<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしの横着さだけが羽振りをきかせて行くばかり。

2020年10月22日 18時31分08秒 | Weblog

日が暮れた。夜に突入した。

夜になってもまだ雨が降り続いているようだ。雨音を聞く。

耳に快いことばだけ、事実だけを欲しがっている己が居る。

耳に快く響かないことば、あるいは事実は、これを拒絶している。

快だけで成長を遂げようとする魂胆か。そもそも快だけでにんげんが成長できるものなのか。許容範囲の狭い人間にしかなれないのではないか。

それでは、わたしの横着さだけが羽振りをきかせていくだけだ。うわべだけのにんげんをして繕っているだけだ。

そんなことを今日は思った。楽な方へ楽な方へ逃げていこうとするわたしの来し方への反省だ。

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南無地獄大菩薩様とはどういうことなのか? なかなか分からないで居る。

2020年10月22日 18時05分00秒 | Weblog

「南無地獄大菩薩様」とは臨済宗中興の祖と仰がれている白隠禅師のおことばです。

わたしの解釈は間違っているかも知れません。白隠禅師のおことばの真意まで辿り着けないように思います。

わたしは実にあまっちょろい人間です。すぐにぐうの音を出してしまいます。いつも簡単に逃げを打つのです。

生涯を通して、楽な方、楽な方を選んできたからです。それで人間力がまるでついていません。この高齢になっても赤ん坊同然です。よちよち歩きしかできません。

こんなふうな甘っちょろい生き方をしていたのでは何度生まれ変わろうと進歩が得られないでしょう。つまり無駄生きをしてばかりなのです。で、どこまで行っても、うすっぺらなのです。軽佻浮薄です。

それを糾してくれるところが地獄です。今度こそまっしぐらに地獄行きを決行しなければなりません。わたしの<へなちょこぶり>をたたきのめしてくれるところが地獄の修羅場です。

腹ができていないから、そこへなかなか行こうとはしないのです。ついつい迂回してしまうのです。

ですから、ここへは強制的に落とされてしまわないといけないのです。

小さい頃祖母が「苦労は買ってでもせよ」と言い聞かせておりました。わたしは泣き虫でした。甘ったれをするばかりでした。苦労から逃げてばかりでした。

これではわたしはほんとうの人間にはなれません。いつまで経ってもなれません。これでは仏陀を仰ぐこともできません。

鍛錬がまるでできていません。苦悩苦労が不足しているのです。

地獄に落とされたら、本当の意味の仏のお慈悲が得られたと考えていい、ということなのでしょうか。クエスチョンです。

南無地獄大菩薩様。地獄にいるのは大菩薩様ばかりである。しかし、楽をしている我ごときにはそれをそうと読めません。不平不満、泣き言を言うばかりで人生を終わってしまいます。

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胸が痛いことは忘れました。忘れたら痛まないようになりました。

2020年10月22日 17時55分17秒 | Weblog

夕方4時から、空豆の種蒔きをしました。雨の降ってこないベランダに腰を据えて。買って来た種の袋には、種が10個しか入っていません。これを2袋買って来ていたので、合計20個を、1個ずつ小さなポットに有機培養土を詰めて、そこに植え付けました。

胸が痛いことは忘れました。忘れたら痛まないようになりました。

今日はさいわいに雨降りですから、その20個のポットを畑に出しました。水撒きは雨がしてくれました。

発芽するまでしばらく時間が掛かるでしょう。待ちます。根付いてきたら、これを畑に移植します。一月くらい掛かるかもしれません。気長に待ちます。

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茂吉の石榴の歌を読む。石榴はあまのはらの色香のくれなゐ。

2020年10月22日 14時02分48秒 | Weblog

あまのはら冷ゆらむときにおのづから石榴は割れてそのくれなゐよ     斎藤茂吉

石榴はペルシャが原産地。6月頃に鮮紅色5弁の花が咲く。秋になると大きな球形の果実が実って、割れる。割れて多数の種子を露出する。種の皮生食する。すっぱい。果実酒を作ることができる。

あまのはらが冷えるころというのは秋のころ。わざわざこういう表現をとってどっきりさせている。天地が冷え始める。天地の冷却に相応しておのづからに、小さな果実の石榴が割れて、己の生身の色香を露呈させて来る。その色香の色合いの深さが「くれなゐ」なのだろう。その「くれなゐ」を逆さまにして辿り辿っていくと、宇宙空間の「あまのはら」に到達する、というところがおもしろいではないか。

大きいものから始まって小さいものを抽出し、それを今度は逆流させて、大いなるあまのはらに帰って行く。

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キャベツがよろこびになっている。

2020年10月22日 12時20分34秒 | Weblog

キャベツがよろこびになっている。まるくふくらんでいる。

よろこびがキャベツになっている。ふっくら青くふくらんでいる。

両者はたがいたがいにそのときどきに変身をして遊んでいるらしい。

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よろこんでいいことを、よろこんでこなかったのではないか、おれは。

2020年10月22日 12時02分40秒 | Weblog

それでもそれをよろこべ。

よろこべそうになくても、それをよろこべ。

喜びの価値が二倍三倍になるだろう。

価値がなくったっていい。

よろこぶことができればそれでいい。

喜んでいいことを喜んでこなかったということも知らされる。

よろこんでいいことをも、よろこんでこなかったのではないか、このおれは。

みんな不平不満に変えてきたのではなかったか、このおれは。

不平を言え賢者が装えたのではないか。不満をぶつければ、にんげんの価値が増すとでも思ってきたのではないか。

10

ああ、おれは、よろこんでこなかったなあ。

11

もっとよろこばなくちゃいけないなあ。

12

生きている内にもっともっと喜んでおかなくちゃならないなあ。このおれは。あれもこれも。

13

そう、あれもこれも。これもあれも。

14

よろこびの大売り出しをするようになれればいいだろうなあ。

15

不幸も不運も不足も、病も、見ようによっては幸福や幸運や満足や、健康に品を替えて来るかもしれないのだから。

どういうふうに見るかだよよねえ。

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今日を生きている。これだけでにこにこしていていいんだよね。そうだよ。

2020年10月22日 11時44分40秒 | Weblog

死ぬまでを生きていればいいんだよね。

そうだよ。それ以上には及ばない。

抱いていた悩みも尽き果てる。あらゆる悲しみも尽き果てる。

すっからかんになる。

そうなれば、案外、すっきりするだろうね。

ふふんふふん、この世のことはともかく、死ぬまででいいことになる。

しかし、それから先にあの世とやらが続いているとなると、そこでまたあれこれ思案することになる。

この世ではそれは無用の心配だろう。先取りをして悩むことなどはあるまい。

この世を生きた。今日まで生きた。それで十分だ。十分感謝をしていいだろう。

100%助けられた。100%守られた。100%導かれた。これで満ち足りていい。

それでも足りないでケチをつけ文句を言うとなると、そりゃ、考え違いで、横着が過ぎるというものだろう。

うんうん、そうだよね。

今日を生きていることでにこにこしていていいんだよね。

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家内が四国土産の讃岐うどんを茹でている。

2020年10月22日 11時28分16秒 | Weblog

やっと雨。ようやく雨降りになった。

これで、昨日移植した白菜苗が元気になっただろう。

さっきちらっと覗いたら、シャキッとして立ち上がっていた。

といっても、大降りではない。小雨霧雨ほどである。

空の色は灰色。鈍い。風はない。

寒い。外の気温は18℃。丁度いいくらいなのかも知れないが、この老人には寒く感じる。毛糸のベストと薄いジャンパーを羽織ったが、それでもクシャミが出る。

まもなくお昼になる。家内が讃岐うどんを茹でている。四国旅行で買った来たお土産だ。玉葱をふんだんに使った肉うどんにしてもらうことにした。玉葱は淡路島のお土産だ。

ともかく元気を出そう。

 

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クリニックに行って診察を受けましたが、診断は出ませんでした。

2020年10月22日 11時15分47秒 | Weblog

からだにちょっとでも異変があると、元気が出ない。

何かをしようという意欲が湧かない。だらしがない。

 

クリニックから戻ってきた。家の中で炬燵に入って、じっとしている。血圧が高くで、ふらふらっとしている。

 

レントゲン検査、心電図検査、エコー検査、血液検査を受けました。診断はつきませんでした。不安が残ります。

来週に血液検査の結果を聞きに行きます。

 

 

今日は、雨の降り込まないベランダで、種蒔き用ポットに、空豆とグリンピースの種蒔きをするつもりだったが、いまはその気にならない。

ま、午後からでも気分がよくなったら、やってみよう。

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クリニックに診察を受けに来ました

2020年10月22日 09時16分26秒 | Weblog

昨夜は左の胸が痛んだ。表面ではなく、奥の深いところあたりが。

 

朝方近くになって痛みが退いた。時おりになった。

 

その時が来たのかなあと思った。

 

 

で、雨の今朝はクリニックに診察を受けに来た。

待合室はほぼ満席状態だ。

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