がつけられている。ドレミファソラシドではなくて、数字で表現されている。
これも、だから、添えられた数字だけでは、歌えない。どうしようもない。
1
もうすぐ誕生日だ。来週の火曜日だ。79歳になる。長く生きた。生かしてもらった。有り難い。たくさんたくさん愛情をもらえた。それで、此処まで生きられた。
2
たくさんを100の100乗回、1000の1000乗回くらいつけねばなるまい。
3
それだけのたくさんの愛情を届けてくれたたくさんの愛情主がいたということになる。その愛情主は、大半の大半は人だろうが、人ばかりじゃないかもしれない。想像もつかない。
4
想像を逸するが、それにはみなそうする意思が伴っていたはずだ。意思を持って働きかけて来てくれたということだ。
5
その場面場面を映画にして見せられたら、泣き出すだろうな。最後まで見終われないだろうな、落涙落涙で。
ホースで水遣りをした。先日植え込んだジャガイモの畝に、たっぷりたっぷり。風が強く吹いていたので、放水が乱れた。
乾いて乾燥してシワシワになって、それでも発芽していた種芋が、土の中で、おいしそうに水を飲んで、元気になったことだろう。
お爺さんは、他にいいことはなんいもしていないが、でも、土の中のジャガ芋には、正義の味方の月光仮面だ。わははあ、だ。捨てたもんじゃない。
今日はお彼岸。亡くなった弟の家に行く。家内といっしょに。家内が午前中いっぱい掛けてこしらえた蓬団子を、仏壇にお供えしたいというので、昼過ぎから外出した。
先日、北の畑で掘り上げた上等里芋と、畑のレタスと小葱と、たっぷり豊かに育った九条葱も、届けた。
蓬餅の蓬は、昨春に野山に行って摘んで来たもの。茹でてテニスボールの形にして、冷蔵庫で冷凍保存してあった。今回で使い切れたようだ。四月になれ近くの近くの野山に摘みに行く。
書いても書いても、僕のブログの読者がつかない。夢みたいなあほみたいな、重さ3ミリグラムしかないことばかり書いているから、そっぽ向いてしまわれたんだろうね。だろうね。わかる。
じゃ、しかたがない。しばらくは法華経経典を読んで、そこに登場されるガンジス川の砂の数ほどの仏陀の、そのうちの一人に会って、教えに耳を傾けていようかな。わくわくしみじみするよなあ。
*
菜の花の葉っぱ緑からスケスケの度合い深めり日射しが透ける
薬王華蔵
10時半。まだ外は風の音。春の嵐だ。
幼なじみのよし子ちゃんに会いたいなあ。
何処にいるんだろうなあ。
何処でお嫁さんしているんだろうなあ。
*
70年会ったことがないから、70年前のよし子ちゃんしか思い浮かばない。
きっと僕とおんなじで口元には皺が寄って干し梅干しの口しているかもしれない。
干し梅干しの口をして、いま此処に現れたらどうしよう?
よし子ちゃんだとは分からないよなあ。
「よし子ちゃん遊ぼうよ」って声掛けられないかも知れない。
*
菜の花畑は菜の花でいっぱい。いっぱいいっぱい。蜜蜂も遊んでいる。
たぶん死んでしまうまで会えないよなあ。
僕は駐米大使ならぬ駐地球大使だ。派遣したのは宇宙だ。誰もそうとは認めないでいるけれど、僕は宇宙人全権大使なのだ。
(宇宙にいるときには宇宙人の形をしているが、地球に派遣されて来ているときには地球人の形をしているから、すぐには判別しがたいけれど)
駐地球大使の僕の仕事はただ一つ、「みなさん安心していていいですよ」「みなさんは地球に住んでいると同時に、安心の宇宙に住んでいるんですよ」というプロパガンダを展開することだ。
生まれたら死ぬとみんな思っているけど、(いやいや生まれたら死ぬんだけど)、でもそれは細胞活性化と同じ仕組みで、どんどん死んで、死んだ分だけはどんどん生まれて行くんだから、われわれ宇宙人は心配は要らない。そういうことも発信しなくちゃいけないけど。
駐地球大使は、僕だけ? そうじゃない。宇宙大安心を得て生きている地球人兼宇宙人はみな、宇宙が派遣した駐地球全権大使なのだ。
人は、元気をもらって、生まれて来る。赤ん坊のあの小さい体に、一人一人等しく10000トンの元気をもらう。一生涯ふんだんに使っても余るほどの量だ。提供したのは全宇宙だ。
もしももしも、それでも足りなくなってきたら、手を上げて請求すればいい。宇宙はケチることがないので、すぐに宅急便で届けてくれる。また元の旺盛な元気が戻れる。安心していい。
宇宙は、元気酵素でできているのだ。はちきれている。われわれが吸う空気が、そもそも宇宙元気なのだ。宇宙元気を吸って、消化消耗して壊してしまっても、即刻再生してくれる。
マイナスはすぐにプラスになる。だからどんどんマイナスにしてもいい。いいことになっている。元気のマイナスは病気なんだけど、病気のプラスは元気なのだ。マイナス・プラスは入れ替え自由だ。
死はマイナスに見えているけど、実はたっぷりプラスも含んでいる。これは老にも病にも言えることだ。というよりは変幻自在だから、マイナス・プラスはすぐに生まれ変わってしまうのである。
われわれ生命体は信頼の宇宙を生きているのだ。ゼッタイゼッタイゼッタイそうなのだ。だから今日をにっこり生きようよ。
むくむくむくむくは大空の元気。夏だ。白い雲がバッファローの角を突き上げている。でかい角だ。
Ω(オメガー)の形をしてむくむくむくむく湧き上がっている。
スプーンで掬ってきて、パクリと喉の奥から臓腑まで飲み込んだら、下腹部の丹田のあたりで、元気むくむく現象が突発しそうだ。
春分の日。休日。晴れているけど、風がある。ゴーゴービューンの風の音が聞こえる。畑の菜の花が大きく揺れている。
9時を過ぎた。気温は9・1℃。寒い。ときどき空が曇る。今日の予報では最高気温が13℃までのよう。
北の畑はいちめん草に覆われている。一冬ずっと怠けたせいだ。だが、今日も畑に出て行く気持ちには、なれない。