沖合に三つの島が浮かぶ。泊まっているホテルの窓から見える。大きく左に馬渡島、正面に小さな松島。そのすぐ右に加唐島。まもなく6時。海が夕暮れた。島が黒い影になる。6時20分に落日すると玄関に大書してあった。海に落ちる美しい落日を見てみたい。ゆっくり湯を浴びて来た。客も数人いた。ここからは西の方も北の方も見渡せた。まもなく夕食。レストランからも入り日が見えると聞いた。結局、この日はスケッチが出来なかった。その代わり、ハーモニカを取り出して童謡を数曲弾いた。
鎮西町波戸にある国民宿舎に来ている。家から車で二時間のドライブだった。1時に出発して3時には到着した。部屋は和室の10畳。畳が古ぼけて茶色い。北に付いた窓からは玄界灘の青い海が広がる。沖合に島が二つ。青い海に貨物船が通って行く。近くの呼子港から島に渡る船が出ている。都合がつくなら明日、訪ねてみたい。民宿が一人の旅人を泊めてくれるだろうか。クレヨンスケッチが描けるように準備はしてきた。一枚は描いて帰りたい。先ずは浴衣に着替えて、湯を浴びてきたい。
威張らない縮こまらない 野の草と僕とはこれに徹す 春の日 薬王華蔵
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威張ることもない。威張れることを持ち合わせてもいない。でもだからといって萎縮することもない。すべての生命体は伸び伸びとしていていいんじゃないか。威張らないでも生きていられるし、萎縮しないでも生きていられる。それをそうではないと一人で合点して、人はぎくしゃくしていきる。まっぴらだ。春の一日くらい、これに徹していよう。万物平等。生きている価値には凹みがない。凸もない。野の草も僕も、ひたすら尊重されるべき宇宙生命体。
ぽかぽか陽気になって来た。これじゃ、じっとしていられないぞ。自転車を車に積んで短い旅に出ようか。海の見えるところへ来たら、車を止めてしばらくサイクリングを楽しむ。いいだろうな。風も吹いていない。
懐具合が心配なのだが、お金というのは死んでから使えるわけじゃない。生きて、元気で動けるときで、それを使うときだけ、お金の価値が出る。そう思って掻き集めることにする。大金持ちでも、それを保有しているだけではなんの意味もない。価値もない。自慢は出来るが、大富豪でなくともなくても、自慢だけなら出来る。春の大空の自慢が出来る。
小筆の墨で書くわたしの詩の原稿 「白い明るい庭」
少しでいいようにしてあります。すぐにいっぱいに満ちるようにしてあります。だから、無理矢理拡大することはありません。引き延ばして見せることはありません。そこで満ちていればいいのです。月が窓際に来ている。狭い小さな胸が月であふれる。そこから白い明るい庭を照らしている。静かな里中の春宵。
今日の日の朝の即興短歌 「死と月と花」
行くところが決まった人には此処にいる執着がない 死と月と花 薬王華蔵
今朝のわたしの即興詩 「秘密」
僕はもうそんなことはどうでもよくなっている/どうでもいいのだ/あんなに欲しがっていたのに/あの人のやさしい愛情を欲しがっていたのに/
光が来ている。春の光が僕の住む家の/庭の小径に来ている/小径が光で/あふれている/ふたりの秘密のようにして/そこにあふれている/
秘密というのは/秘密の取り交わしができたということだ/そこで完了なのだ/一巻が尽きたのだ/しようとしていたほかの用件が/そこですっかりなくなったということだ/
アンドロメダ星雲は/僕が嘗てすんでいたところだ/だからふるさとだ/ふるさとはほかにも幾つかあるのだが/此処へもう一度移り住もうと思っている/
その条件が整ったという知らせ/それがまだ秘密にしてあるのだ/アンドロメダ星雲にいるわたしと/地球似るわたしとの/そのふたりだけの/
4
発情。猫が発情する。雌猫の発情を雄猫はすかさずキャッチする。匂いが10キロ四方まで流れて行くので、昼寝などのんびしていていられなくなる。むっくと起き上がる。雄が今度は発情をする。鳴き声が妙に甘くなる。長々となる。べったりべたついて来る。獣たちはこう。こうやって、獣の情の甘さに駆られて駆られて夜な夜な鳴き交わし、寄り添ってデートを重ね、次代の春の子を増やして行く。人間は? 人間は年がら年中発情をしているタイプだが、そうそう単純ではなくて、植物男子たちは、相当にブレイキ抑制を効かしている。
2
Aちゃんが美人なので、近所の雄猫どもの数匹は気が気ではないらしくて、ちょこちょこやって来る。庭の小径を「AちゃんAちゃん、ねえ、デイトしようよ」と言って来る。で、わたしの書斎の前4mのところで立ち止まる。ニャウニャウ。わたしも猫語を上手に話す。ムニャウムニャウ。するとそれが「ノー」に聞こえるらしくて、彼ら猛者どもがそこでくるりと引き返す。僕は、爆笑が噴きだしてしまう。これしきで引き返す位なので、Aちゃんの「イイヒト」にはなれないままだ。いまどきの雄猫って、これくらいの強引さで、暮らしているのかしらん。ちょっといじらしくもなってしまう。
1
我が家に居候を決め込んでいるキジキジ猫のAちゃんは、雌。娘盛り。愛嬌がある。美人。猫なで声を出して人間に寄り添う。性格がいい。愛される性格。で、家の者はこれに捕まって、とっぷりほだされている。餌を遣ったことのないわたしは別。物まねの得意なわたしは、Aちゃんの鳴いた後をつけて、それとなく猫語をしゃべってみる。Aちゃんは日当たりのいい濡れ縁のところまで来てお昼寝をする。3mと離れていない。案外僕にも餌目当ての、気があるのかも知れない。