「南無地獄大菩薩様」とは臨済宗中興の祖と仰がれている白隠禅師のおことばです。
わたしの解釈は間違っているかも知れません。白隠禅師のおことばの真意まで辿り着けないように思います。
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わたしは実にあまっちょろい人間です。すぐにぐうの音を出してしまいます。いつも簡単に逃げを打つのです。
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生涯を通して、楽な方、楽な方を選んできたからです。それで人間力がまるでついていません。この高齢になっても赤ん坊同然です。よちよち歩きしかできません。
こんなふうな甘っちょろい生き方をしていたのでは何度生まれ変わろうと進歩が得られないでしょう。つまり無駄生きをしてばかりなのです。で、どこまで行っても、うすっぺらなのです。軽佻浮薄です。
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それを糾してくれるところが地獄です。今度こそまっしぐらに地獄行きを決行しなければなりません。わたしの<へなちょこぶり>をたたきのめしてくれるところが地獄の修羅場です。
腹ができていないから、そこへなかなか行こうとはしないのです。ついつい迂回してしまうのです。
ですから、ここへは強制的に落とされてしまわないといけないのです。
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小さい頃祖母が「苦労は買ってでもせよ」と言い聞かせておりました。わたしは泣き虫でした。甘ったれをするばかりでした。苦労から逃げてばかりでした。
これではわたしはほんとうの人間にはなれません。いつまで経ってもなれません。これでは仏陀を仰ぐこともできません。
鍛錬がまるでできていません。苦悩苦労が不足しているのです。
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地獄に落とされたら、本当の意味の仏のお慈悲が得られたと考えていい、ということなのでしょうか。クエスチョンです。
南無地獄大菩薩様。地獄にいるのは大菩薩様ばかりである。しかし、楽をしている我ごときにはそれをそうと読めません。不平不満、泣き言を言うばかりで人生を終わってしまいます。