八重葎。やえむぐら。人の衣服に絡みつく雑草。細くなよなよしている。べとべとする。周りに巻き付いて伸びて行く。よく茂る。万葉集にも歌われている。古代にも現代にも茂っている。垣根を我が物顔していたので、鹿の子百合が困っているふうだった。差別になるけど、発芽を迎えた鹿の子百合を残して、八重葎をことごとく抜き去った。
我が家の庭の小さな牡丹園。10株の牡丹がそれぞれ赤い芽を芽吹いている。昼間其処に腰を下ろして、「おおおお、愛しい愛しい」とことばしながら、周りの草を丹念に抜いてやった。明日、有機牛糞肥料をたっぷりたっぷり施肥してあげよう。植物は恩義に篤い。恩義を感じて、4月になれば満面にこにこで開花するかもしれない。ぽつんと、愛しい愛しいなんて口に出して言えるのは、植物にだけだ。
昼間おれは畑に出た。草まみれになっている畑からほうれん草を抜いた。小さくしか育っていなかった。愛情を掛けていないんだものなあ。草を毟って来なかったものなあ。指の長さほどしか育っていなかったが、捨てられなかった。丁寧に根を切り、腐って枯れた部分を除き、揃えて、洗っておいた。笊いっぱいになった。その作業を日が暮れるまでやった。
すまんなあすまんなあすまんなあ。オレは相変わらずのぐうたらだ。ぐうたらを通している。というのにどうだ。春の光が燦々と射して来るではないか。オレは下等な愛欲まみれでいる。というのにどうだ。見捨てもしないで、空気が鼻を出たり入ったりする。オレはオレの死ぬ生きるを考えて恐れ戦いているばかりなのに、同じ家の中に妻がいて子がいて、あれこれをそろそろと何事もないように語り合ってもいる。すまんなあすまんなあ。そういうふうに言い逃れしたってどうにもならない。
一眠りした。目が覚めた。まだ、今日である。11時にもなっていない。明日の夜明けは7時。まだたっぷり時間がある。その間を、臨時に死んでいるわけにもいかない。呼吸を続けている。血液が流れている。各臓器が活動して体温を保っている。意識も途絶えることはない。
しばらく読書をする。寝ながらだが。眠くなるまでの間だ。玉城康四郞著「無量寿経 永遠のいのち」を読む。若い頃から何度も何度も読んでいる。愛著だ。読む度に心が踊る。嬉しくなる。仏の永遠のいのちがわたしを永遠のいのちにしている。それを知らしめて来る。ダンマの永遠のいのちが、働き通しに働いて、わたしを永遠のいのちにしている。
で、わたしはどうだったのか? 自利のみの人生だったのか? 利他をしたことがあったのか? 疑問である。愛を受けるのみだったのか? 愛を放つ太陽であり得たか? 月光のように反射をしていただけなのか。太陽はどうか? わたしの愛を受容していただろうか。銀河の星々はどうか? わたしの視線を受け取ったことがあるだろうか?
入り口は出口にもなる。ならないのもある。耳は音の受信装置であるが、発信はしない。発信は口が受け持つ。鼻はどうか。吸ったり吐いたりの双方向が可能である。口もそう。尿道、肛門は出るのみ。毛穴は汗を出す一方で、皮膚呼吸もする。目は? 見ることが、専門だが、見られていることも分かる。心は受け入れもするが、レジーバーのみではない。攻撃も出来る。鉄道のトンネルは? 出口と入り口を兼ねる。船の港も入港出港できる。家の玄関は、表口裏口とも、其処を出て其処に帰還できる。男性性器は精子ロケット発射台オンリー。女性性器は生命受容+発育装置で、赤ん坊を分娩できる。人間の体内のおのおのの臓器、五臓六腑はどうか。製造したり解消したりする。人間そのものはどうか。愛と智恵を受け入れたり、放射したりする。宇宙はどうか。拡大したり縮小したり、誕生させたりゼロにしたりと自由自在である。
2
これはドラマを含めた短歌。
しかし、いまどきはとんからと機織りする家はない。みんな豊かになったのだ。
豊かさは、しかし、棘を刺す。不平の棘を相手に刺す。妻に責めを刺す。夫に射す。こどもにも射す。そういうこともある。気をつけねば。
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わたしがまだ4歳5歳の頃は、父の母、つまりお婆ちゃんが、土間で、夕食後も藁を打っていた。それをすぬいで、雨合羽になる蓑を編んでいた。小さな石ころが蓑の左右に行き来していた。日が暮れて寒かったろうに。
1
とんからと機(はた)織りすればその夕べ貧しい髭がいたわりを言ふ 薬王華蔵
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ちょっと古代に題材を取りました。機織りを追っていた頃、人が貧しい暮らしを暮らしていた頃を。男も女も一つ家に暮らして、貧しかった。朝から晩まで働いても貧しかった。男が女をいたわった。ことばでいたわれない者は、手の平で撫でていたわった。女が男をいたわった。「あんたといっしょにする苦労ですもの」とことばに返して、身を寄せて来た。男の顎髭、口髭が嬉しくて歪んだ。